第15話 春樹の過去
春樹は、再び遠方の壁へと目を向ける。
「お前はさっき呪われた土地なんて言ってたけど、あの都市についてどの程度知ってる?」
すると、アイは「んー……」とあやふやな返答をするだけだった。
「あんまり知らないなら最初から話す事にする。サンクアールはいわば一つの理想郷。都市を丸ごと壁で囲って、その中には神の血が通うものしか入れなくした。神さえいれば完璧な安全、そして平和な世界を築く事が出来るという事を世にアピールするための都市計画だったんだ」
アイは話をちゃんと聞いているのか、申し訳程度に「ふーん」と相槌を打つ。
「そして以前、俺と小春、そして俺達の両親はそのサンクアールの中で生活していた。俺も小春も感染はしてなかったけど、十歳までなら感染していない者でも住む事が許されたからな」
つまり免疫者である春樹は十一歳になったら壁の外に出なくてはならなかったのだが。
「中での生活は幸せなものだったよ。家族四人で週末になると出かけていたな。中にある遊園地の事はよく覚えてる。俺達だけじゃなくて、壁の中にいる皆がそう感じていたと思う。警察も、裁判所も無かったというのに、誰も争う事のない完璧な社会がそこにはあった」
春樹は一息つき、過去の記憶を呼び戻した。
「でも……今から六年前、あの事件が起こった」
正直ここから先の話はあまり話したくもないのだが、アイを説得するためなら仕方がない。
「メイギス教徒達が壁の中に侵入し、テロを起こしたんだ。首謀者ギノは神の憑依を無効化するウイルスを開発したと宣言し、次々とサンクアールの住民達にそのウイルスを込めた針弾を無差別に打ち込んでいった」
壁の内部には、メイギス教に対抗する武力というものが存在しなかったために、皆は抵抗出来ずになずがままにウイルスを打ち込まれていった。春樹の頭の中に当時の人の困惑した様子が思い描かれる。
「最初はそんなウイルスの事なんて誰も信じなかった。そんな都合のいいウイルスなんて開発出来るわけがないと言われていた。でも、そのうちそれが事実なのかを試す者が現れた。神に感染しているにも関わらず窃盗や器物破損などの小さな事件を起こし始めた。そしてその結果、そのウイルスを打たれた人達には本当に神が憑依しなくなったという事が判明した」
みんな実質、春樹のような免疫者と同じになってしまったと言える。
「皆がその事に気付くと、そのサンクアール内の犯罪が激増してしまった。そしてその内容も凶悪なものへと次第にエスカレートしていった。犯罪の起こらないはずの都市が、犯罪発生率世界一の都市へと変貌してしまったんだ」
それは、きっとこれまで犯罪が全く起こせなかった事の反動とも言えたのかもしれなかった。
「それだけじゃなかった。ギノがバラバラに動いていた区民たちを取りまとめ、そして扇動しはじめた。『もうロベルの時代は終わった。世界を我々の手に取り戻すのだ』と言って。そしてそれに乗せられた区民達はほとんど全ての人がメイギス教へと改宗してしまった。そして自らの体に打ち込まれたウイルスを世界に拡散させようと動き始めたんだ」
皆が声を上げ武器となるものを持ち街を練り歩く。その姿はまさしく暴徒であった。
「俺の両親はというと、なんとか最初のメイギス教の攻撃から逃れ、ウイルスの感染を受けなかった。そして、壁の中でメイギス教徒を止めようと戦った。でも、暴徒達に返り討ちにあって、殺されてしまった……」
その話にやっとアイはチラリと春樹の顔を見た。
「暴徒の魔の手は俺と小春にも向かおうとしていた。必死で逃げたけど、追い詰められて、もう駄目だと思ったよ。でもその時、神の憑依者が目の前に現れたんだ。そして俺達はその命を救われた。その時、お守りにと言ってもらったのがこのペンダントなんだ」
春樹はペンダントを胸元から取り出して握りしめた。
「それで? そのあとその暴徒達は一体どうなったの?」
「ん……? あぁ、それは……」
