第23話 神が必要な理由
翌週の日曜、サンシスタ教会での講演会があった。春樹はいつものように少年少女とその保護者の前に立ち、ロベル教の教えを説く事になっていた。
「神の感染は基本的には十歳以下の児童には行わないようにしているのです」
「はい、それはなぜでしょうか」
今日は一人、よく質問をぶつけてくる少年がいた。眼鏡を掛けていかにも優等生と言った感じの少年だ。ずばずばと知りたい事を聞くような、そんなタイプの少年のようだった。
「感染者は、人々の争いの抑止力となります。つまり憑依され、力を行使する事があるのです。単純に子供に危険な事をさせられないから、という事です。まぁ、あくまで基本的にはの話で、元紛争地域などではかなり幼い子供もたくさん感染しているようですが」
それはいつも通りの講演のはずだった。しかし、なんだか春樹は自身の笑顔が普段よりもぎこちないことを感じていた。
「へぇ……つまり僕達も、十一歳になったら神の血を授かるべきなんですか?」
眼鏡の少年は質問を続ける。
「え……えぇ、そうですね」
「でも、僕は神に感染されたくないのです……。それは拒否できないことなのでしょうか」
「拒否……ですか。まぁ、神があなたに感染させる必要があると判断した場合、それは出来ないと言っていいでしょう。神の行いは素直に受け止めるしかないのです」
「でも、そんな事したら僕は神様にずっとずっと見られて生きていくって事ですよね。なんだか自由がなくなっちゃう気がするんですけど……それでも絶対に感染は必要なんですか」
「それは……」
その時、春樹の脳裏に昨日のアイの言葉が浮かんでしまった。
『こんなの、生まれた時から監獄にいるようなものだわ』
すると、なぜだかその後の言葉が続かなくなってしまった。おかしい、いつもならどんな意見に対しても、すぐに返す言葉が浮かんでくるはずなのに。
「コ、コラ、あまり小春さんを困らせたら駄目でしょ」
その様子に、彼の親が何かを感じ取ったのか、少年に注意をした。
「だってぇ、どんな質問でもしていいって言うからぁ」
春樹の額から脂汗がにじみ出る。
『あんたがロベルに偏った発言をするのはロベルが正しいという事にしたいから』
春樹はなぜアイに何の反論も出来なかったのだろうか。
『結局あんたは私と同じ穴の貉なのよ』
それは、確かにアイの言葉に一理あったからだろう。春樹は果たして自分の立場抜きで考えれば、ロベルの言う事、している事に全て賛同出来るのだろうか。
アイの言う通り、春樹はロベルに個人的な恩があるという理由で、結論ありきで論理を組み上げてしまっているのではないだろうか。
アイを説得するつもりで呼び出したはずだったのに、まさか、春樹自身の心がここまで揺れ動かされてしまうなんて。
気付けば皆が春樹の顔色を皆が伺っていた。マズい。舞台裏からはマルコも見ているハズなのに。そうだ、今は深く考えている場合ではない。口先だけでもいい、何とかこの場を乗り切らなくては。
春樹はペンダントを握りしめ、なんとか心を安定させた。そして笑顔を作り出す。
「ごほん、すいません。少しボーッとしていました。先ほどの質問にお答えすると、それはもちろんです。なぜなら世界の平和のためには不可欠な事だからです。それに、神が人に関わる時というのはその人物が明らかに社会に反する行為を行った時だけなのです。あなたもそんな行為に手を染めるつもりはないのでしょう?」
「はぁ……まぁ……」
「それなら何も問題はありません。神は秩序を守る者に対しては、ただ暖かい目で見守るだけなのですから。プライベートな事を見てそれを笑ったり、ネットに書き込んでそれが炎上するなんて事もありません」
そこで、会場に軽い笑いが巻き起こる。
「秩序を守ればあとは自由。自由と無秩序をはき違えてはならないのです」
春樹はその調子で何とかその日の講演を乗り切る事が出来た。
◇
講演が終わって控室に戻ると、マルコが部屋に入ってきた。
「マルコ司祭」
「春樹君、今日は何だか体の調子がどこか悪かったのでしょうか?」
「それは……」
春樹はその問に中々答える事が出来なかった。するとマルコは春樹の座る椅子の背もたれに手を置いてきた。
「やはり何か迷いがあるようですね。今日のあなたは心ここにあらずといった感じでした」
春樹はマルコの心を見透かすような指摘にシュンと縮こまってしまった。
「はい……人の前に立つ立場にあるというのに、お恥ずかしいことです」
「なにか悩みがあるのならば私が伺いますよ」
「ありがとうございます。しかし……正直この悩みは胸の奥にしまっておきたいのです。こんな事をマルコ司祭に言ってしまえば僕はもうここにはいられないような気がするので」
すると、マルコは少し前に出て優しい微笑みを春樹へと向けてきた。
「ははは、大丈夫ですよ。悩みも心の揺れもまったくない人間などこの世には存在しないのです。どんな偉人であろうとも心に何かしら闇や矛盾を抱えています。まだ春樹さんはお若い事ですし、悩む事も当然。むしろそれが仕事の一つなのです」
「はぁ……そうでしょうか」
「しかし、悩みというのは一人で抱え込むと、どんどん極端な思想へと走ってしまうきらいがあります。ですから、私と一緒にそれを考えてはみませんか。もちろん、どんな考えであれ私はあなたを差別したり、軽蔑したり、ましてや破門にするなんて事はありません」
