第23話母の思い

「うう。まだクラクラするな」


記憶を取り戻した晶。その中では今、一度死んで生まれ変わるために試練を受けた晶と、この世界で生まれ育ったアキラとの二つの人格が混ざり合い一つになっている最中だ。とは言ってもそれはこの世界のアキラを殺してその体を乗っ取ると言うわけではない。言うなればただの記憶喪失と同じだ。記憶を無くした人が記憶を思い出したとしても記憶がなかった間のことを忘れてしまうわけではない。アキラの場合は生まれ変わりという少し特殊な状態だが問題はない。もともと一つの魂なのだから拒絶反応などもなく、少しじっとしているだけでだいぶ混乱が治まっていた。


「ふう。だいぶ落ち着いてきた。ーー記憶の確認を込めて一回外に出てみるか」


記憶の統一自体はもう終わっているが、それでもなんらかの欠損がないとも保証できない。『晶』としての記憶は確かめようがないけど、この世界で生まれた『アキラ』としてなら問題がないか確認することができる。なので晶は早速部屋の外に出た。正確には出ようとした。

晶がドアを開けた瞬間、ちょうど向こう側からも部屋に入ろうとしたようでその人とぶつかってしまった。


「あっ」


部屋に入ってきた女性ーーアイリスはそれだけ呟くと他に何も言わずに晶のことをぎゅっと抱きしめた。


「ーーよかった。本当によかった。目が覚めたのね」


自分のことを抱きしめている母親が良かった良かったと言いながら泣いている。

抱きつからながら泣かれたことなど前世でも今世でもなかった晶はどうしていいかわからず、ただ彼女の気がすむまでそのままにするということしか出来なかった。



「ねぇ母さん。どうして僕は部屋で寝てたの?教会にいたはずだったんだけど」


泣くのが一旦落ち着いたところで晶はどうして自分がここにいるのかを聞く。もっとも、その理由に大体の予想は出来ているので答え合わせという意味が強い。

その言葉にアイリスはハッとして晶のことを離すと、晶のことを見つめ何があったのか話し始めた。

なんともアキラは4日もの間眠っていたようですごく心配だったと再び泣き始める。



再び落ち着くのを待ってから改めて聴くと、アイリスが言うには教会での祝福で晶が倒れた後騒ぎになったそうだ。

祝福で倒れるなんて悪魔が化けているんじゃないかと言う声が一部から上がった。もちろんそれはたんなる子供の戯言ではあったが、それを聞いていた司祭は「その可能性もあり得る。すぐに調べなくてはならない」と晶のことを拘束しようとした。しかしそんなあるはずがないとエリナが司祭に食ってかかり他のアキラの友人たちもアキラが捕まるのを止めようとした。みんなの行動で時間を稼いでいるうちにウダルがアキラの家まで走ってアイリスを呼び事の顛末を話すと、急いで教会に向かい拘束されそうだったアキラを家に連れ帰ったらしい。

その後アキラが寝ている間に家に教会のものが来てアキラが悪魔かどうかを調べ、結果はなんともなくただの勘違いという結論になった。

だが話はそこで終わらない。ただ体調が悪く倒れただけのアキラを悪魔ではないかと中傷し拘束までしようとしたとして、母アイリスは教会相手に喧嘩を仕掛けていた。

喧嘩と言っても物理的なものじゃない。アイリスが支店長を務める実家でもあるアーデン商会はそれなりに大きく、支店とは言ってもこの街で一二を争うほどの大商会だった。そうなると当然ながら街の重要施設も取引相手としており教会もそのうちの一つだった。

アイリスは己の持つ権力を利用して教会との取引を停止したり教会が必要としているものに規制をかけたりしていた。

もちろんそんなことをすれば色んな場所から非難の声があるがアイリスはそんなことは気にしない。自身の命よりも大事だと普段から公言している存在が不当に貶められたのだ。教会側から謝罪が来るまで手を抜くつもりなどなかった。


その話を聞き晶の全身から冷や汗がダラダラと流れ落ちた。


(何やってんの母さん!確かに教会の対応には思うところがあるけど、教会相手は流石にやり過ぎでしょ!


このままでは実家であるアーデン商会になんらかの害が出てしまう。それどころか教会と貴族は繋がっているのだから最悪商会そのものがつぶうされてしまうかもしれない。そう思った晶は自分はもう大丈夫だからと母を説得しにかかる。


「でも、このままじゃアキラが悪者にされちゃうじゃない」


悪者とはどう言う事なのだろうか?と言う疑問を母に聞いてみる晶。


「違ったとは言っても一度は教会の審問を受けたのよ?だったら教会から正式に違った事を謝られないとアキラには何か問題があるって噂が広まっちゃうわ」


「そうなったら今後何かするときに障害になっちゃうかもしれない」と女神との約束を果たすために色々動こうと思っている晶にとってとても困る事だった。

だが今の状態をこのままにしておくわけにもいかない。

自分もこうして無事起きたんだしどうにか教会との喧嘩を終わらせてほしいと再度説得しにかかる。その結果、明日にでも教会の連中を呼び出し話をする事になった。その際教会が何か言ってくるかもしれないが物流を止められて困るのは教会側だ。長期的に考えれば晶たちにも害があるのだがその程度で潰れるような存在ではないとアイリスは言う。


「それにね、自分の子供を守りたいけど被害が出るから何もしない。なんて事はあり得ないわ。どんな状況であっても何を捨てたとしても、自分だけは絶対に子供の味方でいる。それが『親』と言うものよ」


アイリスはそういって再びアキラのことを抱きしめる。

そう言われて晶は自分が母の知っている『アキラ』ではないことに罪悪感を覚えた。

もちろん今の晶も忘れていた記憶を思い出しただけで同じ『アキラ』である事に変わりはないのだが、それでも本当の意味で同じとはいえなかった。

自分が母の知っている『アキラ』ではない事を告げるべきか。でもそうすると今度は本当に悪魔として対応されるかもしれない。このまま教えないほうがいいのではないか。晶の中にはそんな葛藤が生じていた。

晶の様子がおかしい事に気づいたアイリスは一旦体を離して、まだ起きたばかりで気分が悪いのかと尋ねる。

本気で心配している母親の姿を見て晶の葛藤はさらに強くなる。

前世において記憶もはっきりしない頃に両親を亡くし親戚に預けられた晶だったが、預けられた先で愛情を与えられる事はなかった。それは成長してからも同じであり、晶は他人から『愛情』と言うものを向けられる事なく育ち、死んだ。

そのため今世の母親からかけられる愛情に戸惑い、遂には自分が母の知っているままの『アキラ』ではない事を告げる。


なにかあるだろう。いや、なければおかしい。これほどまでに『アキラ』のことを愛しているのだからそこに混ざった『異物』を嫌悪するだろう。しかし、晶の予想とは全く違う答えが母アイリスの口から出てきた。


「そう」


アイリスはそれだけ呟いて無言になる。

晶はそんな母の姿を見ていることができず知らず識らずのうちに徐々に下を向いてしまっていた。自分の服の裾を握りしめるその姿はまるで叱られることを恐れている子供のようだ。

どれどの時間が経っただろうか。実際には数秒しか経っていなかったのだろうが、その数秒が今の晶には無限にも等しく感じられ、不安に押しつぶされそうになった。その不安は『晶』としてではなく『アキラ』としてのものもあった。と言うよりもそちらの割合の方が大きかった。

現在『晶』の感じている不安は、自分の母親でありここまで愛情を注いでくれる女性を悲しませてしまうのではないかと言う不安。

それに対し『アキラ』の感じている不安はこのまま自分は母に捨てられてしまうんじゃないだろうかと言うもの。生まれ変わって記憶を思い出したと言ってもそれで『アキラ』がいなくなったわけではない。何の力もない子供が親に捨てられる恐怖というものは計り知れないものだろう。いや、力があったとしても自分を愛してくれた親に捨てられるのが怖いのは変わらないだろう。

