感染カノジョ

良月一成

第1話 神が降りし世界

 リザリアという大陸の西側にある島国、その中央には半径五十キロにも及ぶ高い壁に囲われた都市があった。その名はサンクアール。とは言っても現在その中には誰の姿もない。六年前の暴徒化事件の時に放射性物質がばら撒かれてしまったからだ。


 春樹櫻井ハルキ・サクライが住んでいるのはそのサンクアールの東、サンジナ区である。


 九月に入ったばかりでまだまだ暑さが抜けない日曜日、春樹は学校の寮を出ると、その近所にあるサンシスタ教会へと向かった。


 門を抜けた先には大きな噴水のある広場があり、その先には荘厳な大聖堂や講堂、修道院などの施設がある。ロベル教の中でもここは、世界有数の規模を持つ教会であった。


 春樹が講堂に向かって歩いていると「キャー」と甲高い叫び声が聞こえてきた。


 声の方を見ると、人々が聖堂から我先に飛び出してきているようだった。


 春樹は人々の流れに逆らうようにして、聖堂の中へと入っていった。


 すると、一人のポロシャツにジーンズ、サングラスの男が声を荒げているようだった。一人の修道女がその男に後ろから首に腕を回されて顔に刃物を突き付けられている。


「マルコ司祭を出せ! さもないとこの女を殺す!」


 皆が男からの距離を取る中、春樹は男に歩み寄り「何をしている!」と声を掛けた。


 その声に、男は修道女ごと春樹へと体を向けた。


「あぁ? 貴様は教会の関係者か」


「あぁ、そうだ。馬鹿な真似はよせ。なぜこんな事をする」


「私はギノの命を受けここまでやってきた!」


 その名に春樹は眉をひそませる。サンクアール暴徒化事件の首謀者であるその人物の名に。


「メイギスこそが唯一神。ロベルは偽物の神だ。だから私はロベルを討ちに来たのだ!」


「た、助けてください……」


 捕えられた修道女は震えた声で春樹に訴える。その目じりには涙が浮かんでいた。


「それで、なぜマルコ司祭を呼ぶんだ」


「そのマルコ司祭こそがロベルの正体である可能性があるからだ!」


「馬鹿な事を……一体何の根拠があってそんな事をいう!」


「さぁ! さもないとこの女の命はない。さっさと呼んでこい! この教会にいるはずだ!」


 春樹の話を無視するように叫ぶ男。どうやら大した根拠などないらしい。確かにマルコはロベル教の中でも高い地位にいて、この世界を大きく変えてきた人物の一人ではあるのだが。


 当然ながら、こんなことでマルコをこの場に呼ぶことなんて出来るわけがない。


「私達は主、メイギスの意志に従いお前達を偽者の神から解放せねばならぬ!」


「……いくら叫んでも無駄だ。マルコ司祭はここには来ない」


「……どうやら、私が本気だということが未だに理解出来ておらんようだな。ならばまずこの女をその犠牲とし、自身の愚行に気付くがよい!」


 捕らわれた修道女は「ひっ!?」と声にならないような悲鳴を上げる。


 メイギス教徒は、刃物を振り上げ、女の体に突き立てようとした。


 しかし、ナイフの切っ先が修道女の体に届く事はなかった。今まで震えて泣いていた修道女がメイギス教徒の腕をガシリと掴んだからだ。


「うおおっ!?」


 そして、そのまま女は体勢を低くしメイギス教徒の腕を肩の上に乗せて、その体を前方に投げ飛ばしてしまった。見事な一本背負いである。


 強盗はコンクリートの床に背中を叩きつけられ、悶絶する。


 周りのロベル教徒達は、その様子に「おぉ……!」と歓声を上げる。


 しかしメイギス教徒はまだ戦う気力を失ったわけではなかった。起き上がり、女へとナイフを向ける。


「で、でたな! この偽物めがぁ!」


 その言葉に女は感情を無くしたような平坦な声で男に言う。


「それ以上の抵抗はやめなさい。苦しむのはあなたです」


「ふざけるなぁっ!」


 ナイフを腰に構え突進するメイギス教徒。しかし次の瞬間、その近くにいた一般来場者の黒縁メガネをかけた細身の男がメイギス教徒に駆け寄り、その顔面に膝蹴りをした。


 それはどうやらピンポイントでメイギス教徒のアゴに直撃したらしい。脳を揺らされてメイギス教徒はその場に倒れてしまった。


 床に転がった刃物を手に取る黒縁メガネの男。メイギス教徒は完全に意識を失ってしまったようだった。


「おぉ……! 神よ!」


 皆の視線は今しがた飛び蹴りをした黒縁メガネの男へと向けられた。一本背負いをした修道女は何が起こったのかと不思議な顔をして周囲を見渡している。


 春樹はその男の前に行くと片膝をついた。


「神よ、よくぞ参られました」


 礼拝堂内にいた他の者達もそれに続くように膝をつく。


 春樹が神と呼んだ黒縁メガネ男は春樹に顔をむけて僅かな笑みを浮かべた。


「春樹櫻井。これからも良き信徒でいてください」


「はい、もちろんです」


「さて、私はもう行かなくてはなりません。後の事はあなたに任せてもよろしいでしょうか」


 そういうとメガネ男は春樹にナイフを手渡してきた。春樹はそれを丁重に両手で受け取る。


「承りました。どうぞこの私にお任せください」


 すると男は周囲の人々に目を向けた。


「では。皆様も。私はいつでもあなた方の事を見守っています」


 次の瞬間、男は頭をしだれ、一瞬ぐらつき、こめかみの辺りを手の平で抑えた。


「うっ……俺は一体……」


 すると春樹は立ち上がり、男に笑顔を向けた。


「安心してください。メイギス教徒はあの通り倒されました」


 メガネ男はメイギス教徒の倒れた姿を見下ろし「おぉ……」と感嘆の声を上げた。


「あなたに神が降りたのです。そして神によって事件は解決されたのです」


「そ、そうか……この俺に神が……」


 メガネの男はそう言われ天にも昇るような恍惚な表情を浮かべていた。




 そのあと警察がすぐに駆けつけてきて、メイギス教徒は逮捕される事になった。


 春樹はその場で事情聴取を受けた。メイギス教徒という名のテロリストが現れて、修道女とめがねの男に神が降り、テロリストを制した。そう春樹が話すと警官はごく当たり前のように頷き納得していた。


 今はこんな事が起こるのが世界の常識になってしまった。しかし、今から十年前以前の人々にこんな話をしても誰も信じてなどくれなかっただろう。


 ◇

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