第4話 もう一人の感染主『アイ』

 次の日の土曜日、春樹はクロスバイクに乗って山道を登っていた。


 目指す先は手紙で指定されたホテルだ。調べてみたところそのホテルは既に経営破たんによって閉鎖しているらしい。ネットには廃墟マニアによる写真がアップされていた。


 それは学校から東へ二十キロほど離れた山の中腹にあり、結構な体力を使ってしまった。


 その敷地の前にたどり着き自転車を停める。門から顔だけを出して内部の様子を伺った。


 山を切り開いて作ったのだろうそのホテルは結構な規模だった。敷地内にはとりあえず誰の姿も見えない。身の危険は感じるが、ずっとここで眺めていても仕方がないだろう。


 立ち入りを禁じるロープを乗り越えて敷地内部へと侵入する。春樹は建物の窓から誰か見ていないかなど、十分周囲に留意しながら、正面の建物の入口へと向かった。


 建てつけの悪い回転式の扉を押して中へと入る。するとその時、後方から車の音が聞こえてきた。通り過ぎていくかと思ったが、どうやらホテルの敷地の前で停車したらしい。


 まさか……誘拐犯の一味? ドアの窓から半分顔を出してその様子を見る。すると門から一人の女が顔を出した。それは春樹に見覚えのある女だった。


「え……ブラウン先生?」


 小さな丸メガネ、ミディアムヘアで巨乳。間違いない。シャーリー・ブラウンは春樹のクラスの担任である。それと同時に小春が所属しているバドミントン部の顧問でもあったはずだ。春樹のいるホテルに向かってきている。


「どういう事だ……まさか先生が犯人……?」


 いや、何だかそうではないように思えた。シャーリーは植栽や壁に隠れながらこそこそとホテルの入口を目指しているようだ。あれはおそらく春樹と同じ、ここに招かれた側だろう。


 春樹はシャーリーが入口から入ってくるのを待つ事にした。そして、シャーリーは入ってきた瞬間春樹の姿を見ると、目を思いっきり瞑ってファイティングポーズをとった。


「で、で出たな! 誘拐犯! 私の生徒に手を出そうったってそうはいかないんだからぁ!」


 そこでシャーリーは気付いたらしい。慌てた様子で両手を降ろす。


「って! は、春樹君!? どうしてこんな所に?」


「……ブラウン先生こそ、どうしてこんな場所に」


 一応春樹は犯人に口止めされてある。下手に口走らない方がいいだろう。まぁ、先ほどのシャーリーの言動からしてほぼ間違いないとは思われるが。


「わ、私、小春さんが誘拐したって写真と手紙が送られてきて……もしかして春樹君も?」


「えぇ……その通りです」


 春樹が小春の兄である以上関係者ではないという可能性は限りなく低いが、それでも簡単に話してしまうのはどうなのだろう。同じ手紙の内容ならば、他言無用とも書かれていたはずだ。


 以前から春樹は思ってはいたが、やはりシャーリーは考えが足りない部分があるようだ。


 それにしても、なぜシャーリーまでこの場に呼ばれたのだろう。春樹は考えてみたがその理由が浮かばなかった。シャーリーは教会における重要な立場にいるわけではないと思うのだが。


「ところで……先生には神の血は巡ってないですよね?」


「え、えぇ……」


 それはそうだろう。犯人はロベルの感染者を招き入れるような自殺行為はしないはず。


「珍しいですね。うちの学校の教師ってほとんどが神の血に感染してると思ってましたけど」


 サンジナ中央学園はロベルの宗教学校だ。教師は教育する立場状、感染者ばかりを採用していると春樹は聞いた事がある。


「その、私って免疫者だから……感染したくても出来なかったの」


「えっ……そうだったんですか」


「確か春樹君もそうだったわよね」


 免疫者は千人に一人程度。まさかこんな身近にいるとは、春樹はその事実を初めて知った。


「つまり……僕達二人はロベル教で免疫者。僕達が集められたのはその辺りに理由があると思って間違いなさそうですね」


「そっか……。でも、具体的にはそれってどういう理由なんだろ」


「それはまだはっきりとは分かりません」


 だが何となくの予想はつく。ロベルの支配を受けない免疫者はメイギス教にとって重要な人材。もしかしたら二人は改宗を求められるのかもしれない。その場合どうすればいいだろうか。春樹はロベル教の敬謙な信徒。だが小春を人質に取られているならばNOとは言えない。


