第80話アズリアの覚悟

「どうしてだ?」


 自分の手を取らない。そう言ったアズリアのことを、アキラはじっと見つめる。


 確かに自分はアズリアを苦しめた。だがそれでも、このまま仲間もいない状態で勇者なんてものを続けるよりはマシだと、アキラはそう思っていた。そしてアズリアだってつい先ほどまで心が折れ掛けていた。いや、実際に折れていただろう。だというのに、なぜ立ち上がるのか。なぜ自分の手を取らないのか。アキラにはそれがわからない。

 それ故にアキラは問いかけた。どうして自分の手を取らないのかと。どうして立ち上がるのかと。どうしてそんなに辛いことに挑もうとするのか、と。


「だって、私は勇者だからっ!」


 そんなアキラの問いに、アズリアはただ一言、それだけを返した。


 だがアキラがそれで納得するはずもなく、眉を寄せて顔をしかめてしまった。

 アズリアがいろいろと思ってそう叫んだのは理解できる。だが、それでもアキラには漢書の言葉が納得できなかった。そこにどれほどの想いが込められていようと、「勇者だから」と言って立ち上がるのは彼女が勇者という役割を他人から押し付けられてきたためであり、彼女の本当の意思ではないように感じられたから。


「……それは他人がお前に勝手に押し付けたものだろ? お前がそれを背負う必要なんて、どこにもないはずだ」

「違う。違うのよ。たしかに始まりは押し付けられたものだった」


 だが、アズリアはアキラの言葉に首を振る。これは押し付けられたからじゃない。これは自分の意思なのだ、と。


「本当の仲間と呼べる人なんていなくて、誰も私に本当の意味で感謝なんてしてなくても、それでも私が助けた人たちが浮かべた笑みは本物だったから! 私はあの笑顔が好きなの。誰かが笑ってるのを見るのが好きなの! 私が頑張る事で誰かを笑わせる事ができるんだったらっ! 私は戦い続けるっ!」


 誰かの笑顔を見るのが好きだった。だからアズリアは勇者となった。自分が頑張る事で誰かを救えるのなら。自分が頑張ることで誰かを笑わせることができるのなら。


「だって、私は勇者だから!」


 他人からなんと思われようと、他人にどう言われようと、それでも誰かが困っていて助けを求めているのは事実。そしてそれを助けることで誰かが喜んでくれるのも事実だ。


「周りなんて知ったことじゃない。自己満足で結構。誰がなんと言おうと、私は私が思い描く勇者として、みんなを笑わせてみせる。みんなが笑っていられること。それが、私の願いだから!」


 自分を犠牲にしてでも他人を助けるなど、正気の沙汰ではない。人間とはもっと利己的で、いくら綺麗事を掲げようとも最終的には人としての本質が──悪性が姿を見せる。

 アキラはそう思っていた。


 だってそうだろう? 見ず知らずの他人の命を救うため自身の腕を差し出すようなバカはいない。自分の命と無関係の他人の命を秤に掛けて自分の命を捨てるような奴もいない。

 もしそんなことをするような奴がいたら、その者はどこか頭のネジが抜けてしまっている。言ってしまえば、狂っている。


 彼女は──アズリアは神器である剣に選ばれたから『勇者』になったのではなく、初めから誰かを助けたいと思える『勇者』であるからこそ、剣に選ばれたのだ。


 そしてアキラは理解した。

『勇者』とは、その神器に適応した神の願いを体現する狂人である、と。

 だが強靭と言っても、それは悪いことではない。言い換えるのなら神の化身だろうか?

 神は自身に近い性質を持った者を勇者として選ぶのだ。


 思い出せばアキラが捜し求めている女神も、アキラが笑っていると時折、少しだけ微笑んでいた。あれは、彼女が誰かの笑顔を見るのが好きだったからなのではないだろうか?


