第2話 春樹の信仰

 サンジナ区にあるサンジナ中央学園。この学校は六年前の暴徒化事件によってサンクアールから追い出された子供達を受け入れる事を主な目的として設立された学校である。


 ロベル教の宗教学校といえるこの学校は、基本的にその学校に通う者、働く者はロベル教徒であった。


 春樹はその高等部に属し、その敷地内にある寮で生活を送っている。


 月曜の朝、目を覚ました春樹は顔を洗い歯を磨くと部屋を出て男女共有の食堂へと向かった。


 寮舎とは離れた位置にある食堂。そこでトレーにパンやらスクランブルエッグやらを乗せて既に席についていた男の対面へと座り「おはよう」と挨拶をした。


「おはよう春樹君」


 笑顔で挨拶を返してきたのは同じ寮生のポール・ドールだ。サラサラの髪、そして銀縁の眼鏡を掛けていて、少し小柄。そのイメージ通りに頭が良く、勉強が得意な男である。


「昨日は大変だったらしいね。メイギス教徒の仕掛けたテロだって?」


「あぁ、神の正体がマルコ司祭とか言いだしてね」


「またギノのせいなのかな」


「その通り。ギノはロベルの正体がこの世界のどこかにいる人間、なんて思ってるらしいからな。まったく無茶苦茶だよ。まぁ、神がいてくれれば大した問題にもならないんだけどな」


「そっか……一体ギノもいつ捕まるんだかね」


 ギノは六年前の暴徒化事件以来、どこかに潜伏し世界中で今もテロの指令を行っている。


「まぁ、神がいるのにこんなに捕まらないなんて、実はもう死んでるなんて説もあるけど」


「テロを起こした犯人が責任を押し付けるためにギノの名を出してるって話か? まぁ、ありえるかもな」


 そこで春樹の隣に背の高くガタイのいい、つんつんとんがり頭の男が座ってきた。


「うーっす」


 その男の名前はクレイ・レッドハートという。彼も寮生であり、春樹と同じクラスメイトでもある。ポールと共に、春樹の親友と言える人物だ。


「なんの話してたんだぁ?」


 クレイは眠気眼でパンをかじりながら二人に尋ねる。


「あぁ、昨日の話だよ」


 そして二人は、クレイに話題にしていた事を話したのだった。


 するとクレイは自身の手の平に拳を叩きつけた。


「ギノめ、どっかで会ったらぶん殴ってやんねぇとなぁ! いやそんだけじゃすまされねぇ」


 物騒な発言をするクレイだが、春樹にもその気持ちは十分理解出来た。


 ここにいる三人は皆サンクアール出身である。ギノの手によって自分が住んでいた街をめちゃくちゃにされ、家族を失いここにいる。ギノに対しては皆思うところがあって当然だ。


 ◇


 その次の週の日曜日、再び春樹はサンシスタ教会へと向かった。


 講堂の控室にいるとマルコがやってきた。髪は白く顔には深いシワが刻まれており、もう老体と言った感じではあるが、まだまだ現役で神の教えを説いている、春樹が尊敬する人物だ。


「春樹君、先週は大変でしたね。しかも私が目当てだったとは、迷惑を掛けてしまいました」


「いえ、悪いのはメイギス教徒です。彼等は誰彼構わず神と認定して命を狙ってきますから」


「そうですね。彼らは神の正体が人間であると信じているようです。おそらくそうでなければ手が届かないので、そう思い込むしかないのでしょう」


「なるほど……」


「しかし神がいる限り問題はありません。神はいつでも私達の事を見守ってくださいます」


 春樹は「はい」と返事をする。すると、マルコは部屋にある時計を見た。


「では、そろそろ時間でしょうか。今日の講演、よろしくお願いします」




 講演室に入ると、そこには四十名ほどの子供達とその保護者達が集まっていた。


 春樹は舞台裏から出て演壇の上に立ち、皆の視線を浴びる。


「みなさん、先日は講演が中止になってしまい誠に申し訳ありませんでした」


 春樹は時折、このように教会へ来て説教を行っているのだった。


「けが人などは出なかったので本当に良かったです。これも神のおかげです」


 そう言って春樹は目を閉じ、自身の首に下げられた八面体のペンダントを握った。


「では、さっそく皆様に神のお話を始めたいと思います。何か質問がある場合はいつでも遠慮なく手を上げて聞いてきてくださいね」


 春樹は目の前の木製の台に手をつき、皆に笑顔を向けて話を始めた。


「神はこの世を作った創造主です。ですから遥か遠い昔より存在していました。しかし、人の世に顕現されたのは今より十年前の事です。そしてその方法は皆様も知っての通り、人の心の中に現れるというものでした。神は人の体を一時的に借りる事によって人々をお導きになるようになったのです」


