第14話 追いかけっこ
その後、春樹はアイを追いかけ続けた。広場を跳び周り、廊下を走り、階段を登り、屋上にたどり着き……しかし結局、アイに触れることは出来なかった。
「はぁはぁ……」
屋上にてアイと春樹は対峙する。春樹は体力の限界を感じていた。膝に手をつき肩で息をする。それに比べ、アイは顔色一つ変えていない。
「……思ったよりやるわね。まさかこんなに私についてこれるなんて思ってなかったわよ」
春樹は息を整え、上体を起こす。
「ふん……小春の命が掛かってるんだ。こんな事くらいなんでもない」
「さすがシスコンお兄ちゃん。でも私はもう飽きて来ちゃったわ。そろそろ諦めなさい」
「誰がそう簡単に諦めるか……」
するとアイは踵を返して屋上の端に向かって全力疾走を始めたのだった。
「え……お、おい!」
そして、端までたどり着いたアイはそのままの勢いで跳んだ。そして春樹の視界から姿を消してしまったのである。
「小春!」
春樹は焦ってアイが跳んだ場所へと駆け寄り下を見下ろした。
「お兄ちゃんーこっちだよー」
すると、アイが隣の宿舎へと飛び移っていた。両手を春樹に向けて降っている。建物と建物の距離は六m程度。この距離ならば、どうせ普通の人間には飛べないと思っているのだろう。
この建物は十階建てくらいか。下に落ちれば命はなさそうだ。
春樹は無言で踵を返すと、そのまま十メートルほと後方まで歩いた。
「お兄ちゃんー?」
そしてアイのいる方向に体を向けるとクラウチングスタートの形を取ったのだった。
「いくぞ……!」
春樹は次の瞬間、屋上の端に向かって全力で駆け出した。ここで恐れてはダメだ。速度を落とせば逆に危険だ。そして屋上の端までやってきた春樹は全力でジャンプをした。
「う、嘘でしょ!?」
斜め下前方にアイの驚く姿が見える。空中で春樹は少しでも飛距離を伸ばそうと空を手足でかいた。しかし、それでも駄目だった。どう足掻いても届きそうにはなかった。
「春樹!」
するとその瞬間、春樹の目の前に手が伸ばされた。春樹はとっさにそれを掴む。
「うぐッ!」
春樹は宿舎の壁面へと激突した。しかし何とか手は離さず、落下は免れた。
「大丈夫!?」
「あ、あぁ……」
アイもなかなか危険な状態であった。片手で屋上のでっぱりを掴み、なんとかぶら下がっている状態だ。
「はぁ……良かったわ」
良かった……? アイの口からそんな言葉が飛び出したのは春樹にとって意外であった。
「まったく、あんたってもしかして馬鹿なの? この距離を普通の人間が届く訳ないでしょ」
アイはそのまま春樹の体を片手で引っ張り上げ、でっぱり部分を掴ませた。そして軽々と屋上の上に這い上がると、そこから両手を使って春樹をもう一度引っ張ったのだった。
「うわっと」
春樹はその勢いのままアイの体の上へと覆いかぶさってしまった。
「……ありがとう」
春樹の目の前に小春の顔がある。
「ちょっと……胸に手が当たってるわよ」
「え……? あ、あぁごめん」
そういわれ、春樹はアイの上からどく事にした。アイも上体を起こす。
「妹の胸を揉むなんて、とんだ変態お兄ちゃんなのね」
「そうだな……でも、今のでお前にタッチしたぞ」
「え……!?」
アイは虚を突かれたような顔を春樹に向ける。そして拳を握りしめて春樹に向かって叫ぶ。
「ま、まさかワザとやったっていうの、私に触るために!」
アイは約束した。タッチすればもう小春に憑依する事はないと。ここでごり押しすれば、アイが約束を守る人間ならば、小春は開放されてしまうかもしれない。
「……いや冗談だよ。今のはノーカンにしといてやるよ。勝負は俺の負けでいい」
しかし春樹はそうはしなかった。正直跳ぶ前はそのつもりだったのだが、アイが春樹をあまりにも必死な形相で助けてきたので、なんだか気分が削がれてしまったのだった。
「何よ……せっかく助けてあげたのに、しといてやるよって偉そうな……」
「お前が挑発するのが悪いんだ」
「あんたが跳んだのが悪いのよ」
春樹とアイはお互いに「フン」と顔を背けた。
それにしても疲れた。春樹はそのまま仰向けになり、赤くなった空に目を向けた。
そのまましばしの沈黙。するとアイが立ち上がり、建物の端の方に向かっていった。
「あの呪われた地区もこうしてみると中々、風情があるものね」
そしてアイはそんなことを言い出した。
アイの言葉にふと春樹は上体を起こす。呪われた地区。それはどうやらサンクアールの事を言っているらしかった。春樹も立ち上がって、アイの見る景色を見る。
壁の手前にある地域は既に影の中だ。日照時間が短い地域と言えるだろう。しかし、決してあの壁を取り壊すことは出来ない。壁を崩せば汚染された物質が風と共に流れてくるからだ。
春樹はアイの横に立ち、その風景を一緒に見つめた。
「そいうえば、あんた、いつも何を触ってるの?」
「え……? あぁ、これは……」
気付けば春樹は胸の八面体のペンダントに触れていた。完全に癖になってしまっている。
「これは神に渡された大事なペンダントだ」
「ふーん……? ちょっと貸してみてよ」
「断る。神を否定するお前なんかに誰が貸すものか。何をしでかすか分からん」
「ケチな人ね。私はちょっとそれをここから投げ捨てようとしただけなのに」
「ふざけるな……」
そこでまた静寂が訪れる。カラス二羽が鳴きながら二人の前を通り過ぎていった。
「ねぇ……」
先に口を開いたのは、またアイのほうだった。春樹はチラリとアイの横顔を見る。
「あんたは免疫者なのに、ロベルを信仰しているのよね。どうしてそんな事になったわけ。あんなのを信じるなんて」
「あんなのとかいうな」
「なんでもいいから話なさいよ。さもないと殺すわよ」
そんな言葉を、まるで方言のようにアイはさらりと語尾につける。
なんでそんな話をこんな奴に……。しかし春樹はふと思ったのだった。これはいい機会かもしれない。
アイは偉い者を自分の手中に収めたいという、なんとも利己的で個人的な趣向のために行動している。つまり大して物事を深く考えていないのではないか。だから春樹がロベルを信仰する事になった理由をちゃんと話せば、もうロベルに自身を感染させようなんて気は起こらないのではないか。そんな馬鹿な事はしなくなるのではないか。
「……分かったよ。なら話してやる」
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