第79話アズリアの嘆き
「え……? 何これ。私さっきまで……」
気がつくと、アズリアはどこかで見た事がありそうななさそうな、言ってしまえばどこにでもある平凡な建物の中にいた。
カウンターやテーブルなんかが置かれているところを見るに、食事処、もしくは宿屋の類だろう。
だが、先ほどまでアキラと対峙していたと言うのにこんなところにいる理由がわからず、アズリアは混乱して辺りを見回している。
「アーズーリーア! 何してるの。早く行くよ」
そんなアズリアに、建物の入り口から顔を見せたセリスが声をかけた。どうやらこれから何処かに行く様子だ。
「あっ、えっと、ごめんなさい」
アズリアは訳がわらないが、とりあえず戦っている様子ではないし、状況を確認すると言う意味でもみんなのところに行こうと思って歩き出す。
だが……
「全く勝手に止まんないでよね。アンタが寄り道するせいでただでさえ遅れてるんだから」
「……え?」
踏み出したはずのアズリアの足は、数歩と進まないうちに止まってしまった。
今まで聞いたことのないセリスの言葉。今まで見たことのない態度。今まで感じたことのない侮蔑の視線。
今までのセリスとはあまりにも違う様子に、アズリアは脚だけではなく思考までも止まってしまった。
「ん? 何? ……もしかして、迷惑じゃないとか思ってた?」
だが、訳が分からない状況で混乱しているところに投げかけられたセリスの言葉によって混乱しているアズリアに向かって、セリスは更に言葉を続けた。
「この際だから言っておくけど、私はお金になるからアンタについて来てるだけで、アンタのことは良い子ちゃんぶって面倒かける馬鹿な女って思ってるし、大っ嫌いだから」
そう言ってのけるセリスの表情は、まるで汚物でも見るかのように嫌悪感を感じているものだ。
当然、アズリアは今までセリスにこんな顔を向けられた事はないし、セリスどころか誰からも向けられたことはなかった。そのはずだ。
「セリ、ス……?」
「チッ、そうやって名前を呼ばれるのも嫌なのよね。いかにも仲間です〜、って言ってるみたいでさ」
「な、なにを、言って……」
なにを言っているのか、とアズリアは震える唇を必死に動かしてセリスのなを呼ぶが、返ってきたのは拒絶だった。
(一体なにが……どうしてセリスはこんなことを言うの? どうしてそんな目を向けられなきゃいけないの? そもそもこれはなに? ここはどこなの? さっきまで戦ってたんじゃないの? これは……夢?)
分からない事だらけのアズリア。その頭の中には様々な疑問が浮かび上がるが、一つとして正解は出てこない。
いや、最後に思い浮かんだ目の前の光景から目を背けるための考えこそが正解なのだが、アズリアにはそれが気づけない。
「セリスの言う通りだ、アズリア」
「チャールズ?」
動く事なくその場に立ち尽くしていたアズリアの前に、いつの間にかチャールズが現れていた。
そして、チャールズはセリスとは違い侮蔑の視線を向けることはなかった。だがチャールズもまた、セリスと同じように今まで向けられたことのない視線をアズリアへと向けていた。
チャールズの瞳に映るのは、侮蔑ではなく、道具を見るかのような無機質なものだった。
「本来お前は我ら王家で管理しておきたいところを、出来る限り『勇者』であるお前に配慮して今のように自由行動を許されているのだ。そこのところをよく考えた上で行動して欲しいものだな。お前が勝手に人助けだなんだと行動した結果起こるこちらの苦労も考えてみろ」
「ご、ごめんなさい……」
「ハァ……全く。謝ればいいというものでもないのだがな。お前は我らの言う事を聞いて勇者として働き、そして俺の子供を産んで王家に勇者の血を残せばいいのだ。それ以外の行動はするな」
セリスに続きチャールズまでもが自分に辛辣な言葉を言っているこの状況は訳がわからないが、いつもの癖でつい謝ってしまうアズリア。
だがそんなアズリアにチャールズはため息を吐き、そして自分の子供を産めば良いと、目の前で直接言われたアズリア本人も、もしかして聞き間違いではないだろうかと思ってしまうようなことを言われた。
そして当然ながら、アズリアはチャールズに今までそんなことを言われたことはなかった。
だと言うのに、チャールズはセリスと同じようにアズリアに向かって吐き捨てるように言った。
自分を見つめる二人の視線が怖くて、アズリアの体が震えだす。本当は今すぐにでもその場に崩れ落ちてしまいそうな程だ。だが、それでもアズリアは蹲ることなく立っている。
(違う! これはきっと違う! だっておかしいもん。これは夢。夢なの。だってそうじゃないとおかしいんだからっ!)
