第103話『記憶』の読み取り

「──それでは詳しい話をしましょうか」


 調査に来た騎士たちが去った後、それで終わり、とはいかなかった。

 先ほどまで騎士たちがいたからアーシェは詳しい説明をしなかったが、コーデリアへの施術で何があったのかをコルドラは父親として知りたいところだろう。


「……まだ完全に終わったわけではありませんでしたな」

「ええ。……むしろ、新たな問題が出た可能性もあります」

「新たな問題、ですが?」

「これはまだはっきりとしたことではないのですが……」


 アーシェはそう前おきをすると、コーデリアに魔法をかけている間と、魔法をかけ終わった後のアキラの異常について話した。


「それは……なんとも言えないな」

「はい。ですが、普通でないことは確かかと思います。本人は少し混乱しているだけだから休むと言っておりましたが、一度様子を見ておいた方がいいのではないでしょうか? それに、万が一もありますし、部屋に一人誰かを待機させておいた方がいいのでは、とも」


 アーシェの話を聞いたコルドラだが、何が起きているのかわかるはずもなく、顎に手を当てて考え込むだけだった。


 そんなコルドラの様子を見て、アーシェはそんな様子も想定内だったのだろう。アキラの様子を見に行こうと提案した。


「……確かにな。前もって使用する魔法の概要を聞いた限りでは術者に問題があるようには思えなかったが、それでも外道魔法という我々の常識の外にある魔法だ。なんらかの異常があってもおかしくはない、か」


 コルドラはアーシェの言葉を受けてブツブツと小さく口にしながら考え込むと、わずかなのちにアーシェへと視線を戻して話しかけた。


「よし。では確認してこよう。起きているようならば、少しだけでも構わないから話をしたい。それに何より、娘を助けてくれた事への礼を言いたくて仕方がないのだ」

「それは私もです。我が身の不手際で友人を傷つけてしまい、それを助けていただいたのにまだお礼の一言も言えていませんから」


 そう言って二人は立ち上がると、アキラの部屋へと向かったのだが、その内心では、異常とは言ってもそれほどひどくはないだろう、なんて楽観視していた。


 だって、後々問題があるような異常があるのなら、アキラが今回の件を受けるはずはなかったのだから。

 だから甘く考えていた。きっと大丈夫だろう、と。


「アキラくん。大丈夫かね? まだ起きているのなら少し話がしたいのだが」


 ガタリ。


 アキラの休んでいるはずの部屋へとコルドラが声をかけたのだが、部屋の中からは返事が聞こえず、代わりに小さな物音が聞こえるだけだった。


「返事がありませんね」

「だが、物音がしたということは起きてはいるのだろう」


 アキラの性格からして、この家の主であるコルドラの呼びかけに返事がないというのはおかしいなと思った二人だったが、返事もまともにできないほど疲れていたのだろうと考えた。


「すまない。疲れているだろうが、どうしても一言言っておきたいことがあるのだ」


 そしてコルドラとアーシェは一旦顔を見合わせると、コルドラはそう言いながら部屋のノブに手を伸ばして扉を開けた。


 ガシャンッ!


