第21話 手のひらの上

 土曜日、春樹は部屋でベッドに仰向けの状態でじっと天井を見つめていた。


 何だかんだ言ってずっと春樹は考えていた。何とかもっとロベルに有利になる状況に出来ないものか。やはりシャーリーが言っていたように、ボディガードがいるとはいえ、ロベルの不利には変わらない。今この瞬間にもサニャはアイに襲われてしまうかもしれないのだ。


 しかし今となっては、春樹はもうほとんど自由に動けないのではという気がしていた。アイがどれくらいの人間に感染しているかも分からない。もしかしたら、春樹の行動を監視するために、この辺りの地域の人間はアイの感染者だらけになっているという可能性もある。春樹がロベルのために行動している事がアイにバレれば、やはり小春を危機に晒してしまうかもしれない。


 そんな考えの袋小路に迷い込んでいると、ぎゅううと春樹の腹が鳴った。


「……腹が減ったな」


 一体どれくらいの時間考えていたのか。気付けば、朝から何も食べずに昼を超えてしまい、時刻は午後二時半となっていた。もう寮の食事の時間は既に終わっているはずだ。


 なんだか、一度気を抜くとどんどんお腹が減ってきた。このまま夕食の時間を待つのもツラいものがある。春樹は仕方がないので、学校を出て近くのコンビニまで出向く事にした。




 コンビニにたどり着き、中に入ると、とある寮生の姿が目に入った。


 あれは……。その寮生は以前春樹が学校前で事件を起こした時にその対象となった、夜中に学校を抜け出していた三年生であった。


 何となくその姿を見ていると、ふとした瞬間にその三年生はポケットに商品を入れた。


「え……」


 これは万引きをしたということだろうか。声を掛けるべきだろうか。春樹の正義感が頭の中でそう唱える。


 いや、しかし……。春樹は一つ気になることがあり思いとどまった。


 店を出ていく三年生。どうやら本当に万引きだったようで、しかも成功してしまったようだ。


 春樹は昼飯の事など忘れて三年生を追いかけた。すると結局三年生は学校の寮までたどり着き、自身の部屋に入っていってしまった。


 春樹はその様子に衝撃を覚えていた。


「なぜ……」


 ロベルに感染した者には絶対に出来ない事がある。それは犯罪だ。犯罪を犯せばロベルが憑依して自身が犯罪を犯したという事を周りの者に暴露されてしまうからだ。万引きのような軽犯罪でも例外はなかったはずだが。こういう場合もあるのだろうか。


 しかし……春樹は以前起こした事件の事を思い出す。そういえば、その時もあの三年生はロベルに憑依されるべき時に憑依されなかったのだ。


 そもそも、そんな危険を犯してなぜあの三年生は万引きをしてしまったのか。万引きで捕まれば、彼は停学くらいにはなってしまいそうだが。


 春樹は自室に戻ってよく考えてみた。


 やはりあの三年生は何かがおかしい。万引きでも、あの事件の時も、どちらもロベルに憑依されなかっただなんて。しかも、三年生は自身でそれを理解しての行動を取っているように思えた。果たしてこれは偶然で片づけていいのだろうか。


「いや、これを素直に受け止めるならば……」


 その時、春樹の中に一つの仮説が浮かんだ。


「まさか……いや、でも、もしそうだとしたら……」


 それはとんでもない発想と言えた。しかし、考えれば考えるほどしっくりくる仮説だった。


「これは……確かめてみる必要があるな」


 そうだ。もう一度あの三年生を襲う事にしよう。ロベルに捕まってしまうかもしれないが、もうそんなリスクを恐れている場合ではない。


 ◇


 その二日後の放課後、春樹はシャーリーといつものバドミントン部の準備室で落ち合った。


「はぁ……」


 するとシャーリーは分かりやすく気が沈んでいる様子だった。


「どうしたんですか先生」


 春樹は尋ねる。もしかしたらそう尋ねてほしかったのかもしれない。


「いやね、私これまでアイさんに協力してきたわけじゃない? それで神様をここまで追いつめてしまった。これで世界戦争にでもなったとしたら、そんなの耐え切れないなって思って」


「別に先生のせいじゃありませんよ。先生は脅されてやっただけなんですから」


「それは、そうなんだけど……」


 シャーリーは再び深いため息をつく。


「それで春樹君、今日はどんな用なの?」


「それがですね。新たな事実が判明しまして」


「新たな事実……?」


「はい、前回僕は神の方が不利な状況に立たされていると言っていましたが、それは誤りだったようです」


「え……」


「実は今追い詰められているのは、神じゃなくてアイの方なんです。僕達は結局神の手のひらの上で踊らされていたようです」


「それって一体……」


 春樹は自身の仮説をシャーリーに話す事にした。昨日三年生を再び襲うという実験も成功してしてしまったことだし、もうそれは間違いないと言えるだろう。


「な、なるほど……そんな事が……つまり、このままいけば神様の方が勝っちゃうって事?」


「そうですね」


「そうだとしたら……小春さんは平気なのかな……」


「小春ですか?」


「だって、私達が神に味方するような事したら小春さん、アイさんに殺されるかもしれない」


「それは大丈夫ですよ。この件に関して僕達は神に何の干渉もしていません。僕たちはアイに一度も逆らってなんかいません。これはこの事に気付かなかったアイ自身の責任といえるでしょう。僕たちはこのまま何もしないだけなんですから」