なんだか次第にアイは春樹の話に興味を持ち始めたようだった。
「……神の憑依者と教会の派遣した軍によって鎮圧されていったよ」
「ふーん……そうなんだ」
とおもいきや、急に興味を失ったような反応。一体アイのやる気スイッチはどこについているのだろう。
「なんだよ……」
「いえ、別に……。話を続けてくれる?」
春樹は一度咳払いをして気持ちを切り替えた。
「最終的にどうなったかというと、追い詰められたメイギス教徒が持ち込んだ放射性物質を中で爆破させてサンクアールは人の住めない場所になってしまった」
聖地とも呼ばれたその地を潰すなんて、メイギス教の非道さには驚かされるばかりだ。
その首謀者のギノはいまだに捕まっておらず、今も世界中でロベルと思しき人物の殺人を企てている。
「話はこんなところだ。結局、俺が神を信じるようになった理由はその事件がきっかけだ」
春樹は真っすぐアイに体を向けた。
「神がいなくなれば、世界中があのサンクアールのようになってしまう。お前もこれで神の正しさと必要性に気が付いただろ」
するとアイは目を瞑り、めんどくさそうにため息をついた。
「なるほどね、随分と熱心に語ると思ったら、私を改心させるためだったという事ね」
「あぁ……そうだよ。だからこんな馬鹿な真似はもう辞めてだな……」
「全然分からないわ」
アイは目を開くと、春樹に冷たい目を向けて言った。
「は……? お前、俺の話を聞いてたのか」
「えぇ聞いてたわ。ちゃんと一言も逃さずにね」
「だったらなんでだよ……何故そんなに神にこだわる。お前はなんのために神を追っているんだ。以前は神を手のひらの上で転がせれば気持ちいいとか言ってたけどあれは本当なのか?」
そうだ、思えばアイはこれまでロベルを特定するために結構リスキーな道を通ってきているはずだ。ただそんな趣味趣向のためにそこまで普通するだろうか。
春樹の質問にアイは何も答えようとはしない。
「やっぱり何かあるのか……だったら話してみろよ。相談にのるぞ」
「……残念だけど、話す訳にはいかないのよ」
「なんだよ……こっちはちゃんと教えてやったっていうのにさ」
「そんな私のプライベートな話をしたら、どこから足がつくかわからないでしょ。ま、あんたの話、面白くなくもなかったわよ。ある意味ね」
すると、やっとアイは春樹の顔を見たのだった。
「さて、そろそろ帰りましょうか。そろそろ暗くなってきた事だし。シャーリーもきっと待ちくたびれているわ」
春樹は肩を落としてため息をつく。結局アイの心を変える事は出来なかったし、ロベルを追う理由も聞き出す事は出来なかった。一生懸命語った自分が馬鹿のようだ。
「あぁ……そうだな帰ろう」
そして二人は階段室へと向かって行った。
「今日はいい運動になったわ。明日はこの体、確実に筋肉痛ね」
「そりゃあ、あれだけ体を酷使すればな」
「痛いのは嫌だから、明日くらいは一日小春に体を受け渡しましょうか」
「……それはそれでかわいそうだからやめろ」
アイは春樹の少し先で踵を返して、後ろで手を組み、体を傾けて言った。
「ふふ、週に一回くらいはこうやって遊びにいきましょうね、お兄ちゃん」
冷たい視線をしたり、小春の真似をしたり、なんだかキャラが不安定な奴だ。また春樹をからかっているらしい。
しかし、春樹は夕日が照らし出す彼女の笑顔に一瞬だけ、ほんの一瞬だけ見とれてしまったのだった。相手の体は自身の妹で、その中身はこの世界の平和を脅かそうとする危険人物という、ある意味世界一異性として見てしまってはいけない人物であるというのに。
「週一回って、本当いつまでその体に憑依してるつもりなんだ。さっさと小春を返しやがれ」
春樹はそれをごまかすように悪態をつき、アイの姿を追い抜いてその先へと進んで行った。
◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます