第104話『コーデリア』の願い

 

「……なぜ、言わなかった」


 コルドラは、アキラを見上げて小さくか細い声で問いかけた。

 その声には、後悔だろうか、それ以外にも苦々しい感情が込められているように感じられる。


 だが、『なぜ』と言われても、その言葉にはなんの意味もない。

 何せ、言ったところで、どのみちコルドラは頼んだはずだから。


 確かにアキラが方法やそれによる影響を話せば、コルドラは悩んだかもしれない。

 他に方法はと相談し、どうにかするために色々と考えたかもしれない。


 だが、最終的にはそれ以外に方法がないと分かれば、コルドラは自身の娘を治してもらうため——助けてもらうためにアキラに頼んだだろう。

 そのことは、アキラも理解していた。


 とはいえ、それはコルドラの事情だ。アキラの答え次第ではそこにアーシェの説得も入ってきただろうが、話を聞いた末にコーデリアの治療を頼むという結果は変わらない。


 しかしそのどちらもアキラには関係ないことだ。


 娘を治して欲しい、友人を助けて欲しいという願いはわかる。

 しかしながら、いくら説得されようとも、自身に害が出るのなら断るのが普通の人間というものだ。


 アキラも神様としての力も立場も手に入れることができたとはいえ、人間だ。断ってもおかしくない。


 だが、それでもアキラも最初からやめるつもりはなかった。


 故に話さなかった。それだけだ。


 どのみち実行するのだから言ったところでなんの意味もない、むしろ惑わせ、無駄に苦しめるだけだと分かっていた。


 そう分かっていたからこそ、アキラはコーデリアの記憶を消すために行動したのだ。


 やると決めたのは自分なのだから、悩むことも惑うこともなく、ただ実行すればいい。

 そう考えて、アキラは行動に移したのだった。


「言ったところでどうなるものでもありませんし、実行したのは変わらないでしょうから。貴方も、わかっていたとしてもコーデリアを助けるように俺に頼んだのではありませんか?」

「それは……」

「いえ、責めているわけではありません。むしろ、そうでいい。それでいいんです。他人を見捨ててでも助けようとするほどに大切に思っているからこそ、家族なんです。だから俺は貴方を恨みはしません」


 ……ただ、やめるつもりがなかったのが『最初から』と言うのは間違いであるだろうか。


 最初からと言うなら、アキラは最初、コーデリアの治療をするつもりはなかった。

 したとしても、自身に害のない程度、それこそもう一度記憶の封印をかける程度で終わらせるつもりだった。


 が、『家族』を助けるために自身の全てを投げ捨てようとしたコルドラの姿勢が気に入った。

 だから助けることを決めた。それだけだった。


 アキラが受けた術の影響を考えれば、理由としては些細なものかもしれない。


 対価も何をもらうつもりはなく、ただ家族を大事にする姿に好感を持ったから。それだけの理由でやるにしては些かばかり無茶がすぎる。


 だがそれでもやった。

 それだけの理由だったとしても、アキラはコーデリアの治療をした。


 だって、アキラにとっては『家族』というものが今の人生において一つの指針となるほどに大事なものだったから。


「それに、一日休めばしっかりと分けることができましたから、本来であれば問題ないはずだったんです。まあ、先程はお恥ずかしい姿を見せましたが」


 アキラとしては、本来は誰にも気付かれるつもりなく終わらせるはずだった。


 部屋を借りたのもそのため。コーデリアの治療後は疲れたからと言って休んでいれば、翌朝にはいつも通り接することができるだろうと考えていたし、そのはずだった。


 アーシェが踏み込んできたのが想定外だったのだ。


 そうなったのはアキラの様子がおかしかったからなのだが、コーデリアの感じた絶望や嘆きが予想異常に強かったのも誤算の一つだった。


 一月もの間慰み者として扱われる。それがどれほどの感情を生み出すのか、分かっていなかったのだ。


 とはいえ、普通に生活していればそんな体験をすることがないので、仕方ないとも言えるか。


「……ですが、それは貴方の中のコーデリアが消えるというのとは違うのでしょう?」


 アキラは休めば元通りと言ったが、だがそれは今アーシェの言ったように、アキラが読み取り、自身の中に混ざったコーデリアの記憶が消えるわけではない。


 そして、記憶の積み重ねで人格が作られるというのなら、今のアキラの中にはコーデリアという少女の人格が同居していることになるとも言えた。


「……まあ、そうだな。『私』が満足するまで、『私』の幸せを理解できるまで、私は死なない。だって、『私』だけに押し付けて私だけが助かるなんて、そんなのは不公平ですから。私だってあんなことを忘れてみんなとずっと──失礼しました」


 アーシェの問いに答えたアキラだが、その言葉は途中からおかしくなり、自身のことを『私」呼んで暗い瞳で呪詛を吐き出すかのように言葉を紡いだ。


 これはコーデリアだ。アキラの中に混ざった記憶から形成されたコーデリアという少女の人格。それが表に出てきたのだった。


「……今のは、コーデリアかね?」

「はい。まだ完全に分離はできていないので時折混ざることがあるのですが、ご容赦を頂ければと」


 本当ならこの記憶を消してしまえばアキラは自分の中の『コーデリア』を消すことができる。


 だが、それはできなかった。


 技術的なものではない。

 が、アキラがこの記憶を消してしまえば、『コーデリア』は救われないまま、誰にも気付かれず、理解されず、一人で消えてしまうことになる。

 アキラはそれが嫌で嫌で、だから記憶を消すことができなかった。


 それに、だ。もしコーデリアが自身の記憶を取り戻したいと覚悟を決めた場合、どこかに保存されていたものがなければ取り戻すことはできなくなる。

 そしてその保存するものは誰かの頭の中しかありえない。


 そんな二つの理由があるからこそ、アキラは記憶を消すことを良しとしなかった。


「それは構わないが……一つ、君の中の『コーデリア』に聞きたいことがある。大丈夫だろうか?」

「それは……はい。少々お待ちを……はい。なんでしょうか、お父様」

「あ……」


『コーデリア』は笑っている。いつものような楽しげな笑みに、いつものような口調で自分を呼んでいる。


 だが、『いつも』とは決定的にどこかが違う。


 コルドラはアキラに『お父様』と呼ばれた時に理解してしまった。


 その笑みを向けられた時に。

 その声を聞いた時に。

 その瞳を見た時に。


 コルドラは自分がこれからする問いの答えを、救いようのないほどに理解できてしまった。


 だが、それでも聞かないわけにはいかなかった。


 もしかしたら今感じたことは自分の勘違いで、実際にはもっと違うものかもしれない。

 多分、いや、ほぼ確実にそうではないだろうと思いながらも、塵ほどの希望に縋りつく。

 たったそれだけのことしか、今のコルドラにはできなかった。


 だから——


「お、お前は……あの時お前を送り出した私を、お前は……………………恨んでいるか?」


 ——自分のことを恨んでいるのか、と。そう聞かずにはいられなかった。


「いいえ、お父様を憎んではいません」


 だが、『コーデリア』はその問いを聞いてそれまでの笑みをいっそう優しげなものへと変えて首を振った。


 そんな娘の様子を見たコルドラは、大きく目を見開いて驚きを露わにしたが、すぐに「よかった。自分の勘違いだったんだ」と息を震わせながら吐き出した。


 が——


「……そう──」

「世界のすべてを憎んでいます」


 続いた『コーデリア』の言葉で息を吐き出すことも、そもそも呼吸をすることも止めてしまった。

 それほどまでに『コーデリア』の言葉は重く、禍々しく濁っているものだった。


「どうして私が。どうして私だけが。何も悪いことなどしていなかった。ずっといい子でいた。贅沢を望んだこともない。誰かを虐げたこともない。私はただみんなと笑っていられればそれでよかった。それなのになんで! なんで私はあんなところで嬲られ続けなければいけなかったのですかっ! 私をさらった賊に何日も犯され、助かったと思ったら魔物に犯され、そうして魔物の子を孕まされっ! 私はどうしてあんな目に合わないといけなかったんですか!」


 アキラの体で頭を掻きむしりながら吐き出されるのは、嘆きの言葉。


「正しく生きる努力をしてきました。魔法の力を正しく使うために努力し、人々を助けるために学び、幸せな世界であって欲しいと祈ってた! それでも誰も助けてくれなかった! 聖女様。貴方は言いましたよね? 神様は私たちを見守ってくれていると。ええ、確かに見守ってはくれているのでしょう。ですが、『見守って』いるだけで『守って』はくれません」


 自身へと起こった不公平、不平等、不幸への悲しみと怒りと苦しみと……全てをぶち込んでかき混ぜたようなヘドロよりも醜悪で粘つく負の感情。


 自身の父親であろうと、友人であろうと、『コーデリア』は世界の全てに等しく憎悪の感情を向けている。


「助けてくれたのはこの人だけ。この人だけが私をあの地獄から助けてくれた。救ってくれた。あの場所で何があったのか、私がどんなことをしていたのかすべてを理解して、それでも抱きしめてくれた。そして、こんな記憶だけの人間ですらない私も受け入れてくれた」


 だが、そんな中で『コーデリア』は自身の——アキラの胸に手を当てて、これだけが大切なのだと、『コーデリア』が表に出てきてから見せた作ったような笑みではなく、本当の、心の底からの笑みを浮かべて目を閉じた。


「『私』は、この人を除いた『私』を忘れて生きている私を含めた世界のすべてが憎い!」


 そしてしばらくそうしていると満足したのか、『コーデリア』は目を開けて再びコルドラとアーシェに目を向け、だがその表情はアキラに対するものとは別物へと戻っていた。


「これが彼女の答えです。満足いただけましたか──お父様?」


 一瞬で切り替わったように『コーデリア』からアキラへと人格が変わり答えたが、だが最後の部分で再び『コーデリア』が出てきてしまった。

 それほどまでに、彼女の憎悪は強かった。


「あ、あああ……」

「申し訳ありません。途中で止めるつもりだったのですが、思ったよりも難しく、失敗しました」


 元々アキラの記憶というのは色々と混ざり合っている歪なものだった。前世の記憶。今世の記憶。そして女神の記憶。それらが混ざり合ってできていた存在であったがゆえに、誰かの記憶が混ざるということに慣れていたと言える。

 それ故に、新たに入ってきたコーデリアの記憶が溶け込みすぎてしまった。


「わ……私は……」


 だからまだ安定しきっていない今の状況では不意に表に出てきてしまうことがあるのだが、コルドラはそんな『コーデリア』の言葉を聞いて、まともに何か言葉を紡ぐことができなかった。


「今日のところは申し訳ありませんが、休ませていただきます。お話はまた明日以降にでも」

「……ええ。こちらこそお休みのところ申し訳ありませんでした。ゆっくり休んでください」


 コルドラほどではないが、アーシェもまた、友人であるはずの少女からどう思われていたのかを理解し、顔をしかめながらアキラへ頭を下げた。


「気にするなとは言わないが、気にしすぎるな。コーデリアだって仕方がないことだってのは理解はしてるんだ」


 ただ、それ以上に理不尽への恨みが強いだけで。


 そんなアキラの言葉を最後に、アーシェは未だに床に膝をついているコルドラを立たせて部屋の外へと出ていった。

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