第22話 同じ穴の貉
その一時間後、二人は小春を学校の屋上へと呼び出した。もう日はほぼ落ちてしまっている。
「あれ、先生も、一体どうしたんですか?」
「小春……あんまり気は進まないだろうけど、ちょっとの間、アイと代わってほしい」
「あ、う、うん……。まぁそんな事だろうと思ったよ」
小春はそれを言われて微妙な顔をする。やはり、自分の命を脅かすような相手に体を乗っ取られるというのは気分のよい事ではないに決まっているのだ。
「ごめん……出来るならお前はお前のままでいてほしんだけど」
「ううん、全然大丈夫! 別に苦しいとかいうわけじゃないから」
小春はかぶりを振り、苦笑して答える。春樹はその姿に本当に申し訳ない気持ちになる。
「まぁ……とは言っても憑依するかどうか決めるのはお前じゃないんだけどな。アイ、聞こえてるんだろ? 重要な話があるんだ。出てきてくれ」
すると一瞬小春は頭を項垂れた。鋭い目を向けられる。どうやらアイに切り替わったらしい。
「二人そろって、何か用?」
何だか、アイと会うのは案外久しぶりなように思えた。
「あの飛行機ジャックからしばらく時間が経ったけど、まだ神が生き残ってるみたいだな」
ロベルの活動は現在もテレビで報道されている。現存していると見て間違いないだろう。
「えぇ……まぁ。今は私の感染者を増やしているところよ。感染者が多ければチャンスは増えるはずだから。でも、それに合わせてどうやらあちらも周辺の感染者を増やしているみたい。ま、何にしても、本体が判明してるあちらのほうが断然不利。油断した瞬間に感染させればいいだけだわ」
「そうか……」
「何? そんな事を聞くために私を呼んだわけ? 私には別にあんたに活動の報告をする義務なんてないんだけれど」
春樹は「いや……」と深く息をつき、遠くに見えるサンクアールの壁を眺めた。
「なぁ……アイ。もうこんなこと、やめにしないか」
春樹の突然の言葉にアイは一瞬呆けた顔をした。
「は……? 今更なにを言ってるの」
「このままでいいじゃないか。確かに今の状況はお前に有利ではあるけど、襲撃に失敗したら、逆にお前が追い詰められる可能性があるんだろ? そんなリスクを冒してまでお前はどうして神に感染させたいんだ」
「そ、そうよアイさん。アイさんがこのまま手を引けばそれで問題解決でしょ? わざわざ無益な戦いなんてしないで、このまま平和的に終わらせましょうよ」
春樹の言葉にシャーリーも乗ってくる。論理ではなく、感情に訴えかけるならば、もしかしたら春樹よりもシャーリーの方がうまく説得出来るかもしれない。
「そうだ、私達とまた週末にでもどこかに遊びにいきましょう? 私、アイさんと春樹君と遊びに行くのが毎週の楽しみになってたんだから。そうやって暮らしていければ、みんな幸せでいられるんじゃないかな。だから……ね?」
すると、アイは何だか気が抜けてしまったように肩を落とし目を瞑って呟いた。
「残念だけど……私は誰に何を言われても、ロベルとの戦いをやめるつもりはないわ」
「どうして……アイさん。なんであなたは自らそんないばらの道に向かっていくの」
二人はアイにじっと視線を向ける。するとアイはしばらくの沈黙のあと、口を開いた。
「ふん……いいわ。じゃあ教えてあげる。私がロベルを追いかける本当の理由を」
目を開け、視線を春樹へと向ける。
「実はね、私もサンクアールの出身なのよ」
「え……そうなのか」
「あんた、前に話してくれたわよね、自分がなぜ神を信仰しているのか」
確かに、アイに聞かれて春樹は自身の過去についてアイに語った。アイを説得するために。
「あんなの、あまりにもロベル側に偏った話よ。私、話の途中で吹き出しそうになったわ」
アイはどうやら無知を装っていたようだ。その事件の当事者だったというのに。
「……じゃあ途中で突っ込めば良かっただろ。俺はお前が何も知らないと思って一から全部話したんだぞ」