「そっか……確かに」


 すると春樹は胸のペンダントを掴んで不敵な笑みを浮かべ始めた。


「ふふふ……それにしても、やはり神はすごい……そうは思いませんか」


「え……」


「僕達が余計な心配なんてする必要はなかったんです。ただ神の意ままに従っていればそれでよかったんです!」


 春樹はそのまま大声で「ははは」と笑い出す。


「そ、そうだね……けど……」


 しかし、興奮した春樹とは対照的になぜだかシャーリーの表情は優れない様子だった。


「けど……なんですか?」


「神様が勝った場合、アイさんは一体どうなってしまうの?」


「え……」


 春樹はその言葉に、死角から頭を殴られたような、そんな気分になった。


「それは……」


 春樹はこれまで、小春を救う事、アイをロベルの前に暴くこと、そればかりを考えてきた。そしてそれが最終的なゴールとして考えていた。アイがそのあとでどんな結末を迎える事になるかなんて、頭になかったのだった。


「神に感染させられて、いつでも殺せると脅されて能力を使う事を封じられる……?」


「そうかな……神様ってそんな甘い人じゃないんじゃない? 同じ能力を持ってて、更に命を狙ってくるかもしれないような相手を神様が生かしておくかな……」


 シャーリーは案外その事に対して偏りのない冷静な言葉を返す。いや、もしかしたらこれまでもシャーリーはそんな事をずっと考えてきていたのかもしれなかった。


「つまり、アイは神に殺される……と」


「うん……たぶんね」


 アイが死ぬ……その事が現実的に迫ってきている。それを実感した時、春樹の頭にアイとのこれまでの生活が浮かんできた。


 春樹達は、週末になると三人でどこかに遊びに出掛けていた。


 夜の山、草原に寝ころんで星空を眺めた事。田舎でボーッとベンチの上で座って過ごしたこと。無人島でビーチバレーをして顔面にボールをぶち込まれたこと。


 特に記憶に残っているのは、あの廃ホテルでの一件だった。二人は鬼ごっこをして、最後に春樹は宿舎の屋上から隣の屋上に飛び移ろうとした。しかし届かず落ちかけた。その時アイは、本気で春樹を助けてくれていた様子だった。アイは『これは騙しあいの戦い』なんて言っていたが、あの時の感情も嘘だったのだろうか。


「春樹君……」


「はッ……!」


 ふと気付くと、シャーリーが春樹の顔を覗き込んできていた。


「春樹君はアイさんが殺されて……それでいいの? 助けなくていいの?」


 春樹は自身の中に迷いがある事に気付いた。しかし、それと同時に自分が胸のペンダントに触れている事に気が付いたのだった。そして思い出す。あの壁の中での事件。ロベルに救われた時の事を。


「そ、そんなの……」


 春樹はペンダントを強く握りしめた。


「当たり前じゃないですか。何度も言うようにあいつは神に自身を感染させ、この世を混沌に陥れようとしている悪魔なんです。そのために何の罪もない小春を誘拐して僕達を脅した」


「それは……そうだけど」


「それにあいつは僕達に能力の事を黙ってあの飛行機事故を起こした。結局、あのストレス解消の日々も僕達を騙すためのカモフラージュだったんです。あいつと僕達は何の信頼関係もない敵同士なんです。そうあいつ自身も言っていました。一体これでどこにあいつを助ける理由があるっていうんですか」


 並べ立てる春樹の言葉を飲み込むようにして、


「そっか……そうだよね……」


 シャーリーは少し背中を曲げながら頷いた。


 シャーリーは今感情に流されそうになっている。春樹にはそう見えた。ここは彼女を反面教師とし、なるべく客観的に今の状況を顧みる必要があるだろう。


 もしアイを救おうとするなら、それは簡単だ。ロベルが作り出したこの状況のカラクリをアイに伝えてしまえばいい。


 しかし、そんな事をすれば逆にロベルがピンチに陥ってしまう。


 やはりこの世界にはロベルが必要だ。ロベルは春樹の恩人でもあり、裏切るわけにもいかない。二つに一つを取るならば当然ロベルを選ぶに決まっているのだ。


「そう、そうだ!」


 するとその時、シャーリーが顔を上げ、何かを思いついたように両手を合わせた。


「だったら、そもそも二人に争う事をやめさせればいいんじゃない」


 それは春樹には思いつきもしない案であった。思わずポカンとした顔になる。


「そもそもアイさんが神様に手を出さなければ、誰かが傷つくような事件が起こる事もない。そしたら全てが丸く収まるんじゃない。本来なら誰も争う必用なんてないんだから!」


「……待ってください。僕は最初からあいつに言ってますよ。こんな馬鹿な事はやめろって」


「でも、今度はうまくいくかもしれない。春樹君、きっとこれが最後のチャンスなんだよ! 二人でアイさんを一緒に説得しましょうよ! もしそれに成功すればみんな仲良くハッピーエンド! そうなれば素敵だと思わない?」


 春樹はしばらく考えた結果、シャーリーの意見も一理あると思い始めた。


「そうですね……確かにその通りです。このままだと神がおそらく勝ちますが、アイの行動によっては死傷者が出てしまう可能性もあります。何か事故が起これば、神本体に被害が出るかもしれません。神の事を思うなら、アイが何もしない事がベストな選択です。僕とした事が抜けていました。アイに攻撃をやめるように二人で話しをしてみる事にしましょう」


 すると、シャーリーは抱擁感のある微笑みを春樹に向けた。


「櫻井くんって、素直じゃないんだね」


「……何言ってるんですか、先生。まるで教職者みたいな顔して」


「私は教職者です!」


 そうだ、これはあくまでロベルのためにやること。春樹はシャーリーと話し合いを続けた。


 ◇

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