その無限の不安を消すかのように母、アイリスはアキラのことを先ほどと同じように、けれど先ほどよりも強く温かく抱きしめる。


「ありがとう。話してくれて。けど、あなたがどんな存在だとしてもあなた|も(・)私の息子よ。何があっても見捨てたりなんかしないわ」

「え?」


晶にはわけがわからなかった。自分は息子の中に入り込んでいる『異物』である。普通は罵詈雑言をあびせどうにかして追い出そうとするのではないだろうか。それなのに感謝されている。これが演技で後から何か対策をとるのかとも晶は一瞬思ったがどうやらそういった感情の類は見られない。そんな彼女を疑ったことで晶は自己嫌悪する。


「話してくれてありがとう。こんな大事な事、話すのは怖っかたでしょう?でもね。安心してもいいのよ」

「ーーなん、で……」


晶は目の前の女性からかけられる際限ない愛情に、ただ疑問を抱くことしかできなかった。


晶として生きていた時には誰かの愛情を感じることはなかった。

幼い時に両親が死んで以来預けられた家での扱いは|いないもの(・・・・・)として扱われ、最低限の対応はされたがそれまでだ。それどころかその家にいた自分より年上の少年からはいじめを受けていた。機嫌が悪いとサンドバッグの代わりとして殴られ、夫妻も何か困ったことが起きると決まって晶を怒鳴りつけ暴力を振るった。

痛いのは嫌だ。と晶はせめて何の迷惑もかけまいと常に他人の顔色を伺うようになった。夫妻の顔色を伺い、少年の顔色を伺い、何の報告もされないようにと学友や教師の顔色を伺う。それでも理不尽な暴力は無くなりはしなかったがそれでも回数自体は減っていた。

義務教育が終わるとすぐさま住み込みの場所で働き始めた。そこでも染み付いた癖は抜けずに他人の顔色ばかりを伺い、出来る限り誰とも関わらないように生きてきた。それでも晶はその状況に不満などなかった。誰も自分に暴力を振らない環境。それだけで十分だった。ただ一つの不満を除いては。

晶の預けられていた家の少年は晶が働き始めてからも高校、大学、と進んでいったが金が必要になるたびに晶に無心していた。断ってしまえば夫妻が何かするかもしれない。働いているとはいえ当時の晶は未成年。保護者が何かすれば逆らえなかった。

そうして二十歳になった瞬間、悪いとは思っていても今までいた仕事場をやめ誰も知人のいない遠くへと逃げていった。

そこで得られた仕事は住み込みではないものの、誰も自分の事を知らないということが気に入り真面目に仕事に打ち込んで行った。「ここでなら自由に生きられる」そう思った晶は徐々にトラウマを克服していったがトラウマがなくなった後に残っていたものは何もなかった。やりたい事。やらなければならない事。好きな人。好きな事。何にもない晶はないも見つける事なく死んでしまった。

試練を経て女神に恋心を抱いた晶だったが、それは特殊な事だと理解していた。


故に理解できない。『親』というものを知らない晶には目の前の『母親』という存在がなぜ自分を切り捨てないのかを。


「なんで?おかしなことをきくのね。言ったじゃないあなたも私の息子だって。息子を守るのは『親』の役目でしょ?何があっても、誰が相手でも、必ずあなたの味方であり続けるわ。なんて言ったって私はあなたの『お母さん』なんだから」


それ以外の答えはあり得ないとばかりに力強く言われたその言葉を聞き、晶の瞳から涙が溢れ出した。

涙と鼻水で汚れているはずなのにアイリスはアキラを抱きしめる事をやめず優しくあやす。

前世で大人として生きたはずだとか、精神年齢は子供ではないのに、とか思いながらも晶は泣く事をやめられなかった。初めて得た母親。彼女の前では生まれ変わったといえど晶はただの子供でしかない。その事に心地よさを感じ、次第に晶の意識は薄れていき再び眠ってしまった。

そんな晶を愛おしそうに抱き上げベッドに寝かせると起こさないように静かに部屋を出ていった。


「さて。アキラに悲しんでほしくないから教会と決着をつけましょうか」


アイリスはそう呟き歩き出す。ただ息子に喜んで欲しいがために。

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