第33話 大事なひと
一方その頃、アイが憑依した男は黒い大型バイクに乗りサンクアールの街を猛スピードで駆け抜けていた。前を走るのはリンファが乗る車だ。
すると、リンファが窓から何やら物を投げてつけてきたようだった。
「くッ……!」
とっさにそれをかわす。それはヘッドレストのようだった。先ほどからこのような妨害によって中々車まで追いつくことが出来ない。道路の状態が悪い事もバイク側にとって不利である。
「でも、やっと……やっとここまで来たんだ……」
六年前、アイはこの街でロベルに家族を殺されてしまった。ウイルスに感染したというたったそれだけの理由で。それからというもの、アイは教会から仕方なくも支援金を受け取りながら、孤独に生きた。ロベルに対する復讐を願い、それだけを目標にして。
その目標が今目の前にいる。ここまで追い詰めてる。それを考えアイはさらに速度を上げた。
「絶対に逃がさないわよロベルッ!」
しかし、追い詰められているのはアイも同じである。
アイは二度目の距離の観測によってその候補者をぐっと減らされてしまった。しかしそれでも、まだ候補者は多少なりともいたはずだったが、運悪くアイはターゲットにされてしまった。アイ本体は現在、とある科学工場にまで逃げ込んでいる。
アイは物陰に隠れているが、ロベルの私兵がそこらにいて、アイの姿を探している。掛け声や足音が聞こえてくる。これではもう、別の場所に移動すら出来ないだろう。
見つかれば、感染すらさせられず殺されてしまう可能性が高い。
生死を分かつ極限状態の中だからか、その時アイの頭にふと、これまでの事が浮かんできた。
アイは二年前に感染主としての能力に目覚めた。そしてロベルに復讐をする事を決め、そのあとは各地でロベルの憑依を目撃し、なんとかあの学校に本体がいる事を突き止めた。
それから内部事情を知るために、学校関係者の味方を作る必要があった。
しかし当たり前だが、こんな事をお願いして手伝ってくれるような者が都合よく現れるとも思えない。世界は暴徒化事件以来、完全にロベル側に傾いてしまっているのだから。
だからアイは小春に自身を憑依させて、春樹とシャーリーを脅したのだった。そして彼等とのロベル特定のための生活が始まった。
それは当初、完全にそのためだけの生活のはずだった。しかし、いつの間にかアイはその生活の中で、過去に過ごした家族の温かみのようなものを二人から感じ始めていたのだった。
でも……。
アイはその感情を頭の中で振り払う。きっとあれは幻想か何かだったのだろう。
なぜなら二人はロベルの味方なのだから。彼等がアイと一緒にいてくれたのは、ただ小春を人質にしていたから。彼らは仕方なくあの生活を送っていた。二人が向けていた親切心のようなものはアイではなく小春に向けてのものだったのだ。毎週どこかしらに遊びに出掛けていたのも小春の体のストレスを解消するためでしかなかったのである。
その証拠だってある。アイが以前ロベルを追い詰めたと思っていた時、春樹もシャーリーもそれがロベルが仕掛けた罠だと分かっていながら何も教えてはくれなかった。結局二人はアイの敵なのだ。小春という脅しの材料がなくなった瞬間、二人はすぐにでもロベルの側につくに決まっている。
そこで、アイの視線が再びリンファの乗る車へと定まった。
ロベルはここまで追い詰めてはいるが、目の前にまで迫ってはいるが、まだ手は届かない。
そこでふとアイは思った。これはもしかしたらアイが一人だから届いていないのか? アイとロベルの間に開いた差はもしかしたら誰かが味方してくれるかどうかにあるのではないか。
しかし、そんな事を言ってもこの世界にはアイの味方なんて誰もいない。アイにはアイしかいないのだ。自分しか自分を想ってはくれないのだ。
ならば結局一人でやるしかない。自分を尖らせて尖らせてそしてこの手を届かせるしかない。
そしてロベルを倒す。その先の世界の事なんてどうなったって知った事ではない。自分自身を失う事になったって、もうどうでもいい。こんな、敵しかいないくだらない世界なんて。
「む……!?」
するとその時、リンファの乗る車が速度を落としビルの地下の入口へと入って行った。
