第13話 ストレス解消

 とはいっても、それからしばらくアイは次の事件を起こさないという事は分かっていた。その前に候補者の中で誰がロベルに感染しているのかをアイが確認しなくてはならないからだ。


 確認の作業は、アイが言っていた通り、近くのビルの屋上からアイは双眼鏡を使って学校を覗く事にしたようだった。


 春樹はその間、睡眠薬を手に入れるため、メンタルクリニックへと出向き睡眠障害を訴えた。端から見ても症状は分からない。案外簡単に睡眠薬は手に入るものだった。


 処方されたのは錠剤だったので砕いて利用することにする。一度コーヒーに混ぜて自身で飲んでみたのだが、結構な効き目であった。


 それだけで準備は整ったと言えた。あとは事件の当日を迎えるだけである。




 しかし、最初の事件から六日も経ったというのに、いまだにアイからの連絡がなかった。もう候補者の顔の確認くらい終わっているのではないのかと思うのだが。そうなれば、アイは一刻も早くロベルに感染させたいのではないのだろうか?




 そしてその次の日の土曜日、やっとアイから春樹の携帯へ電話が掛かってきたのだった。


『春樹、明日の朝、私のうちに来なさい』


「……そこはお前のうちじゃないだろ」


『なんでもいいから来なさい。じゃないと殺すわよ』


 それだけ言われてブツリと切れる電話。こちらの都合を聞きもしないで。


 春樹はその扱いに苛立ちを覚えながらも次の日、シャーリーの家へと向かう事にした。


 そうだ、ここは多少の理不尽でも我慢していいなりになっているフリをするべきだ。やっと来たのだこの時が、明日が事件を起こす日という事ではないかもしれないが、春樹は睡眠薬を持参する事にした。




 そして、次の日シャーリーの家にたどり着くと、アイはテレビゲームをしていた。あまりシャーリーがそんなものをしているイメージがなかったが、もしかして買わせたのだろうか。


「よく来たわね。ちょっと待ってなさい。今いいところだから」


 アイは春樹と目も合わさず、コントローラーを握りしめている。FPSのホラーゲームらしく、敵が主人公に襲い掛かってきている。


 春樹は円卓の前に座り、シャーリーが出してくれた紅茶をすすって待つことにした。


 そしてその十分後、


「あぁ! やられたわ!」


 画面にゲームオーバーの文字が表示され、物悲しいBGMが流れ始めた。


 ようやく区切りがついた……と思ったのだが、アイは「あと一回……」と言ってコンテニューの文字にカーソルを合わせ始めた。


「おい! もうゲームはいいだろ!」


 こいつはいつまでどうでもいい事で人を待たせるつもりだ。思わず突っ込みを入れる春樹。


「なによ、いい所なのに……」


 すると、アイはブスッとした顔を向けてきた。


「お前が呼び出したんだろうが」


 何とかアイのゲームを終わらせると、三人は円卓を囲った。


「で、今日の用事はなんだ」


 アイは何だか、やる気がなさそうに「んー?」と春樹と目も合わさず自身の爪を見ている。その爪には真っ赤なマニュキアが塗られていた。小春は塗らなさそうな派手な色だ。


「……特定の続きか? 事件を起こすのか?」


 春樹は何だかその態度にしびれを切らして自分で尋ねてしまった。


「いえ、それはまだしばらく休憩よ」


「え……でも、もう神の候補者の顔の確認はさすがに終わったんじゃないのか」


「そうね、それは終わったわ」


 そこで春樹はアイに名簿を渡されたのだった。ロベルの候補だった人物に×印と○印が付けられている。それに目を通していくと、○と×の割合は半々といったところだった。これは世界の感染者の割合から比べると高いということになるが、まぁ、この学校の宗教がロベル教なので、その割合はもともと高いのだ。