 アキラがアズリアに対して感じた違和感はこれだ。アキラは彼女の事を、どこか女神に似ていると感じていた。その理由は剣から感じる女神の魔力のせいかと思っていたが、どうやらそれは違うようだ。剣から感じる魔力などではなく、アズリア自身の在り方が、女神に似ていたのだ。だからこそアキラはアズリアのことが気になっていた。そこに個人的な思い入れがないとは言わないが、少なくとも最初のきっかけはアズリアに女神の影を見たからだった。


「……ああ、そうか。これは俺が間違ってたってことか。お前の見る目は正しかったみたいだな」


 人を助けたいと願う目の前の少女は勇者には向いていないとアキラは思っていた。彼女は優しすぎる、人を助けるために戦うなんてことが、いつまでも続くはずがない。そう思っていた。


 だが、それは間違いであった。アズリアは正しく『剣の勇者』だったのだから。


「ごめんなさい。あなたは私のためにやってくれたんでしょ?」

「余計なお節介どころか、お前を苦しめただけだったけどな」


 肩を竦めて答えるアキラだが、その態度とは裏腹に内心ではアズリアを苦しめたことを少しばかり後悔していた。アズリアという少女の性質を理解することなく自分の勝手な考えで行動した結果、それが間違いだったのだから、それも仕方のないことではある。


「ううん、そんなことない。あなたがいたから、たった一人でも私の事を想ってくれたあなたがいたから、私はこうして覚悟を決める事ができたの」


 だが、アズリアはそんなアキラに対して文句を言うことなく笑いかける。

 今見た光景は彼女にとって辛い光景ではあったが、それと同時に自分の思いを理解することができたから。それに加え、アキラが心の底から自分のことを心配し、憎まれ役を買ってでも行動してくれた事が嬉しかった。

 だからアズリアは、結局困ることなんてないんだし、とアキラを許すことにしたのだ。いや、そもそもの話、もとよりアズリアはアキラのことを恨んでなどいなかったのだ。


「まあ、悪いって思ってるんだったら一つお願いを聞いてほしいんだけどね」

「はぁ、悪いのはこっちだし……なんなりと」


 アキラは大仰にそう言って頭を下げると、アズリアはクスクスと笑った。


「ふふっ、なにそれ。お願いっていうのは今じゃないわ。ここは夢の中なんでしょ? だからここじゃなくて現実でお願い」

「ああ……まあそれもそうか」


 夢の中で願いをかなえたところで、現実に持って帰れるものなど何もない。思い出を持って帰れるというのはあるかもしれないが、まあ言って仕舞えばそれだけだ。苦しめたお詫びがそれだけというのはあまりにも少なすぎると言える。


「じゃあ、魔法を解除するが……本当に大丈夫か?」


 魔法を解除するために、この夢の世界を構築している核を出現させたアキラ。あとはその核を壊せばこの夢の世界も壊れるのだが、アキラはその核を壊す直前になってアズリアの顔を見上げて尋ねた。


「ええ。もう大丈夫。私は勇者をやっていけるわ」


 自分のことを心配してくれているアキラに、アズリアは大丈夫だと笑いかける。その笑顔には、アキラが森であった時から見てきた不安定さはなく、彼女本来のとても明るいものだった。


「それに、本当に苦しくなったら、あなたのところに行けば助けてくれるんでしょ?」

「……まあ」

「ならそれだけで十分よ」

「そうか。なら、頑張れ」


 それだけ言うと、アキラは目の前に現れていた魔法の核に手を触れ、破壊した。





「う……」


 夢の世界が壊れ、アズリアが見ていた幻は消え去った。

 そうなればアズリアを眠らせていた魔法の効果も消えることとなり、アズリアは呻き声を上げながらモゾモゾと体を動かした。


「アズリア!」

「気が付いたか!」

「どこかっ、どこか悪いところはありますか!?」


 今まで眠っていたアズリアが起きたことで、彼女を気にするようにセリス、チャールズ、ソフィアの勇者一行の仲間たちがアズリアの元へと駆け寄った。


 その様子はまるで本当に彼女のことを心配しているかのようで、事実、彼らはアズリアのことを|本気で心配していた(・・・・・・・・・)。

 これはアキラが彼らを魔法で洗脳したなどではない。確かにアズリアが寝ている最中彼らに魔法をかけたりはしたが、それは彼らに対してアズリアが見ている夢と同じものを見る、と言うものだった。


 アキラはアズリアが眠っている間に見ていた光景を、彼らにも見せていた。つまり、自分たちがアズリアにどう接してきたのか、そしてアズリアがそれをどう思っていたのかを、だ。それに加えて、アズリアの感情を同期させてもいた。