「仕方ないでしょ。突っ込みを入れれば私がどういう生い立ちなのかバレてしまうじゃない。ま、今よく考えたらサンクアール出身ってくらいなら私にたどり着けはしないと思うけど」
「……そうかよ」
結局、自分が特定されないようにアイは趣味趣向で追っていると偽っていたらしい。いや、半分くらいはそれも本当のようにも思えるが。
「それで、その当時お前に何があったんだ。なぜ神を倒そうと思うようになった」
するとアイは春樹の隣までやってきてサンクアールの方に目を向けた。
「……確かにあんたが言うように、あの壁の中での暮らしは素晴らしいものだと私も最初は思っていた。誰もが何の脅威にさらされず、安全な暮らしを送ることが出来ていた。でも、あの事件が起きて壁の中は阿鼻叫喚の世界へと一変し、何万人もの死者を出すことになった」
そこまでは春樹の言っていた事と変わらないだろうか。
アイはそこで振り向いてシャーリーに目を向けた。
「シャーリー、あんたは壁の中の出身ではないのよね」
「え? えぇ……」
「そう。じゃあ、それだけの死者が出た理由が何か、あんたは知っているの?」
「え……えっと……皆がウイルスで神の力から解放されたせいで暴徒化して、神様に対して反旗を翻し始めた……から?」
それは春樹が話したのと同じ、広く世間に知れ渡っている情報だった。
「そうね。でも、いくらロベルの力から解放されたからって、そんな何万人もの人間が、いきなり考えをひっくり返すものかしら?」
「それは……」
アイはかぶりを振った。
「そんなわけない。そんな事、あるはずがないのよ。実際に行われたのは暴動の鎮圧なんてそんな生易しいものじゃない。あれは……教会の軍とロベルによる一般人の虐殺だったのよ」
「ぎゃ、虐殺……?」
シャーリーはその言葉に目を泳がせた。そしてその真偽を確認するように春樹に目を向ける。春樹はその視線に気づきながらも何も反応しなかった。再びシャーリーはアイへと視線を戻す。
「か、神様は一体なんでそんな事を……?」
「ロベルの憑依を無効化するあのウイルス、それは人から人へ血液によって簡単に感染を拡大出来るものだった。あんなものが世界中に拡散してしまえば、ロベルは自身の力を失ってしまうのと同義」
アイは小春の長い髪をバサリとかき上げる。
「つまりロベルは暴徒化したから粛清したわけではない。あのウイルスによって自身の支配が危うくなると思ったから殺した。暴徒化した者もしなかった者も、ウイルスに感染した者は無条件に全員殺してしまったのよ」
「そんな……」
「そして、私の両親はそれぞれ、そんなロベルに虐殺された一般人の一人だった。別に犯罪行為に走ったわけでも、ギノに賛同して反ロベルの体制に加わったわけでもなかった。ただウイルスを体に打ち込まれてしまっただけ。それでも神は私達の両親の前に現れ、そして殺した。まるでそれが、普段行っているただの業務のような顔をして」
アイは春樹に蔑むような目を向ける。
「春樹、あんたはこの事実を知っていたんでしょ?」
それはロベルによる情報規制がなされ、世間一般には広がっていない話であった。しかし、事件の当事者である春樹が知らない訳がなかった。
「あぁ、知っていたさ……」
「だったらなんで、あんな事をした神を敬うことが出来るのかしら。私には逆に疑問なんだけれど」
「それは……」
春樹は意気消沈したように下を向いて、しかし目の光は灯したまま語りだす。
「……確かに神は多くの罪もない人間を殺したかもしれない。でも神は正しいことをやったと思ってるよ。この世界から争いをなくすためには神が必要だ。あのウイルスは絶対に外に出してはならないものだったんだ」
「その為には私の両親が死んでも仕方なかったと……?」
「……あぁ、そうだ。もちろんそれは残念な事だったと思うけど」
「フン、どうやらあんたは大分ロベルに洗脳されてしまっているみたいね」
「な、なんだと」
「大体争いをなくす為っていうけど、争いが起こって何が悪いっていうのよ。それが自然のままの人間ってもんじゃない。こんなの、生まれた時から監獄にいるようなものだわ」
