第25話 アイの誤算
そして次の日の土曜の午前十一時、学校敷地内にある噴水前で二人は待ち合わせた。
すると、どちらも待ち合わせ時間の少し前には集まってしまった。
「お、お待たせ」
サニャはファーのついた薄ピンクのコートを着ていて少し化粧もしているようだった。なんだか気合いが入っているのが目に見えていた。
「じゃあいこっか」
「う、うん」
春樹の言葉に、やはり顔を紅潮させるサニャ。
その時には春樹は気付いていた。校舎の影から二人に向けられる視線に。
チラリとそちらへ目を向けると、姿を隠してしまったようだった。
あれはクレイかリンファかポールか、きっとそのうちの誰かだろう。春樹が感染者ではないのは分かっているのだろうが、放置はしないつもりらしい。
適当に会話をしながら学校を出て、駅の方へ向けて歩いていく二人。しばらくすると、後方からのろりと軽自動車がやってきた。それはシャーリーの運転する車だった。二人の横までやってくるとシャーリーは車を停めた。
「ごめんサニャ」
「えっ?」
次の瞬間春樹はアイから受けとった改造スタンガンをサニャの首元に押し当てた。そしてスイッチを入れる。
バチチという音と共に一瞬にして意識を失うサニャ。春樹は倒れようとするその体を支えた。
「春樹君! 早く!」
シャーリーは運転席から降りてきて、後部座席を開く。
「何してるお前らぁッ!」
すると後方から叫び声が聞こえてきた。振り向くとクレイとリンファが迫って来ていた。
春樹はそれを無視して後部座席にサニャを押し込める。
「出してください!」
春樹はその反対側から後部座席に乗り込むと運転席に再び座ったシャーリーに呼びかけた。
「えぇ!」
シャーリーはアクセルを踏み込み、車を発進させる。
そして車が向かった先は学園の第二グラウンドだった。今日は休日という事もあり、どの部活も使う予定はなかったのだが、シャーリーが事前にその門を開けておいたのだった。
開いた門からそのままグラウンドの中まで車で進んでいく。その中央部には一人の女が腕を組んで仁王立ちで立っていた。小春……いや、その体に憑依したアイだった。
「来たわね」
アイの横に車をシャーリーが止めると、春樹は車から降り、サニャの両脇の下に腕を通し、引きずるようにして車から降ろした。するとアイは横たわったサニャを見下ろしてクツクツと、更には周囲を見回し大声で笑い始めた。
「あははは! 見ている!? ロベル! 本体は眠っていても、その感染者はその辺りにいるんでしょ!」
マンションなどの住宅に囲まれているグラウンドだ。そのいずれかの建物にはロベルの感染者が存在すると言って間違いないだろう。
そうだ、アイは自身の本体が眠っている時も、その分身である憑依体は関係なく活動出来ると言っていた。つまり仮にロベルの本体が今のように意識を失っていても憑依体はどこかしらの目でこの状況を見ているはずだ。
「私のオーラが見えるかしら!? ここから私の本体までの距離が分かった!? あはは! でも、もうそんな事は関係ないわ。もうあんたは私に感染させられるんだから!」
すると、アイは制服の腕の部分に刺さっていたマチ針を抜き取った。
「この場にやってきてももう遅い! その前に私が感染させてやるわ!」
そして小春の手のひらに針を突き刺す。感染効力のある血液をその先端に付着させたのだ。
「あんたは私のシモベとなるのよぉッ!」
そして、アイはサニャの首に針を突き刺したのだった。
「ふふふ……これであんたの記憶は私のもの。これまでの愚行をすべて暴いてやる」
アイは針を抜くと、満足した様子で瞼を閉じた。
しかししばらくしてアイは目を開く。そしてその顔色は次第に青いものへと変わっていった。
「そ、そんな……馬鹿な……!」
アイは立ち上がりサニャの前から数歩後退した。
「ち、違う……こいつは……ロベルじゃない!?」
そうだ、サニャはロベルではなくその囮。サニャの記憶を読み取った事でアイにもそれが判明したのだろう。
「な、なんでよっ!」
その時、春樹の携帯に着信があった。それは春樹の知らない電話番号からであった。
春樹はその相手の事をなんとなく察して電話に出てみる事にした。
『春樹櫻井、私はロベルです』
「神……ですか」