 それはアズリアが今まで感じた苦しいや、悲しいと言った感情を強制的に理解させられるということだ。

 自身の今までの行動と、その行動がもたらした結果を客観的に見せられ、感じさせられた彼らは、その心の中に罪悪感が芽生えていた。

 いや、罪悪感はもともとあったのだろう。ソフィアなどはただ教義を信じてそれに固執するようになってしまってはいるが、元は人を傷付けたり苦しめたりするのを嫌う性格だ。

 セリスもチャールズも、自分の目的のために誰かを利用しているが、それだって根っからの悪人というわけではない。それであれば、自身の目的を叶えるためにもっと強硬な手段をとっているだろうから。だから彼らにも、アズリアを利用し、苦しめているという罪悪感はあったのだ。

 ただ、アズリアと同じように、その事実から目を背けていただけで。その最初からあった罪悪感が、今回の件で大きくなり、無視できなくなったのだった。


「大丈夫よ。みんなありがとう」


 アズリアは自身のことを心配そうに見ている仲間たちを見回すと、クスリと笑ってからそう言って立ち上がり、アキラのことを見つめた。


「ね? 人も捨てた者じゃないでしょ?」

「……まあ、そうかもな」


 そこで二人の会話は途切れてしまい、今までアズリアのことを心配して駆け寄っていた三人はアキラのことを思い出すとそれぞれが武器を構えてアキラに対峙した。


 そして今にも戦いが始まってしまいそうな中、アズリアが口を開いた。


「……ねえ。最後に私と戦ってくれない?」

「お前と?」

「そう。さっき言ったでしょ? こっちに戻ったらお願いを聞いてって。ね?」

「まあ、それをお前が望むなら構わないけど……そんなことでいいのか?」

「ええ。……あ、私だけでいいから。じゃあいくわよ?」


 アズリアはそれだけ言い残すと、アキラの準備を待つことなく聖剣で攻撃を仕掛けた。


「やあああ!」


 叫びと共に上段から振り下ろされたその攻撃は、並の相手では受けることは難しいだろう。それどころか、切られてから初めてその事実を認識することになるかもしれない。それほどの一撃だった。


「お前、実はわりと怒ってるだろ?」


 だがそんな必殺の一撃も、アキラには届かない。いつのまにか手に持っていた剣でそらされたのだ。


 しかしアキラも何事もなく、とはいかなかった。聖剣をそらすのに使った剣はその負荷に耐えきれずに折れてしまい、アキラ自身は腕の一部を切られてしまっていた。


「そんなことないわよ? まあ、ちょっとばかり本気でやらせてもらうけど、ね!」


 そう言って再びアキラに向かって走り込むアズリア。アキラはそれを新しく取り出した剣で受け止める。

 今度はあらかじめ分かっていたので剣に魔法をかけて強化することができたので、聖剣を受け止めることができた。

 だが、それでもさすがは剣の神の力が宿った神器。半端な神である上、専門分野が違うアキラが急造で施した強化では、完全に耐え切ると言う事はできなかった。


 数合打ち合う度にアキラの剣は消耗していき、折れてしまう。その度に新たな剣を取り出して強化をかけ直すが、このままでは同じことだ。


「あなたも本気を出してよ! そんなだと許してあげないわよ!」

「……なら、少しずるいが、要望通り本気でやらせてもらうとするよ」


 その瞬間、アキラの動きが変わった。

 今までは振られているアズリアの剣を大きな金属音を立てて弾いていたのだが、突如その音が消えた。よく耳を凝らせばまだ音は聞こえるのだが、その音は今までのような乱暴な衝突の音ではなく、キイィィンと澄んだ音になっていた。