「とにかく、先へ進みましょうか。そうすれば分かるはずです」


 ロビーの先へと進みカウンターへとたどり着く。するとその上に紙が置かれていた。


『右奥にあるホールに来い』


 その内容を見て右を見る。先には薄暗い通路が続いている。


 指示のままに通路を進んでいくとシャーリーが春樹の腕を掴んできた。


「ちょっと、先生……なにくっついてきてるんですか」


 それと同時に彼女の胸が当たってくる。


「そ、そんなの怖いからに決まってるでしょ。教師だって人間なんだから」


 これではいざという時に動きにくいかとも思ったが、春樹は仕方ないのでそのまま先へと進んでいった。時折上部にある一定間隔で開いた小窓から指す光が二人の顔を照らす。


「ところで先生、何か武器となるものでも持ってきましたか」


「え……? い、いえ……私は何も……春樹君は何か持ってきたの?」


 先ほどシャーリーは素手でファイティングポーズを取っていた。聞くだけ愚問だったか。


「えぇ、包丁を持ってきましたよ」


 春樹はショルダーバッグの中に包丁を入れてきた。バッグの部分は現在、左脇にあり、いつでも素早く抜く事が出来るようにスタンバイしてある状態だ。


「えぇっ……そ、そんな危ないもの……」


 そんな事を言っても、有事になれば一方的にやられる訳にはいかないだろう。戦いなんてもちろん春樹もしたくはないが。


「まぁ、武装してる組織相手とかならこんなものほとんど意味なんてなさそうですけどね」


 改宗を求められるという猶予があるならまだマシだ。免疫者のくせにロベル教を信じているというだけの理由で春樹達はこれからメイギス教徒達にリンチされて、下手すれば殺される、なんてこともあるかもしれない。


 通路の突き当りは観音開きの扉だった。少しだけ押して開き、中を覗き込んでみる。するとそこは紙に書かれていた通りホールになっていた。昼間だというのにカーテンが閉められていてかなり暗い。春樹は扉を押し開けて中に入ってみる事にした。


「ちょ、ちょっとぉ春樹くーん」


 シャーリーは先に進みたくないらしく、春樹の腕から離れてしまった。体勢を低くしてキョロキョロ周囲を見回しながら少し後ろからついてくる。


 春樹も怖くないはずがない。しかし小春のためなら行くしかない。喉をごくりと鳴らし、足を進めていく。すると、暗いホールの奥から何やら物音が聞こえ、春樹は足を止めた。


「ひっ……! ひ、ひと?」


 シャーリーが怯えたような声を上げて春樹の後ろに隠れた。


 包丁を構えるべきか。いやしかし下手に相手を刺激してもいい結果にならないのではないか。


 足音が近づいてくる。一体犯人はどんな奴なのか。やはり、メイギス教徒の強硬派なのか。ごつい武装した男なのか。春樹は様々な考えを錯綜させながらその人物が姿を現すのを待った。


 しかし奥から現れたのは、たった一人の手に何も持たない華奢な少女のようだった。


「……小春!?」「小春さん!?」


 カーテンの隙間からの光が彼女の姿を照らし出す。長いサラサラのロングヘア、黒く澄んだ瞳。顔立ちは少し薄いが、整ってはいる。それは間違いなく春樹の妹、小春だった。


 周囲を確認するが特に人影はない。春樹は小春の元へと駆け寄るとその両肩を掴んだ。


「小春! 大丈夫か!?」


 呼びかけてみたが、小春は春樹の顔を真顔でじっと見つめているだけだった。


 シャーリーは春樹の肩越しに小春を覗き込んでいる。


「小春……おい、どうしたしっかりしろ!」


 反応のない小春の様子にシャーリーが春樹の影から出てきた。


「ま、まさか小春さんあなた……何か変な薬でも盛られて……それともまさかまさか……」


「……少し黙っててください先生」


 再び春樹は耳を澄まして周囲の様子を確認する。やはり他には誰もいない。小春は別に捕まっている状態にないらしい。ならなぜ小春はここから逃げないのか。本当に小春は頭がおかしくなってしまっているのか。しかし、今はごちゃごちゃと考えている場合ではないだろう。


「……とにかくここを出よう」


 逃げられるならば今の内だ。春樹は小春の手のひらを掴んで引っ張った。しかしその瞬間、


「やめてくれる」


 小春はそう言って春樹の手を払いのけた。そして見た事のない鋭い目を春樹に向けている。


「小春……? お前、本当にどうしちゃったんだよ」


 小春は腰に手を当てて、ツンと目を瞑り顎を少し上げた。


「言っておくけど、私は小春じゃないわ」


「え……」


 その態度に春樹は頭がついてこなかった。シャーリーもその様子に只々目を見開いている。


「それはつまり……」


「私は小春に憑依しているのよ」


 春樹はその言葉に、やっと状況を理解した。


「そ、そうか! そういう事だったんですね!」


 春樹は小春の体から離れるとその場に片膝をついて頭を下げた。


「えっ……あっ……!」


 遅れるようにしてシャーリーもその場に「ははぁ」とひれ伏した。


「神よ。どういう理由かはわかりませんが今まで小春の体に御降りになられていたのですね」


 しかし、何だかそれと同時に春樹は違和感を覚える。ロベルはこんな女言葉だっただろうか。それにこんな傲慢な態度ではなかったはずだ。


 顔を上げて小春の顔を見た。小春は口角を上げて蔑むような目を春樹に向けている。


 春樹はその場に立ち上がると、一歩後方へ下がった。


「お、お前は一体誰だ……?」


 シャーリーは春樹の反応に「え……?」と顔を上げる。


「あら、分かっちゃった?」


 謎の存在は小春の額に手を当てて、半分顔を隠し、自己紹介を始めた。


「その通り。私はロベルじゃない。私の名前はアイ。もう一人の感染主よ」

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