アイもその後に当然続いて行く。
通路を下っていくと広い駐車場に出た。その先にはロベルの乗る車が停まってあった。
アイは急いでその元までバイクでたどり着き中を確認する。
「いない……」
車はもぬけの殻だ。するとその時、駐車場の奥で何か物音が聞こえてきた。
「あっちか!?」
観音開きの扉の元までたどり着くと、バイクを降りてそれを開いた。すると、そこには通路が左右に続いていた。
「この道は……」
その通路は薄暗くかなリの長さだった。そしてその壁にはぽつぽつと開口があり左右に通路が続いているようだった。耳に意識を集中させる。すると足音が複数の箇所から聞こえてきた。
「これは……二人じゃない。何人もいる。私を惑わせるためにここで待っていたっていうの」
アイはジトリと額に汗をかく。一体どこに向かえばいい。誰を追えばいい。
これはもう絶望的な状況と言えるのではないか。追う相手を間違えれば大幅に時間をロスしてしまう。もう、すぐ近くまで敵の手はアイ本体に迫っているというのに。もうすぐ殺されてしまうというのに。
もし、こちらも手分けしてロベルを追う事が出来ればいいのだが……アイは一人だ。
「誰か……」
汗は顔を伝い、顎から落ちた。
「誰か助けて……」
そんな事を呟いてしまう。しかしアイには頼れる存在なんて誰もいない。
手は震え、アイの目には薄っすらと涙が浮かんでいた。やはり、アイ一人の力だけではロベルには届かないのか。どれだけ自分を尖らせても、振り絞っても無理なのか。
「はる……き……」
そしてふとその名前を口にしたのだった。しかしアイはかぶりを振る。
「今更、何を言っているのかしら私は……」
アイは春樹を脅して、命令して、騙して……ヒドい仕打ちばかりしてきた。そんな春樹に頼ろうだなんて、さすがに都合が良すぎるのではないか。
そして顔を上げて気を切り替えた。もうこうなったら、このうちの誰かを追ってみるしかない。おそらく失敗するだろうが。そしてアイは一人で寂しく人生を終える事になるだろうが。
そしてアイが震える足でその一歩を踏み出そうとした時だった。
「え……」
遊園地にいるアイの感染者の一人が、遠方から走ってくる春樹の姿をその目で捕えた。
『アイ!』
そして春樹はアイに向かってそう叫んだのだった。アイはとっさにその足を止める。
「春……樹?」
『アイ、リンファを追うのはもう止めろ! こっちに戻ってこい!』
「えっ……」
春樹は感染者の前までやってくると、膝に手を置いて激しい呼吸を整えていた。おそらくよほどの距離を全力で駆け抜けてきたのだろう。
『それはお前に時間を使わせるためのロベルの罠だ! それ以上振り回されるな。このままじゃお前は殺されるぞ!』
その瞬間、アイは春樹の前にいる女に憑依対象を切り替えた。
「な、何を言ってるのよ! 馬鹿な事言わないで! これが罠なんて一体どういうことよ!」
春樹は体を起こすとアイに近づいてその手を掴んだ。そして真直ぐに目を見つめてくる。
「アイ、俺を信じろ……!」
「し、信じろ……? 信じろですって!?」
アイはその手を振り払った。目をぎゅっと瞑り、拳を握りしめて心の内を放つように叫ぶ。
「一体あんたの何を信じればいいのよ! 偽装の事を黙ってたくせに! 私を見捨てたくせにっ! 私が今こんな事になってるのはあんたのせいよ! あんたはどうせロベルの味方なんでしょ! 今だって私を騙そうとしてるに違いないわ!」
しばらくの無言にアイはチラリと目を開ける。すると春樹は自身の首につけていたロベルのペンダントを取り外した。そして振りかぶる。
「え……」
春樹は思いっきりペンダントをぶん投げた。そしてそれは遠方の瓦礫の隙間へと入り込んでいってしまった。
「あ、あんた、あのペンダント……あれだけ大切にしてたのに」
それはロベルに命を救ってもらった時に受け取ったお守りのペンダントだと言っていた。アイに触れさせる事すら拒んでいた代物だったはずなのに。アイは再び春樹の顔を見た。
「こんな事が証明になるか分からないけど、俺はもうロベルを信じることは辞めにしたよ」
「どうして……」