いきなり渋い男の声でそんな事をいう電話の先の相手。普通に考えればイタズラか何かとしか思えないが、春樹はその相手が本物だという確信があった。こんな絶妙なタイミングでいたずら電話が掛かってくるとは考えにくいからだ。
『やはり、あなたは悪魔の言いなりになっていたのですね』
悪魔……。それはおそらくアイの事を言っているのだろう。
「やはり……という事はご存じだったのですか」
『えぇ。そこにいる小春櫻井には悪魔が感染しています。現在他にも悪魔感染者はいますが、小春櫻井だけは最近ずっと行方不明になっていて、しかもあのハイジャックの直後に警察に保護されました。これはつまり悪魔はこれまで主に小春櫻井を使って活動していたとみて間違いないでしょう。そして春樹櫻井、あなたは小春櫻井が保護されたという連絡が警察から届く前に、行ったばかりの旅行先から飛行機でマジカントへ帰ってきました。これは端から見れば不自然な行動です。あなたがあの事件と小春櫻井を関連づけて考えていたとしか思えない。大方、あなたは妹の命を人質に取られてこのような愚行を手伝う事になったのではありませんか」
「……えぇ、全ておっしゃる通りです」
ロベルはどうやら何でもお見通しのようだった。もしかしたらあのマッカーという刑事はロベルの感染者だったのかもしれない。
「春樹……一体誰と話してるの……」
その時、アイが声を掛けてきた。
『春樹櫻井、この通話をスピーカーホンに切り替えてください。その悪魔に伝えておきたいことがあります』
「……分かりました」
春樹はそう言われスピーカーホンに切り替えてアイに声を掛けた。
「神からの電話だ。お前と話がしたいらしい」
「え……」
『聞こえますか悪魔よ。こうやって会話をするのは初めてになりますね。私はロベルです』
「あ、悪魔……ですって?」
アイは眉間にしわを寄せて春樹の持つ携帯電話を睨み付けた。
『さて、あなたは今知りたがっている事でしょう。なぜサニャ・マスカトーレが私ではなかったのか』
「……なぜよ」
アイは低い声で、渋々といった感じで尋ねる。するとロベルはネタバレを始めた。
『実は、私はとある方法で感染者になりすましていたのです』
「なりすまし……?」
『感染者は感染主ではない。そう思っていたあなたは感染者になりすましていた私の本体をロベルの候補者から外してしまい、このような結果になってしまったということです』
「一体……そんなのどうやって……」
『それは、感染者の血液です。感染者の血液を薄く、普通の人間から見ても分からない程度の濃度にまで水で薄め顔に塗布すると、それはまるで感染者の紋章と同じように見えるのです。私は何年も前から、あなたのような存在の登場を予見し、この方法を開発していたのです』
アイはその解説に言葉も出ないといった様子であった。
『悪魔よ。分かっていると思いますが、私は今遠方からあなたのオーラを目撃しています。小春櫻井からあなた本体までの距離は約250m。結構近くまで来ているようですね』
やはり春樹の予想通りアイは遠くにはいなかった。思った以上に近い位置にいるようだ。
するとアイは少し震える声で笑い始めたのだった。
「は、ははは……! なによそれ脅しのつもり? たった一回の測定でいい気にならないでよ! そんなんじゃ私を特定なんか出来るワケがないわ!」
するとロベルは心に何の揺らぎもない様子で淡々と答えた。
『すでに人類の三割の程度は私に感染しています。私はその全ての目で見ているのです。今オーラの距離周辺の確認を行いました。どうやらその範囲内にいるのは五百人程度のようです。悪魔よ、あなたはその中にいます』
「うっ……」
『そして私には少数ですが信頼に足る私兵がいます。彼らを使ってその五百人を一人一人感染させていく事にします。あなたの元に辿り着くまでそう長い時間は掛からないでしょう』
しばらく黙り込むアイ。しかし突然立ち上がり、ギラギラした目を携帯電話へと向けた。
「だ、だけど……それでもまだ私の方が有利なはずだわ!」
『ほう……それはなぜでしょうか』
「あんたは間抜けにも、自分で偽装方法を暴露した。血液を顔に塗る? だったら水でもぶっかければそんな偽装なんて剥がれるはずだわ!」
『そうですね。しかし、それも問題ありません。私はもうそんな偽装に頼るつもりはないのですから』
「え……」
『実は紋章の偽装をしていたのは私だけではないのです。複数の感染していない生徒達にも指示を出して、私と同じ事をさせていたのです。これからはもうそれを生徒達に解除させます。皆顔に紋章はなくなり、結局あなたには誰が私なのか判別は出来ません』
ロベルは、この偽装がバレてしまった先の事まで考えていたという事らしかった。
「くっ……。で、でも! それでもオーラの測定までは偽装なんて出来るわけがない。つまりあんたはB班が乗っていた飛行機の中にいたはず。サニャではないとしたら、残りはたったの三人よ。あんたはその中にいる! 随分と絞れたわ!」
つまりそれは、リンファ、ポール、クレイの三人という事になってしまう。
『なるほど……しかし、あなたがもしその三人の中の誰かに攻撃を仕掛け、それが外れてしまった場合、あなたは私にそのオーラを再び晒す事になり、さらに追い詰められる事になります。確率は三分の一ですか。まぁ確かに運否天賦に任せてみるのも悪くはないかもしれませんね』
「うぐっ……」
アイは歯を食いしばり拳を握りしめていた。
ロベルの候補は三人。それに比べてアイの候補は約五百人。一見アイの方が有利にも思えるが、アイは私兵というものを持たない。ロベルはリスクなしで感染を進めていけるが、アイは運に任せるしかない。追う立場と追われる立場が逆転してしまったと言っていい。
春樹は考える。アイの本体はこれからどうする気なのだろうか。多数の目があれば、どこに逃げても無駄だろう。むしろ不信な動きをすればロベルに目をつけられ優先的に感染させられてしまうに違いない。
『ところで春樹櫻井』
急に話を振られ春樹はとっさに「は、はい」と慌てて返事をした。
『もしかしてあなたは気付いていたのではありませんか。私がこうやってその悪魔の攻撃を回避するということに』
春樹はその言葉に驚いた。
「えぇ……その通りです」
更にその返事にアイが驚く。目を見開いて春樹に顔を向けた。
「しかし……なぜそこまで分かってしまうのですか」
ロベルはまさか春樹のような免疫者の心まで読み取れる力でもあるのだろうか。
『それは、ただあなたが私の敬虔な信徒だと信じていたからです。あなたが私が亡びると知っておきながらその悪魔の言いなりになるなど考えられなかったからです』
「そう……ですか」
ロベルから春樹は信頼されている。それは春樹にとって嬉しい言葉だった。
「知って……いたの」
しかし、その言葉に喜ぶ暇もなくアイが春樹に声を掛けてきたのだった。
「サニャが実は偽物の神候補だったって事……」
「あぁ……知ってたよ。その方法までは分からなかったけどな」
春樹はアイと目を合わせることなくそう答える。
「一体そんな事、いつから……」
「それは……」
ここまでくればもう隠しておく必要もないはず。春樹はこれまでの出来事を思い起こした。
「……最初に学校の前で俺達が事件を起こした時から軽い違和感を覚えていた。あの寮の三年生を襲った時、何故か神は憑依してこなかったからだ。それくらいならまぁほかの事件を解決しているという可能性もあったけど、あの三年生はそれだけじゃなかった。万引きしたときも、その後もう一度確かめるために変装してナイフで襲った時も、結局神は降りてこなかったんだ。お前があの三年生は神の感染者だと断定していたのにな。俺はそれで悟ったよ。彼は偽者の感染者だって。そしてそんな感染主にしか分からないような偽装をする理由は、お前のような存在が現れたときに罠を仕掛けるためだと思って間違いない」
「それを知っていて……なんで私に教えなかったの」
「……俺はお前に言われた事はしていた。これに気付かなかったのはお前の落度だろう。これでお前が小春を殺すなんて事にはならないと思ったからだ」
「そんな事を言ってるんじゃない! なんで私を騙すような事したのかって言ってるのよ!」
春樹はその言葉に唇をかみしめた。
「そんなの……お前だって一緒だろ」
「え……」
そしてアイの顔を蔑むようにして見下ろしたのだった。
「お前だって俺達に何も言わずあんな飛行機事故なんて起こしたじゃないか! オーラの見え方に嘘をついていた!」
「そ、それは……」
「これは騙し合いの戦い、じゃなかったのか? まさかお前、今更自分が不利になったからって俺を責めるのか」
アイはその場で下を向き黙り込む。
「それに俺はお前に言ったぞ。こんなことは馬鹿な事はもう止めようって……! でも俺が何を言ってもお前は聞く耳を持たなかった!」
「う、うるさい……」
「こんなのお前の自業自得だ。お前が世界を混沌に陥れようとするからこんな事になるんだ!」
「うるさいって言ってるのよッ!」
するとアイは頭を抱えて耳を劈くほどの声で叫んだ。
「もうあんたのなんか顔も見たくない! 消えてよ! 私の前からいなくなれッ!」
そして、アイはがくりと頭をしだれてしまった。
「お兄ちゃん……?」
そしてはっと気づいたような表情で春樹に丸みのある表情を向ける。
「小春……? 戻ったのか」
「うん……何がどうなったの」
春樹は小春の元にまで歩み寄った。
『では、私はこのあたりで失礼することにします。あぁそうそう、私の本体はあの三人の中にいるわけですが、これまでと変わらぬ態度で接してくださいね』
「は、はぁ……分かりました」
確かにロベルがその中の誰かも分からない事だし、全員を神扱いするというのもおかしな話かもしれない。周りから見ても不自然だろう。
そしてその直後、ロベルは通話を終えてしまった。
その時、横たわるサニャが目に入り、春樹はひとつ疑問に思った。アイがどうやってロベル本体に攻撃するのかロベルにもそれは想像なんてつかなかったはずの事だったはずだ。アイが感染させるという選択をしていたからサニャは生き残ったが、殺すという選択をしていればサニャは今この世にはいないはず。ロベルは……あの三人の内の誰かは、それを分かっていながら、サニャをアイの生贄に捧げたという事なのか。
◇
そのあと、春樹とシャーリーはサニャを放っておくわけにもいかずシャーリーの家に運ぶ事にした。小春も何だかかわいそうではあるが、一緒に連れて行く意味もないので寮に戻らせた。
シャーリーの家にたどり着くと、二人でサニャをベッドの上へと寝かせた。結構ずっと意識を失ったままだが、大丈夫なのだろうか。
二人でサニャの様子を見守っているとシャーリーが春樹に問いかけてきた。
「あの、クレイ君たちはどうして連絡をよこさないのかな。私はてっきり私達に殴り込みにでも来ると思ってたんだけど……」
確かに、三人はボディガードだったというのにあれから音沙汰なしだ。春樹が拉致した場面を後方から追ってきていたはずだが。
「サニャは元々守る必要がなかった存在ですからね。サニャが攻撃されて偽物の神だと分かった瞬間に守られるべき存在は今までボディガードだったあの三人になってしまった。そしてサニャは現在アイの感染者です。もうあいつらはサニャに近づくことすら出来ないのでしょう」
「なるほど……なんだかややこしいけど、全部が一瞬で逆転しちゃったのね」
「う……」
その時、サニャが目を覚ましたようだった。
「サニャ……!」「サニャさん!」
シャーリーはサニャの前に膝をついた。
「ここは……」
サニャは周囲を見回したあと、二人の顔を見つめる。
「すまないサニャ。さっきはヒドい事をしてしまったな」
「あぁ……そっか。私、春樹君に襲われたんだった」
そう言われるとなんだか語弊があるように聞こえる。
「でも、分かってる。別に私殺されたってわけでもないみたいだし。大丈夫だよ」
「……お前は神にどれくらいの事を知らされていたんだ?」
その後のサニャの話によると、どうやらサニャはロベルの身代わりになれという事だけ言われていたらしい。その言われた相手は、ロベルの感染者だ。サニャはロベルの本体が誰かは知らないらしい。あの三人がボディガードだとも言われていたが、偽装された感染者という事も知らなかったようだった。それはまぁ当然なのかもしれない。ロベルはサニャがアイに感染させられ、その記憶を読み取られてしまうこと前提で考えていたのだろうから。サニャには大した情報は渡せなかったのだろう。
サニャはロベルの身代わりに使われたにも関わらず、あまり気にしていない様子だった。
「これでみんなとはしばらく近づけないって事になっちゃうのかあぁ。でも、きっとそのうちまたみんなで楽しく遊べるよね。私に感染している悪魔さえ倒してしまえば」
そんな事をふわふわとした笑みで言うサニャ。サニャは殺し合いに発展するような戦いに巻き込まれているという事をちゃんと理解しているようには思えなかった。ある意味幸せといえるのかもしれない。
◇
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