 突然そうなったのは、何もアキラが手を抜いていたと言うわけではない。さっきまでの斬り合いが『アキラ』にとっての本気だったのだ。

 ではなぜいきなりアズリアと斬りあえるように……それどころか圧倒できるようになったのかといえば、アキラが魔法を使ったからに他ならなかった。

 とは言っても、アキラがアズリアに魔法をかけたわけではない。

 アキラが使った魔法は、アズリアの思考の読み取り。これによって彼女の次の動きが分かり対応できるようになった。

 そしてもう一つ。どちらかといえばこちらの方が重要であり、先の思考の読み取りは単なる補助でしかない。

 そのもう一つの魔法とは、自身の記憶の呼び出しだ。そんなことでアズリアの……勇者の剣戟に対応できるようになるのかと疑問に思う者もいるだろう。だが、アキラの中には『剣の女神』と戦った時の記憶があり、その動きは嫌になる程体験している。それに加え、アキラの魂はその剣の女神と半ば同化している。アキラ視点の女神の動きと、女神視点の女神の動き。その両方の記憶を自分の中から呼び起こし、その動きをなぞることでアキラはアズリアの動きに対処していた。


 つまるところ、今アズリアの前にいるのは『剣の神』だ。多少その力は前世より劣っているものの、それでも人に勝てるようなものではない。それがたとえ『剣の勇者』であったとしても。


 そして戦いは決着を迎える。

 開始の時と同じようにアズリアが剣を振り下ろし、アキラはそれを逸らした。だが、今度はただ逸らしただけでは終わらず、アキラの剣がアズリアの首元へと突きつけられていた。


「……あははっ! …………はぁ、やっぱり勝てないかぁ〜」

「まあこれでも色々とあるんでね。負けるわけにはいかないんだよ」


 魔法を使わなければアキラが負けていただろう。

 当初、森であったときは脅威とは感じなかったが、今のアズリアはそれほどまでに強くなっていた。


「その剣、ちょっと貸してくれ」


 戦いが終わりその場に蹲み込んでいたアズリアにアキラは近づきながら聖剣を貸せと言う。


「これを? はい」

「っと。……お前、意外といい性格してるな」


 アズリアは一旦自身の手の中の聖剣に目を落とすと、その剣をアキラに向かって差し出すのではなく、思い切り投げつけた。


 もちろんそれは全力ではなく、アキラも受け止められる程度のものでしかなかったが、常人が受ければ即死級の攻撃だった。


「そうかしら? あなたならそれくらい問題なく取れると思ったんだけど、もしかして怖かったかしら?」


 そう言ったアズリアの言葉に何か言い返そうとしたアキラだが、結局何も言い返すことなく受け止めた剣に視線を落とした。


 そして、自身の手の中の剣に何やら魔力を流し始めた。


「っ! な、何をしているのですか!?」


 神器である聖剣に勇者ではないアキラが勝手魔力を流し、何か細工をし始めた。アキラを見とがめたソフィアだが、彼女が近寄って止める前にアキラの作業は終わってしまう。


「これでいい。本来の製作者じゃないからそこまででもないが、それでも一部は混じってるわけだし多少はお前の力になるはずだ」


 アキラはそう言いながら、さっきのお返しとばかりにアズリアに向かって聖剣を投げ返した。その速度はアズリアが投げた時よりも遅く、常人であっても頑張れば取れないこともない程度のものだったが。


「製作者? 混じってる? ……何をしたの?」

「なに、ちょっと女神の力──そのカケラを埋め込んだだけだ」

「女神様の力? ……あなた一体何者なのよ」


 アキラは言ってからしまったと自身の失言に気がついた。

 本当はアキラは女神のことなど言うつもりはなかった。当然だけど。行ったところでまず信じてもらえないし、最悪の場合は教会を敵に回す。アズリアの同行者には教会から派遣された者がいるのだから、言ったら面倒になることは目に見えていた。

 だが、アキラはアズリアのことを気に入っっていた。それ故に口が軽くなり、いらないことまで行ってしまったのだ。あまりにも気が緩みすぎていると言える。


「……うーん……まあ、迷惑かけたし、いいかお前なら」


 だがアキラは、言ってしまったしまあいいか、と思い直しアズリアに話す事にした。

 最悪の場合はアキラが教会と揉める事になるのだろうが、流石にそこまで下手を打つつもりはアキラにもない。

 普段はあまり人間には使わないようにしているが、今回は外道魔法を使ってアキラの秘密に関しての記憶を消すつもりだった。


「コホン。では改めて自己紹介をしようか。俺はアキラ。夢と魂を司る十一番目の神様だ」


 両手を広げながらそう言ったアキラの様子はどことなくカッコつけているように見え、それはさながら中学二年生が発病する病気にかかっているかのようにだった。

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