だが、そんな状態が続くのもそこまでだ。
「皆さん何を言っているのですか!」
「ソフィア……」
アズリアを責めるように言葉を吐き出すセリスとチャールズをどけるように強引に前に出てきたソフィア。
アズリアはそんな彼女をまるで救いのように見つめ、瞳を滲ませながらその名前を呼んだ。
「ご安心を、アズリアさん。二人はああ言っていますが、私はあなたの行動を支持します」
その言葉が今のアズリアにとってどれほど嬉しかったことか。
自分のやってきたことを否定され、今まで仲良くしてきたのは目的のためだと言われ、裏切られた今のアズリアにとっては、自分の考えを間違っていないと言ってくれるソフィアの存在は本当にありがたかった。
「ソフィア──ッ!」
「だってあなたは『勇者様』なのですから」
「え……」
だが、そうして笑いかけられた言葉には違和感があった。
『勇者様』。
ソフィアはよくその言葉を使うけれど、その言葉は彼女の理想を示す言葉だ。
強く凛々しく、魔物を倒し人々を救う。そんな御伽話に出て来るような理想の『勇者様』を示す言葉。それがアズリアに投げかけられた。
アズリアは自分を見つめているソフィアの瞳を見つめ返し、よろよろとおぼつかない足取りで一歩ずつゆっくりと後退していく。
「アズリアさん。あなたは『勇者様』らしく行動していただければそれでいいのです。人を助けるだなんて、『勇者様』らしくていいではありませんか!」
アズリアを映しているソフィアの瞳には、だがアズリアは存在していなかった。彼女の瞳には自分の思い描く『勇者様』しか存在していなかった。
「……」
「ですが、『勇者様』らしくない行動はいけません。この間あなたは剣の勇者であるにも関わらず、子供に負けましたよね? それはいけません。『勇者様らしく』ありません。あんな子供でも強くなれるのですから、あなたももっと頑張っていただかないと。それでは立派な『勇者様』になれませんよ」
アズリアの行動には人助けが多い。旅の途中で寄った町で、誰かが困っていれば手を差し伸べ、道中で厄介な魔物や盗賊の噂を聞きつければ少し遠回りをしてでも対峙しにいく。それはソフィアの思い描く『勇者様』としては合格だった。
だが先日、アズリアは魔境で出会った少年──アキラに負けてしまった。
本人は自分の負けだと言っていたが、そうでないことは誰の目にも明白であり、それはソフィアにもわかっていた。
だがそれは、アズリアには理想の『勇者様』でいることを求めている彼女にとって到底許し難いことだった。たとえそれが誰にも言わず、表面上は笑っていたのだとしても。
今まで勇者一行のメンバーの中では一番仲良くしていたと思っていただけに、アズリアはソフィアの瞳に自分が映っていないことが自分が写っていないこと怖くなった。
ソフィアが見ていたのは神器の担い手として選ばれた『剣の勇者』であって、アズリアという自分ではないのだと、アズリアは理解した。
アズリアは崩れそうになる体を奮い立たせてなんとか立っていられたアズリアだが、そのことを理解すると同時に体から力が抜け、ドサリとその場に座り込んでしまった。
「ふぅ。皆好き勝手言っておるのぉ」
「ダスティンさん」
そうして最後に残った勇者一行のメンバーであるダスティンが三人の後方からやってきたが、アズリアは気の抜けた顔でダスティンのことを見上げるとその名を呟いた。
「まあ分からんでもないがな。アズリアよ。お主は少々勝手が過ぎる。目の前で助けられるものは助けたい。それは構わぬ。こちらとしてもそれを止めようとは思わぬ。だが、噂を聞いて助けに行こうと言う。これはやめてもらいたい。チャールズ殿下も言っておったが、お主が人助けとして方々に動くせいで後処理がどれほど大変なのか理解しておるのか? おらぬだろう?」
「……」
もはやアズリアはなにも答えない。うっすらと力のない笑顔を浮かべて自分に語りかけているダスティンを見ているだけだった。
「全く。わしとしてはお主の勇者としての能力や性質を調べられればそれでよかったのだが、肝心の勇者としての能力は今ひとつ。多少は力があるが、文献や聞いていた程ではない。今ではハズレを引いたやもしれぬと後悔しておるよ」
それだけ言い切ると、ダスティンの姿はその場から消え去り、それだけではなくその場にいた他のメンバー達も消えていた。
