第102話アキラの異変

 

「ふうううぅぅぅぅ…………」


 必要な準備を終えて、アキラはコーデリアの寝かされている寝室へとやってきていた。


 その部屋の中にはアキラ以外にはアーシェしかいない。他の者は邪魔になるから、と追い出したのだ。


 アーシェは治癒の魔法が役に立つかもしれないから、と言う理由で一緒にいるが、それでもなにがあっても聞くな、と事前に約束されていたからこそ部屋にいることを認められていた。


 ベッドに寝かされているコーデリアの周りには、なにやら文字や紋様が書かれているが、それは赤く、まるで血のようだった。

 事実、それは『よう』ではなく血そのものだった。

 そしてそれはベッドだけではなくコーデリアの体にも描かれていた。


 その血はアキラのもので、アキラは自身の血を使ってこれから行う魔法の補助をベッド、そしてコーデリアの体に施していたのだ。


「……やるか」


 そんなともすれば怪しい儀式の生贄にでもされそうな様子のコーデリアだが、アキラはそんな彼女を見下ろして深呼吸をすると、小さくつぶやいてから手を伸ばした。


「くっ……」


 そうしてアキラはコーデリアの頭に触れて丁寧に魔法を組み上げていったのだが、いざ魔法を発動するとアキラは苦しそうに呻いた。


「……ぃ、ゃぁ…………」


 聞こえてきたのはか細く弱々しい声。

 そばで作業を見ていたアーシェは、それがコーデリアのものかと思ったが、コーデリアは微動だにすることなく最初に見た時と変わらずに寝たままだ。


 では誰が今の声を? そう思ったが、この部屋には自分と、コーデリアと、そして魔法を使っているアキラしかいない。

 自分でもコーデリアでもないのなら、その声を出したのはアキラしかあり得なかった。


 だが、コーデリアならまだしも、なぜアキラがそんな弱々しい声を出す必要があるのか。


 ——気のせい?


 わからない。が、それでも考えるより先にアーシェはアキラへと視線を向けた。


 そうして見たアキラの姿はやはりどこかおかしく、作業の手は止めないものの虚な瞳でコーデリアを見ていた。


 アキラの様子に異変を感じて声をかけようとしたが、それでもっと異変が起きてはまずいと判断したアーシェは、伸ばした手で何かを掴むことはなく、ただそっと下ろされた。


「いや……いやあ……」


 だが状況は進むにつれてアキラの異変も大きくなる。


 今度は先程のようなか細い声ではなく、聞き間違いようのないはっきりとした拒絶の声だった。


 その声には恐怖や悲嘆を詰め込んだような、聞いている者も悲しくなるような、そんな色が滲んでいた。


「いや、こないでっ!」


 そして、やはり声をかけたほうがいいのではと思ったアーシェがアキラに手を伸ばし、その肩に触れた瞬間、アキラは作業の手を止めて、自分に触れてきたアーシェの手を振り払った。


「……違う。これは違う。だから大丈夫だ。……大丈夫、なんだ」


 だがすぐに自分の行動に気づき、ハッとしたように体を硬くすると頭を振って深呼吸をしてから、アキラは再びコーデリアの記憶を消す作業に戻っていった。


 明らかな異常。止めるべきだ。


 そうわかっていても、アーシェは止められなかった。

 手を動かそうとしても動かず、足を踏み出そうとしても動かない。

 体がまるで石になってしまったかのように固くなり、アーシェはあきらの作業をただ見ていることしかできなかった。


「あと少し……!」


 それから数分ほどして、アキラは涙を流し、苦しげな表情をながらも、喜びの感じられる声を発した。


「これでっ!」


 そしてついに魔法は完成し、コーデリアの中から自身がさらわれた時の記憶は失われた。

 これでもう二度と思い出すことはない。


 そのことに安堵したアキラは体を震わせながら息を吐き出した。


 この部屋は特に寒いと言うわけではない。アキラもこの部屋に来たときは震えてなどいなかった。

 だと言うのに、今はあり得ないほど、ただ寒いと言う理由だけとは思えないくらいに震えていた。


 そして次の瞬間、アキラは突然その場に倒れてしまった。


「アキラさん!?」


 倒れたアキラを見てハッと意識を取り戻したアーシェは、固まっていた体を動かしてアキラに駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」

「だれ? いや……こないで……」

「…………え?」


 倒れたアキラの側に寄ったアーシェは大きな声で呼びかけるが、アキラから返ってきたのはそんな言葉だった。


「わ、私です! アーシェです! 大丈夫ですか? 何があったのですか?」


 思わず言葉に詰まってしまったアーシェだが、すぐに気を取り直し、まだ若干動揺が残りながらもアキラに問いかけた。


「あーしぇ……聖女、様?」


 舌足らずな言葉でアーシェの名を呼び、普段は呼ばないような『聖女様』呼び。

 それに加え、なんだか普段のあきらとは違ってその仕草はどこか女らしさがあった。


 アキラの言動に違和感を感じたものの、自分のことを認識しているのだとわかりアーシェは頷いてさらに声をかけた。


「そうです。聖女のアーシェです。大丈夫ですか、アキラさん」

「あきら……? えっと……」


 だが、語りかけられたアキラは、自分の名前を呼ばれても不思議そうにしているだけで、その様子はまるで「あきらとは誰のことだ」とでも言っているかのようだった。


「ああ、違う。そう。そうだった。俺の名前はアキラだった」


 そんなあきらの様子に困惑していたアーシェだが、アキラは一瞬だけビクッと体を震わせると、まるでスイッチが切り替わったかのようにそれまでの言動とは別物——普段通りのアキラへと戻った。


「あ、あの……今のはいったい……」


 アキラの突然の変化にアーシェが問いかける。当然だ。今のはどう考えても異常。

 コーデリアに魔法をかけている途中からアキラの様子はおかしくなっていたが、今のはまるで別人になってしまったかのようだった。


「あー、ちょっと他人の記憶を除いたことで混じったというか混乱してた。……もう大丈夫だから安心しろ」

「ですが……」

「それよりもだ。コーデリアの様子はどうなった?」


 アキラが笑って心配するなと言っているが、それだけですぐに「わかりました」とはならない。

 だがそれでも、アキラはこれ以上聞くな、という態度を持ってアーシェの追求を封殺した。


 そんなアキラの態度を理解したアーシェは、あらかじめしていた約束のこともあって、きつく目を瞑ると、頭を振って尋ねるのをやめた。


「無事、と言っていいかわかりませんが、異変はありません」

「そうか。ならひとまずは心配ないな」


 アーシェの言葉を聞いたアキラはそう言いながら頷いたが、何か心配事でもあるのかその顔は苦いものになっている。


「悪い。俺は部屋に行く。結構疲れて今にも寝そうなんで、話はまた後でってコールダー伯にはよろしく」


 表情を歪めてよろよろとふらつきながら立ち上がったアキラ。


 明らかな異変があり、今も苦しそうなアキラ。

 その原因を聞くこともできないが、せめてちょっとしたことでも助けられたら、とアーシェは手を伸ばした。


 だが……


「手をかしましょ──」


 パシンッ!


 その腕は必死の形相で振り返ったアキラによってはたき落とされた。


「……あ、悪い。それの謝罪も含めてまた後でするから、今は休ませてくれ」

「あ──」


 そしてアキラ自分の行動を理解すると部屋を出ていき、隣に用意された部屋へと入っていった。


 だが、アーシェは部屋を出て行ったアキラを見送ることしかできなかった。




「──というわけでコーデリアにかけられた呪いは解除することができました」

「……そうか。成功したか……そうか」

「はい。コーデリアの容態は今のところ落ち着いています。詳しい話をしたいのですが、それはまた後ほど」

「ええ。わかっています。ありがとうございました」


 アキラは用意された部屋へと行ってしまったが、それでもなんの報告もしないと言うわけにはいかず、現場を見ていたアーシェがアキラの代わりにコーデリアの父親に報告することとなった。


 ——のだが、その報告は意図的に歪めて伝えられていた。

 なぜか。その理由は今アーシェ達の前にいるもの達が理由だった。


「それでは聖女様。お話をお聞きしたく思います」


 現在アーシェの前には、何名もの鎧を着て武装をした者達がいた。


 彼らは、この街の治安を守るための騎士達だ。


 襲撃の際と、それから先ほどまでのコーデリアの治療の際。

 街中での使用を禁じられている魔法の反応を感じたので、その調査にやってきたのだった。


「もちろんです。ですが、話と言っても話せることはそう多くはありません」


 襲撃の際に本来は聖女に向けてかけられるはずだった呪いをたまたま射線上に入ってしまったコーデリアが代わりにうけ、自身はそれを解除するために魔法を使った。

 そのため、この館から放たれた魔力の反応はその時の治療のためのものである。


 今回の街中での無断での魔法の使用はそういうことになった。


「私の代わりに呪いを受けた者を助けるのに魔法を使いましたが、なんの問題もありませんよね? 自衛、および救助のためであれば魔法の使用は認められているのですから」

「それは、はい。ですが一応その呪いを受けた者、という方を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」

「私は構いませんが……」


 なにを見つけられるか分からないのでできれば見られたくはないが、この状況で断るのは怪しんでくれと言っているようなもの。


 故にアーシェはコルドラに判断を委ねるべく、そちらに視線を向けた。


「私も構いません。ただ、娘の寝室に寝かせているので、できることならば女性のみでお願いしたく存じます」

「わかりました」


 コルドラが女性だけと指定したのは、少しでも異変を察知される可能性を減らすためだ。


 いくら王宮の直轄組織だとしても、いや、むしろだからこそか。ともかく、女性の数はそう多いわけではない。

 見栄と体裁と歴史を重視した結果、街の外で外敵と戦うよりも直接の戦闘が少ない魔法監査部だとはいえ戦闘があるのだから、と女性の配置は少ない。


 それ故に様子を見るものは女性だけにして、なにか証拠となるようなものが残っていたとしても気付かれにくいようにした。


 とはいえ、魔法というのは男性と女性でそう大きく実力が変わるなんてこともないのだから、他の部署よりは女性の数が多い。女性の割合としては四割程度だろうか。


 しかしそれでも少ないのは変わりないし、もし女性の数の方が多かったとしても、数を減らせるのだからコルドラは同じことをしただろう。


「こちらです」

「確かに魔法の反応はこの部屋から感じられますね」


 その言葉を聞いた瞬間、コルドラとアーシェは内心ホッとしたが、その気持ちを顔に出すことはない。この辺りは流石、と言ったところだろう。


 だが、安堵も束の間。その中の一人がめざとく何かを見つけてしまった。


「ん? ……微かにだが、あっちに続いているか?」

「それは……」

「ああ、それは使用人でしょう。私が部屋で魔法をかけている時に一緒の部屋にいたので、その反応が染み付いてしまったのだと思います」


 騎士の問いにわずかに言い淀んだコルドラ。そんな彼をフォローするようにアーシェが代わりに答えた。


「……見たところ魔力の後もはっきりしないようですし、そうでしょうね」


 どこかおかしく見える態度の二人だが、騎士の女性はそれだけ答えるとアキラが消えていった方向から視線を戻した。


「……一応お聞きしますが、お二人は王国における魔法の不正使用についての法律はご存知ですよね?」


 だが、それでも完全に納得していないのか、その騎士はコルドラとアーシェの顔を見てはっきりと問いかける。


 この様子は疑っている。

 そう理解した二人だが、それでも顔を逸らすことなく、自分は悪くないんだと態度で示すかのように堂々と返事をした。


「はい」

「ええ」

「では、もし不正使用が発覚した場合にどうなるかもご存知ですよね? その上で、不正などしていないと、そう誓えますか?」

「「はい」」


 嘘ではないと言う力強い——違う。嘘だ。二人は嘘をついているのだ。

 だが、仮に捕まることになったとしてもこの嘘は貫き通す。


 そんな覚悟のこもった力強い瞳で問いかけてきた騎士を見つめながら、二人は一瞬も悩むことなく同時に返事をした。


「……そうですか。なら、問題ありませんね。ここには魔法の不正使用などなかったようですから」

「え?」

「今のはただ確認しただけですので、お気を悪くさせてしまったのでしたら謝罪いたします」


 二人の様子はおかしい。


 それがわかっていてもなお、その騎士はそれ以上問いかけることはしなかった。


「あ、いや……」

「ありがとうございます」

「いえ。……それでは私たちはこれにて失礼させていただきますが、後日、呪いの件に関しては改めてお話しに伺うものが来るでしょう」

「はい。承知しております」


 自分たちに違和感を持っているであろう騎士たちが、すんなりと引き下がろうとしている事におかしいと思った二人だが、具体的に相手がなにを考えているのかわからない以上どうしようもないと、その場は流れに任せることにした。


「ああそれと……ご息女の容態が良くなることを祈ります」

「あ、はい。ありがとうございます」


 そうして魔法の不正使用の調査にやってきた騎士達は帰り、その場に残されたコルドラとアーシェはしばらく玄関を睨んだ後に口を開いた。


「あれは……気づかれてたな」

「ええ。ですが、彼女は話す気はないようですね」

「……わかるのですか?」

「これでも正しさの象徴である剣の女神の力を与えらえた聖女ですから。他人が嘘をついているかどうかは、少し力を使えばわかります」


 そんなアーシェの言葉を受けて、コルドラはあの騎士達が問題を起こすことはないのだと理解すると、深く長いため息を吐き出した。


「なんにしても、終わったようでよかった」

 __________


「……よろしかったのですか? 何かに気づかれたのでしょう?」

「あの二人が隠そうとしたのだ。そのことを無理に暴く必要はない」

「ですが、それが魔法の不正使用に関することならば……」

「私はな、こんな立場にいるが、魔法の不正使用それ自体は別に構わないと思っている」

「は? ちょっ!?」

「不正使用の何がいけないのかと言ったら、それは誰かを傷つけるからだ。故意であろうと事故であろうと、間違えた魔法の使い方はたやすく人を傷つける。だからこそ法によって禁じているわけだが、それでは救えない者がいるのも事実だ。魔法を使えば救えるものがいて、だが法で禁じられているからと言って見殺しにするのは、それは果たして、本当に正しいことか? 少なくとも、私はそうは思わない」

「ですが、あの二人が『正しいこと』のために魔法を使ったという保証はないのではありませんか?」

「あの場にいたうちの片方は聖女だ。それも正義や公正さなど司る剣の聖女だ。誰かを傷つけることはすまい。……だが、もしなにかあったら、私は自分で責任を取る。お前たちに害がいくようなことにはせんよ」

「隊長……」

「それとも、私の行いを罰するか? それでも私はお前達を恨んだりはせん。法としては、間違っているのは私の方なのだからな」

「ここにいるものはそんなことはしませんよ。みんなあなたに憧れて、助けられてここにいるのですから」

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