 春樹は自分の親しい人物の名前に目を向ける。するとやはりクレイ、ポール、リンファの名前は×がつけられていた。


「これ、この×印のほうが感染者なんだよな」


「えぇ、そうよ」


 その言葉に春樹は少しほっとする。どうやら彼らの宣言通りのようだった。


「でも、危険人物(あんた)が出たってことで、学校周辺の警備は増えているみたいだし」


 確かに、最近学校周辺には警察官の姿が増えたようだった。


「拳銃をもった憑依者が相手じゃ、なかなかあんたも逃げきる事は難しいんじゃないかしら」


「まぁ……そりゃそうだけど。じゃあなんだ、次に事件を起こす時はその警備の強化が終わった頃になるって事なのか」


「ま、そういうことよ」


 春樹は考える。警備の強化は一体いつ終わるのだろうか。


「……それじゃあ、数週間は時間が掛かってしまいそうだけど」


 そんな先まで次の事件は起こせないという事なのか。


「何? あんたはそんなに早く神を特定したいのかしら?」


 気付けばアイは春樹に鋭い視線を向けていた。春樹はそんな空気感を出してしまっていただろうか。ここで怪しまれてしまうのはマズイ。何とか自然に誤魔化さなくては。


「い、いや、別にそういう事じゃない。でも小春をいつまでもこんな状態にしてはおけないだろ。家の中にずっと引きこもって……このままじゃ人として駄目になってしまう」


「そうそう、実は今日あんたを呼んだのはその為なのよ」


「え……?」


 アイはビシリと春樹の顔を人差し指で差してきた。


「春樹、私と遊びに行きなさい」


「は……? 遊びに? 俺とお前が?」


「えぇそうよ。この体はこの引きこもり生活でストレスを感じているの。人の体は気晴らしと運動が必要だわ」


 春樹は最初、一体何の冗談かと思ったが、それを聞いて納得した。


「まぁ……そういう事なら仕方ない」


「この私と遊びに行けるというのに、仕方ないなんて。まったく人の価値というものを分かっていないわね、あんたは」


「妹を誘拐して人質にとってる犯人と喜んで遊びに行く奴がどこにいるんだ。あくまで小春のためを思ってだ」


 春樹がシャーリーに顔を向けると彼女は頷いた。当然、この話は事前に知っていたのだろう。


 視線をアイへ戻す。


「……で、遊びに行くってどこに行くんだ? 当然、人がいる場所には行けないんだろ?」


「そうね……。まぁ、とりあえずあの場所でいいかしら」


 ◇


 そしてその一時間後。春樹たちはアイと初めて出会った廃ホテルへとたどり着いた。


 この建物の奥には広い中庭があり、そこでなら誰にも見られる事なく羽を伸ばせるだろうという話だった。


 車から降りて、ホテルの建物へ向かって歩いて行く。そして入口へとたどり着いた時だった。


「じゃ、シャーリーはここにいて」


 アイは立ち止まってシャーリーの方を見た。


 アイの言葉にシャーリーは「え……」と口を開く。


「何の為に三人で来たと思ってるの」


「わ、私も一緒に遊ぶのかなぁと……」


「……あんたは見張り役よ。誰かここに来ないか見てて」


「そ、そんな……」


 シャーリーは足と見張りのためか。中々損な役回りである。


 するとアイは春樹に目を向けて、まるで純粋そうな、小春のような笑顔を向ける。


「それに、私はお兄ちゃんと遊びたいんだからね」


「……小春の真似はよせ」


 春樹はアイをその場に残すようにしてさっさと先へと進んでしまう。


「何よ、待ちなさいよ」


 そして建物の中を通り抜け、二人は中庭へとたどり着いた。


「へぇ……案外いい雰囲気だな」


 それは古代ギリシャを思わせるような場所であった。ドリス式の柱の上に梁が架かったシンプルなオブジェが立ち並び、噴水が吹きあがっていたであろう、池があった。


 その時、横に立つアイが「ふふん」と不敵な笑い声を浮かべ始めた。


「春樹、私の身体能力を見せてあげるわ」


 するとアイは近くにあった高さ三mほどの梁の上にバク宙で飛び乗ったのだった。そしてそこにストン座り、春樹をドヤ顔で見下ろす。


「どう?」


 確かにそれは自慢に値する能力かもしれなかった。しかし春樹には気が気でなかった。


「おいおい……それは小春の体なんだからな。無茶はしないでくれよ」


「何よもう……。そんなんじゃ、ストレス発散にも運動にもならないわよ」


 アイは春樹が褒めてくれなかったのが不満だったのか、腕を組んで頬を膨らませている。


「運動なら、その辺の通路でも走り回ってればいいだろ……」


「ふざけないでよ。それじゃあつまらないわ……そうね」


 アイは顎に指先を当てて、何か考え付いたようだった。


「ふふん、じゃあこうしましょうか。あんたが私にタッチ出来たら、小春を返してあげましょう。もう二度と小春に憑依なんてしないわ」


「え……」


 春樹はそれを聞き、眉をひそめた。


「本気で言ってるのか?」


「えぇ、そうよ。この私に二言はないわ」


 アイは自身の胸に左手を当てて、右手は広げ、目を瞑り、まるでオペラを歌うようにして宣言してみせる。大分怪しいが、やってみる価値はありそうだ。


「……約束だからな」


 ◇

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