「「!!」」


 ——が、コルドラが扉を開けてそのまま一歩踏み出そうとした時、開き掛けだった扉に何かが投げつけられ、割れる音が響いた。


「今のはっ!」

「伯爵。どう考えても普通ではありません!」

「ああ。すまない、入るぞ!」


 思いもしなかったことが突然起こり、一旦部屋の外へと戻ったコルドラだったが、異常だと判断すると、警戒しながらも再び部屋の中へと急ぎながら入り込んでいった。



「アキラくん!」

「アキラさん!」


 だが、そうして入り込んだ部屋の中には、アキラの姿はなかった。

 ベッドを見ると使われた痕跡はあるのだがアキラは寝ておらず、綺麗に整えられていたはずなのに今は荒れているだけだった。


「え? アキラくん? ……どこに?」


 コルドラはアキラがベッドにいないことで部屋を見回すが、そこには誰もいない。

 確かに先ほど何かが割れる音がしたのに、と思って扉の方へと視線を向けると、やはりそこには割れた花瓶の残骸があった。


「伯爵」


 が、コルドラがそうして部屋の入り口に目を向けている間にアーシェはアキラのことを見つけたようでコルドラを呼ぶが、その声は硬い。


「アキラくん。何があったんだ? どうしてそんなところに──」

「ひっ」


 アーシェに喚ばれて振り向くと、そこには部屋の隅、ベッドと壁の間にできた空間にアキラが布に包まりながら震えていた。


 そんなアキラの状態に訝しみながらも、調子が悪いのなら何かしなければ、とコルドラは判断してアキラに声をかけたのだが、帰ってきたのは怯えるような小さく短い悲鳴と、強まった体の震えだけだった。


「ぃゃ……こないで……」


 そんなアキラの状態を見てアーシェもコルドラも、身を固くしてしまう、動くことができなかった。


「こないで、いや。いやなの。もういや。こないでこないでこないでこないで……」


 だが、二人が無言のまましばらくすると、アキラの声は徐々に大きくなり、一心不乱に頭を抱え、かきむしり、来ないで、と呟き続けるだけだった。


「あの……」

「あ、ああああああ。アアアァァアアアァア!!」


 そんな行動に出たアキラを見てギョッとしたアーシェは、アキラを止めようと手を伸ばすが、その手がアキラに触れた瞬間、先ほどまでの呟くような声ではなく、叫びという形で明確に拒絶された。


 その言葉はどこか女性らしさがあり、そしてその叫びを聞いたアーシェには、その叫びに直近で聞いたような既視感が感じられた。


「アキラさん!」

「いや! いやああああ!」


 頭の中にわずかによぎった違和感を無視して、叫んで暴れ出したアキラの体を抱きしめて無理やり落ちつかせにかかるアーシェだが、それでもアキラは暴れ続けた。


「大丈夫です。大丈夫なんです。あなたを苦しめる人は誰もいません。だか大丈夫です」

「あああ……」


 コルドラがどうしていいかわからずに呆然と立っている中で、アーシェがしばらく抱きしめ続け、大丈夫だと安心させるように繰り返していると、次第にアキラの様子は落ち着いていった。


「落ち着きましたか?」

「……はい。申し訳ありません、聖女様」


 そして、アキラはスイッチが切り替わったかのように先程の様子とは変わって、少し硬いながらもアーシェ笑顔を向けた。


 あれほど取り乱したというのに、やけに落ち着くのが早い気がするが、今のアキラの状況がどうなっているのかわからず、目の前の光景に驚いた二人にとってはそんなことは気にならなかったようだ。


「それはよかったです。ですが、いつものようにアーシェと呼んで欲しいですね」

「そんな、私が聖女様のことをお名前で呼ぶだなんて……それに、いつもって?」


 落ち着いた様子のアキラの言葉にアーシェもまた笑みを返しながら言葉を発したが、なんだかアキラと話がつながらない。

 それに、先ほどの騒ぎの中で感じたやけに女性らしさを感じるという違和感も、こうしてしっかりと話をすることで先ほどよりも膨れ上がっていた。


「……初めて会った日から私のことを名前で呼んでいたではありませんか」

「え……? えっと、初めて会った日も聖女様と呼んでいたと思うのですが……」


 アーシェと話しているアキラは、困ったかのように手を頬に当ててわずかに首を傾げている。まるで、貴族の令嬢がするかのように。


「アキラさん?」

「アキラさん、ですか? えっと、それはどなたで──いや違います。じゃない。違う。そうじゃない。俺は俺で、アキラは俺だ。私は俺じゃないんだ」


 自分の名前を呼ばれても、それが自分の名前であると認識できない様子を見せたアキラだったが、その言葉の途中でハッとしたように体を反応させて目を見開くと、首を振って乱暴に頭を押さえて自分に言い聞かせるように話し始めた。