「勇者様!」
「アズリア様!」
背後から聞こえたそんな声にアズリアはのろのろと振り返る。
するとその視線の先には今までいた建物など存在しておらず、幾つもの家や家畜の存在しているどこか開放的な場所になっていた。
「……みなさん」
この景色の場所はアズリアが今まで助けてきた村の一つで、アズリアの事を呼んだのは今までアズリアが助けてきた村の者達だ。
「村を助けていただいてありがとうございます!」
「あなたのおかげで助かりました」
「あなたがいなければこの村はどうなっていた事か……」
そう言って笑いかけられうアズリアだが、感謝されているにもかかわらずアズリアは無表情を張り付けたままピクリとも笑わない。
それはいつものアズリアからすれば異常な事だ。彼女はどんな時だって全ての者に笑いかけていた。自分が辛い時でも、苦しい状況でも。どんな時だってアズリアは大丈夫だと言って笑っていた。
だというのに、今は笑いかけないどころか、まともに動こうとさえしていない。
だがその理由はわかる。
だって……
「でも、出来ることならもう少し早く来て欲しかったです」
「そうだな。そうすれば家畜が減ることもなかったし」
「そもそもこんな被害が出ないように動くのが勇者ってもんじゃないのか?」
「まあそうだな。ってなると、勇者様が遅れて来たのは普段怠けてたからって事か?」
「はあ? それで俺たちから巻き上げた税でいい暮らししてんのかよ?」
「なんだよそれ! ふざけんな。何が勇者だよ!」
「お前なんていなくても変わんねえんだよ!」
「さっさといなくなれ! その分無駄に減る税が無くなるんだからよ!」
「そうだそうだ! お前は要らねえ! 邪魔だよ。消えちまえ!」
──だって、どうせこの人たちも自分を否定するのだから。
「……………どう、して」
今なお続けられている村人達の暴言を聞きながら、アズリアは小さくそう呟いた。
するとどういうわけか、アズリアがそう呟いた途端今まで騒いでいた周りの者達は大人しくなって誰一人としてなにも話さなくなった。大人も子供も。犬も牛も鳥も虫も、その全てがなにも言わない。
「どうしてみんな、そんな事を言うの? 私はみんなに言われた通りにやってきたよ? 怖くても魔物を殺して、痛くても苦しくても戦ってきたの。なのに、なんでそんな事言うの……?」
誰も話すことのなくなったそんな中で一人、アズリアだけが言葉を紡ぐ。
「私だって嫌だった。私だって戦いたくなかった! 私はただ家でお母さんとお父さんと一緒にお店をやっていられればそれでよかったの! それでもみんなが言うからっ! お前は『勇者』だって。戦って、人を救わないといけないんだって言うから今まで頑張ってきたのにっ! それなのにどうしてっ!」
いやだ。勇者になどなりたくない。そう泣いているのは勇者などではなく、ただの一人の少女だった。
だが、アズリアの嘆きに応えるものは誰もいない。周りにいたはずの村人達も、いつの間にかその姿を消していた。暗い暗い闇の中で、アズリアは一人ぼっちで蹲る。
「アズリア」
誰もいなかったはずのその場所に、突然アズリアの名を呼ぶ者が現れた。アキラだ。
「……これが、人間ってやつだ。勝手な理由でお前に辛い事を押し付けて、それが当然だと言って誰もお前に感謝しない。そんな奴らを、お前が助ける必要はあるのか?」
今アズリアの見た光景は、彼女が本当は心の中で気がついていた事。
だが、そんな事あるわけがない。そんな事あってほしくない。そう思って目を背けてきた事だ。
実際、アズリアは気がついていた。
セリスが自分のことを時折陰で嗤っているのを。
チャールズが自分のことを見下した目をしているのを。
ソフィアが話しながらも自分のことを見ていないのを。
ダスティンが自分のことを厄介なものとして見ていたのを
そして、助けてきた者達が、本当は心の底から感謝などしていなかったことを。それどころか、自分に対して罵倒をしていたことを。
それら全てに、アズリアは気がついていた。ただ、そんなことはあって欲しくないと目を背けてきただけで。
アキラはその目を背けてきた現実を見せつける。アズリアの心を折るために。
「お前は優しいやつだ。戦いになんて向いてない。疲れただろ? 苦しかっただろ? ここで逃げたって俺はお前を責めない。誰がなんと言おうと、世界中の全員がお前を責めようと、俺はお前を絶対に責めない。だってお前は悪くないんだから」
「私は、悪くない……」
「そうだ。だから、お前が望むなら勇者なんてものを辞めさせてやる。『勇者様』なんてものを捨てて、元の花屋をやらせてやる。お前はそうしたいと願っていたはずだ」
これはアキラの善意。この光景を見せることは決して悪意から来るものではなく、心からアズリアのことを思っているからこそのことだった。
見たくない光景を見せつけ心をへし折ることのどこが善意かと言われてもおかしくはない。
だが、見たくない現実から目を背け、辛さを心の奥に押し込めた状態で笑顔を作らなくてはいけない状況にずっとい続けるのとどちらが良いかと言ったら、それは果たしてどちらなのだろうか。
少なくともアキラは、今の状態のまま勇者などを続けるよりも、一度心を追ってから勇者などやりたくないとアズリア本人に思わせる事で普通の生活に戻した方が彼女のためになると判断した。
だがそんな事をするぐらいなら、アズリア達に外道魔法をかけてアズリアは勇者ではなかったと認識させておいた方が良い。その方が誰も傷つかない。
だが、その方法では矛盾が出てしまう。
もしアズリア達勇者一行の全員が忘れたとしても、それ以外の者はアズリアが勇者であった事を覚えている。いくらアキラといえど、流石に国中の全員の記憶を改竄することは難しい。
実際に行動したとしても、もし一人でも魔法をかけ損ねた者がいれば、その者が少し刺激しただけでで本来の記憶を取り戻す事だってあり得る。記憶の改竄とは、それほどまでに繊細なのだ。
かつてアキラがゴブリンの群れから助け出した女性──コーデリアの時は、彼女一人にだけ厳重に魔法を施したからそう易々とは解けないだろうが、それでさえいつ本当の記憶を思い出すのか分からないのだ。国中の者全員を魔法にかけると言うのは現実的ではなかった。
それ故にアキラは今回のようにアズリア自身に勇者を捨てさせる方法を選んだ。
その結果、彼女に恨まれる事になったとしても。
(……ああ。良かった。ちゃんと、頑張ったって認めてくれる人もいたんだ)
勇者なんていやだった。戦うなんて嫌だった。
良くやった。そう褒めてもらえたなら、私は頑張ったんじゃないだろうか?
勇者をやめても良い。そう言われたのなら、続けなくちゃいけない必要はないんじゃないだろうか?
アズリアの心の中にはそんな思いが生まれ、そしてどんどん強くなっていった。
みんなには笑っていて欲しいから、だから勇者になった。けど、仲間は自分のことを否定し、自分のやってきたことを否定する。そして助けた人たちは喜んでくれない。
それでもまだ頑張りが足りないからと思っていたけど……もう、良いんじゃないだろうか
そう思ったアズリアの中に、ふと一つの光景が浮かんだ。
「あ……」
それは以前に助けた子供だった。
魔物に襲われていたところを偶然遭遇したアズリアが助け、親のところへと届けたのだ。
ありがとう、とそう言ってこどもは笑い、その両親もアズリアに感謝して笑っていた。
不意に浮かんだその光景が嘘だとは、アズリアには思えなかった。
その後もアズリアの中にはいくつもの記憶が思い浮かぶ。
なるほど。確かに仲間は自分のことを『仲間』として見ていなかったかもしれない。助けたもの達は自分に対して感謝していなかったかもしれない。
だがそれでも。それでも喜んでくれている者も確かにいたのだ。
辛いことがあった。苦しいこともあった。悲しいことだってあった。
でも、誰かに喜んでもらうのは嬉しかった。誰かに笑顔になってもらうのは嬉しかった。
確かに助けた全員が喜んでくれたわけじゃない。中には文句を言う人もいたし、罵倒する人もいた。
けど、それは全員じゃない。
「……アズリア?」
いつまでたっても返事がないどころか、今まで話しながらも虚だった瞳に力が宿り出してきたアズリアに、アキラは声をかける。
だが、アズリアからの返事はなく、その瞳に宿る輝きは増していくばかり。
「ごめんなさい。私はあなたの手を取れないわ」
ゆっくりと、だが力強く立ち上がったアズリアはアキラのことを正面から見据え、そう言い放った。
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