春樹は、その全てを赦してくれそうなマルコの笑顔に自身の内心を吐露する事を決めた。
「……分かりました。では僕の迷いを聞いてください」
春樹は席を立ちマルコに体を向けた。しかしその反応が恐ろしく顔は伏せたまま話を始める。
「最近色々とあって考えていたのです。神は……この世界に本当に必要なのでしょうか。神に頼らなくてはならないほどに人間には欠陥がある存在なのでしょうか」
「ほう……それはまた根本的な悩みですね」
しばらくその先の答えは返ってこない。春樹は恐る恐るマルコの顔を見る。
するとマルコは怒っているなんて事はなくいつもの微笑みを春樹に向けていた。
「そうですね……。結論から言ってしまえば、そういう事になってしまいます」
「そ、それはなぜでしょうか」
「……春樹君、あなたは賢い子だ。ですからただ『神を信じよ』とか『そういうものだから』とか精神論で語る事はやめにしましょう。端的に事実だけでその理由を説明する事にします」
マルコは部屋を横断し、窓辺に立って、外の様子を眺めた。
「一つ考えてみてください。この世が始まる前からいらっしゃる神が、なぜ今になって人々の心の内に現れたのか」
「えっと……それは分かりませんが」
「それは、人類が確実な自滅の道へと向かっていたからです」
「確実な……?」
「昔は神がいなくても大した問題ではありませんでした。数万という人々が争いを起こしたとことで、死ぬのはほんの一部。それは人間自身に大した力がなかったからです」
確かに、と春樹は思う。原始的な武器では中々大勢の人間が死ぬという事もなかっただろう。
「しかし今は違う。十年前、神が現れた時には、この世界には数多くの核兵器や細菌兵器がありました。もしそんなものの打ち合いに発展してしまえば、人類は何度絶滅してもその数が足りません。それと同時に自然環境も甚大な被害を受けてしまうでしょう」
「……しかし、」
春樹はそこでマルコの言葉に口を挟む。
「なんでしょうか?」
「あぁいえ……話の途中ですみません。続けてください」
「いえ何か言いたい事があるなら言ってしまった方がいいでしょう。遺恨を残さないために」
確かに。ここで中途半端に我慢すれば、またもやもやした気持ちを抱えたままになってしまうのかもしれない。春樹は自分の中身を吐き出してしまう事にした。
「では……お言葉ですが、確実というのはどうなんでしょうか。核兵器というのはただの脅しの道具であって、現実に使われる可能性なんてほとんどなかったという話も聞きますけど」
「そうですね。確かにそうだったかもしれません。ですが、ほとんどないという事は、つまり少しはあったという事です。そして少しでも可能性のある事は、長い時間の中ではいつか必ず起きてしまうという事でもあります」
「それは……確かにそうかもしれませんね」
サイコロを十個投げて、全部1になる可能性なんてほとんどない。しかし、永遠に投げ続ければ、それが起こらないなんて事は逆にありえないのだ。
「神の出現により現在、この世界にそんな兵器はただの一つもなくなりました。これは人類にとって神による恩恵の最大の恩恵と言えるでしょう」
「そう……ですね」
「しかし、その知識が失われた訳ではありません。その技術は今や人にとって決して手放せないものとなっているからです。神がいなくなったとなれば、人々は我先に自衛の為と銘打って様々な兵器を製造し始めるでしょう」
確かに。それは競争となり、どんどんエスカレートしていく事だろう。
「思い出してください、あのサンクアールでの出来事を。神のという枷を外された彼等は暴徒と化し最終的に放射性物質を使ってテロを起こした。神の存在がなければ、世界中がいつかあの街のような事態に陥ってしまうのです。やはり人は、その上に立つ存在によって、制御されなければならないのです。それが神がこの世界に必要な理由です」
春樹はマルコの言葉に納得せざるを得なかった。それは、反論しようもない事実から構成された話だったのだから。確かにロベルがいなければ、その先にあるのは暴走と滅亡だけだ。
「……そうですね。司祭のいう事はもっともです。僕はおろかな考えを持っていたようです」
「いえいえ、たまにはそういう根本的に考えを見直し、確かめることは非常に良いことだと思います。これでまた一つ、人に説く側の人間として相応しくなれたのではないでしょうか」
「そうですか……?」
「はい。そしてあなたはこれから先もっと多くの人々を導く事になるとは私は確信してます」
「そう司祭に言って頂けるとは、光栄ですね」
「私だけではありません、神もきっとそうおっしゃいますよ」
春樹は笑ってごまかそうとしたが、マルコは至って真面目にそう発言しているようだった。
「なんだかすっきりした気がします。悩みなんて吹き飛んでしまいました」
話を終えた春樹は爽やかな表情をしていた。
「おぉ、それは良かったです。皆のためにも、これからも講演は続けてくださいね」
「はい。わざわざ僕のためにこのような話を説いていただきありがとうございました」
そして迷いのない言葉を返したのだった。
◇
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