 すると、一人の少し太った少年が手を上げた。年齢は小学校低学年といったところだろうか。


 春樹は「はい、何でしょう?」と手の平の先をその少年に向けた。


「じゃあ僕の中にも神様が降りて来ることはあるんですか?」


 春樹は「いえ」とかぶりを振ってその質問に答える。


「神がお降りになるには、その者の体の中に『神の血』が巡っている必要があるのです」


 少年の年齢は十一歳に届いていない。ということはまず間違いなくロベルの血は巡っていない。つまり感染者ではないだろう。ロベルの感染は十一歳以上に限られているのだ。


「神の血……? なら、それを体に入れればいいんですか?」


「残念ながら、それはそう簡単なことではないのです。単純に神の血が巡っている者の血を別の者の体内に輸血したとしても、それを受け継ぐ事は叶わないのです」


「じゃあ一体どうやるんですか」


 手を挙げたと同時に質問をしたのはブロンドの髪色の女の子だった。


「神の血を授与出来るのは神が降りた者だけなのです。そして神がその力を込めた血液のみが神を心に宿す事が出来る効力を持った血液なのです」


 少女は分かっているのかいないのか「はへー……」とあやふやな返事をした。


 ちなみに、その感染効力を持った血液は、ロベルに憑依された者から離れればすぐにでも効力を失ってしまい、保存などは出来ない。感染はロベルが直接行うしかないという事だ。


「神が最初、誰の元に現れたのか定かではありませんが、十年前から神はその血の拡大を行っています。そして今現在では全世界の三割程度は神の血が巡っていると言われています」


「じゃあ春樹さんの体の中には、神の血が巡っているのですか?」


 続けてそれは少女の質問であった。確かにこうやって人に説く立場の人間ならば、そうだと思われても仕方がないだろう。しかし春樹はロベルに感染していないのだった。


「……いえ、僕は生まれながらに神に対する免疫を持つ、いわゆる免疫者とよばれる者です。ですから僕には神の血が巡ることはないのです」


 それを聞き少女が「えぇっ」と驚きの声を上げる。


「お母さんが、免疫者は危険だって言ってた! 免疫者はメイギス教徒だからって!」


「ちょ、ちょっとニアちゃん! 春樹さんが危険な訳ないでしょ!」


 母に叱られる少女。春樹はそんな暴言に近いその言葉にも穏やかな表情のまま答えた。


「確かに、免疫者はメイギス教の信者の割合が多いですね。自分達には神の力が及ばないために、メイギス教に入り、神に反抗したくなるのでしょう」


 免疫者の数は世界人口の千分の一ほどだと言われている。


「メイギス教徒は主ロベルをただ力で人々を押さえこんでいるだけだと言って批判します。確かに神の力は強大であると言っていでしょう。神の血が巡っている者にならば世界中いつでもどこにでも神は降り、そして力を行使します」


 それは悪意を持てば、世界を崩壊に導けるほどの力と言えるだろう。


「しかし、神を恐れる必要も、批判する必要もどこにもないのです。なぜなら神はその力の使い方を間違う事がないからです。神はただ、その力を日々、人々から争いをなくすために使っておられるだけなのです」


 少女はその時には春樹に対する不信感は薄らいでいるように見えた。


「実は、僕のような若輩者がこうしてここに立っているのは僕が免役者だという理由が大きいのです。僕は神によって、この身を支配される事はありません。力によって押さえつけられているわけではないのです。しかし、それでも僕は神を心から敬い信仰しています。なぜならそれは、神の正しさを信じているからです」


 春樹は両手を広げて子供達の顔を見た。


「さぁ、皆さんも神を愛し、そして神に愛されましょう。この世界の平和を築くのは神の力ではなく、皆さんそれぞれの中にある心なのです」


 それは春樹の心からの声であった。そして心からの声は他人の心にも響くもの。すこし最初はロベルに対する疑惑があったかもしれない子供達も今はもう、春樹の話をキラキラとした目で見ていた。


 ◇

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