「……そんな事はない。自由は十分に確保されているだろ。規律は必要なものだ」
「そんな規律、人間が作ればいい事じゃない。わざわざロベルがやる必要があるの?」
「確かに……個人レベルでは人間の作った法律でそれなり抑えられるかもしれない。でも、法律には限界がある。基本的に法律は後手に回ってしまうものだし、例えば国家間の争いともなれば法律なんて関係なくなってくる。人は上から押さえつけるものがいなくなれば、その行いは急に本能的で稚拙になり……」
すると、話の途中でアイどうでも良さそうにため息をついた。
「面倒くさ……こんな問答、するだけ無駄だわ」
「なんだよそれ……俺は質問されたから正しい答えを言ってるだけだろ」
「正しい……? いえ、あんたは私の意見に全て反論をしているだけ。つまり私達は言い争いをしている。端からみてそう思わない?」
アイはシャーリーに視線を送る。
「え……? えぇ、まぁ……」
「先生……何を言い出すんですか」
春樹はアイに対して正論を説いているだけのはずだったのに。同じレベルの口論になっていた。客観的に見ていたシャーリーにはそう見えたという事なのか。
アイは再び春樹に目を向ける。
「なぜ、私達はこうやって言い争っていると思う? 色々と違う観点から話をしてみても、その全てがぶつかってしまう。それはなぜかしら?」
「そんなの……」
春樹は言われて考えてみた。アイの認識が全て間違っているから……? いや、しかし確かに偶然にも全ての答えを間違える。確率的に言ってそんな事があるのだろうか。
「それはね、お互い、私達には最初から結論が出ているからよ」
「結論が……?」
「結局あんたがロベルに偏った発言をするのは『ロベルが正しい』という事にしたいから。ロベルに命を救われた恩を返したいから。根本にあるのはそれで、結論ありきで、口から出てくる言葉は、それを理論づけるためのものでしかない」
「そ、そんな事は……」
しかし、春樹には本当にそれを否定出来るのだろうか。客観的に考えてみれば、アイの言っている事にも一理あるのではないか。こんな話には最初から正しいも間違っているもないのではないか。
春樹が黙って考えていると、アイはクスリと笑い始めた。
「ふふ、私達ってもしかしたら似た者同士なのかもしれないわね」
「は……?」
まったく逆の意見を言う人間が似た者同士だなんて。アイは一体何を言い出すのだろう。
「私はロベルを否定出来ればそれでいい。あんたはロベルを肯定出来ればそれでいい。私達がそんな正反対の立場になってしまったのは、ただ、ちょっとした偶然に過ぎなかったんだわ。自分の親が、偶然あのウイルスに感染させられたか、そうじゃなかったか、ただそれだけ。結局、そこにあるのが恩か仇か。それだけの違い」
アイはビシりと指を差してきた。
「つまり、あんたも結局私と同じ穴の貉なのよ」
「う……」
その指摘に春樹は一歩後ろに下がってしまう。
「だからって、私はあんたに考え直せとか、もっと大きな視点で見ろとか、そんな事を言うつもりもないわ。お互い結論があるのなら、そのまま突き進めばいいじゃない。だから私は口論なんてしたくない。私はその結論にたどり着くための過程も理論もどうだっていいのよ。ごちゃごちゃ御託を並べても、それはただその論理で自分のただしさを強化させようとしているに過ぎないんだから」
アイは冷たい視線を春樹に残したまま、階段室へと体を向けた。
「私は結論にたどり着くだけ。神への復讐という結論に。そのためなら私はすべてを失ったっていい。こんな世界どうなったっていい」
そして二人の元から立ち去って行ってしまったのだった。
「ア、アイさん……!」
シャーリーがその姿を引き留めようとしたが、それは無駄に終わってしまった。
◇
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