「そうだ。違う。お前は違う。お前の夢は終わったんだ。だから大人しくしろ。寝るんだ」


 誰かに言い聞かせているのに、この場にいる誰にも向けられていない言葉。


 アキラはまるで目に見えない誰かをあやすようにそんな言葉を紡ぎ続けていた。


「何があったのか、話してくれるかね?」


 そんなアキラの様子もやがて落ち着き、それを見計らってそれまで見ていることしかできなかったコルドラが、若干戸惑いながらもアキラへと話しかけた。


「……聞く必要はありませ——」

「ないわけがないだろう」


 今のアキラの言葉が拒絶の言葉だと、コルドラにはわかっていただろう。


 だがそれでも聞かないわけにはいかないと、アキラの拒絶を遮り、真正面からアキラのことを見据えていった。


「……聴いても楽しい話ではありません」


 それも拒絶の言葉だ。

 聞いて欲しくない。言いたくない。だから聞くな。

 そんな石の込められた言葉。


「楽しさなど求めていないよ。それに、必要がない? そんなわけはないだろう。私が頼んだことで恩人である君が傷ついているのだ。それを知っているのに見て見ぬ振りをしろというのは、いかに恩人の頼みといえど、聞けぬよ」

「私もです。迷惑をかけた身で図々しいとは思います。ですが、それでも聞かなければならないことから目を背け、耳を塞ぐことをよしとはできません」


 だがそれでもコルドラとアーシェは聞かずにはいられなかった。

 聞かず、自分たちだけ何も知らずに状況から逃げることができるほど、アキラのことを突き放すことはできなかったのだ。


「………………最初に説明した通り、今回俺はコーデリアの記憶を全て読み取った。それこそ、本人が覚えていない赤ん坊の頃からの記憶の全てを」


 そうしてわずかな迷いを見せたのち、アキラは一度大きく深呼吸をしてから話し始めた。


「だが、記憶を読み取ったことで、その記憶は俺のものにもなったんだ。だから、コーデリアの体験したことを自分のことだと錯覚した。だから混乱したんだが、もうそれも終わりだ。大丈夫。もう落ち着いたよ」


 元々アキラには前世と今せの二つの記憶がある。そこに新たにコーデリアの記憶という三つ目が加わった。それ故に起きた混乱だった。


 だが、前回——つまりは前世の記憶を思い出した時は、倒れはしたもののこれほどまでに混乱はしなかった。

 それは思い出していないとはいえ、あくまでも『思い出していない』だけだ。元々自分の中にあった記憶でしかない。


 だが、コーデリアから読み取った記憶は違う。

 全くの別人の、自分とは関係ない『異物』が混じったことで、アキラの心は明確な拒絶反応を起こしたのだった。


 故に、元々あった『アキラ』という存在と新たに入ってきた『コーデリア』という存在が混じることはないが、代わりに意識の主導権の奪い合いが起きてしまった。


 それが今回の起こったことだ。


「記憶を読み取ったと言いましたが……それは感情も、でしょうか?」


 そのことを完全に理解したわけではないのだろうが、それでもなんとなくは理解できたのだろう。アーシェは怒っているとも悲しんでいるとも言えるようないえないような、そんなはっきりしない表情でアキラに問いかけた。


「……」

「貴方の言う記憶の読み取りというのは、その者の人生の追体験をすることですね? ならば、その者が……コーデリアが体験した出来事も、それによって感じた感情も、全て体験し直してそれを共感する。してしまう。それが貴方の言っていた記憶の読み取りですか?」

「…………そうだ」

「貴方の中には、コーデリアがいるのですね?」

「………………ああ」

「なん、という……」


 アーシェはアキラの言葉を聞く時つく目を閉じて天井を仰ぎ見て、二人の話を聞いていたコルドラは、驚愕に目を見開いて膝から崩れ落ちた。

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