「さっき、司祭に会って話を聞かされたんだよ。このサンクアールの真相を」
「真相……?」
アイはそれから近場にいたというマルコから聞いた話を聞かされた。あの憑依を無効化するウイルスは偽物で、サンクアールを襲ったギノの正体がロベルで、サンクアールの設立から暴動まで全てロベルが仕組んだ計画だったという話を。
「そのせいで俺の両親も死んだ。……結局、全てはロベルのせいだったんだ」
それはアイも知らない事実だった。こんな話が世間に暴かれれば大騒ぎどころの話ではない。
「そう……」
しかしアイは案外驚きもせず冷静な反応を示した。
「まぁ、それが事実なら、確かにあんたとっては衝撃的な真相だったのかもしれないわね。私にとっては神がより最低のクソ野郎だったって事が分かったくらいだけれど」
さきほど春樹が声を掛けてきた時はあんなに心を揺れ動かされたというのに、どんどん心が冷めていく。アイは春樹を蔑んだような目で見つめた。
「でも、なるほどね。よく分かったわ。つまり、あんたも私と同じでロベルに復讐したくなったのね……そして私と利害が一致したから一時協力して奴を一緒に倒そうと言ってるのね」
そうだ、春樹はそういう打算的な理由でここにやってきたのだ。ただそれだけの理由で。
しかしまぁ、アイと春樹は最初からそんなドライな関係だったはずだ。利用し利用されるだけ。だったらそれでいい。こちらに協力するつもりなら少しは役立ってくれるかもしれない。
「……それは違うよ」
だが、春樹からはそんな言葉が返ってきた。アイは眉をひそめる。
「確かに俺はロベルを止めたい。でも、その一番の理由は復讐のためじゃない」
「じゃあ一体なんで……」
「俺はお前に死んでほしくないんだ」
春樹の言葉にアイは一瞬ポカンと口を開いた。
「えっと……いきなり何を言い出すのかしら。私があんたにこれまで何したか分かって言ってるの?」
「あぁ」
当たり前のように答える春樹にアイはついカッとなった。
「ぜ、全然分かってないじゃない! 私は小春を人質にとった! あんた達に事件を引き起こさせた! 今回のことだってサニャの誘拐に加担させたのよ!」
「そうだな……確かに言われてみるとなかなかヒドい奴だな。でも……お前は何だかんだお人よしだよ。いや、甘ちゃんというべきかな」
「なっ……なんですって!」
「全てを失ってもロベルに復讐するとか言いながら、世界を崩壊に導くとか言いながら、お前はまだ誰一人死なせてない。何だかんだ小春の体を大事にしていたし、ロベルに見捨てられたサニャを殺したりする事もなかった」
「そ、それは……!」
「それどころか案外お前は情に厚いと思ってるよ。以前、ホテルの屋上でお前に助けられたとき、そう感じたんだ。今思えばあれは演技でも何でもなかった。お前は俺の事を思ってくれていた」
「や、やめてよ……そんなこと……ないから」
「司祭の話を聞いて、全てがひっくり返って、ぐちゃぐちゃになって、洗い流されて……でも、その時頭の中に残っていたのがお前だったんだ。今からロベルを倒した所で俺の両親は帰ってはこない、この街が復活するなんてこともない。でも、このままじゃお前を失ってしまう」
春樹は自身の胸に手を当ててアイの事を真っすぐに見つめた。
「俺はもうこれ以上ロベルに大事なひとを奪われたくないんだ」
その時アイにはもう、春樹に反論する言葉が浮かばなかった。
「大事なひと……」
ただその言葉を復唱するだけであった。
「ロベルは確かに先を見通す力に長けた頭脳を持っている。憑依によって驚異的な身体能力も使える。でも、俺達が力を合わせれば、きっと奴にも手が届く」
そして春樹は胸に当てていた手を差し出してきたのだった。
「行こう。二人でロベルを止めるんだ」
その手をじっと見つめる。考えてみれば、春樹はアイを更に騙して追い詰めようとしている、なんて可能性もあるのかもしれない。しかし、不思議とそんな迷いは出てこなかった。
アイはこぼれ出した涙を左手で拭いて、春樹の目を見て右手でその手をぎゅっと握りしめた。
「うん……!」
◇
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