私の赤ちゃん

鳥柄ささみ

私の赤ちゃん

頬に何かが触れた感覚。ゆっくりと目蓋を開けると、そこには視界いっぱいに酷く爛れた女の顔があった。


「ねぇ、私の赤ちゃん、知らない?」


ガバッと勢いよく飛び起きる。


「ゆ、夢……?」


なんて夢だ。悪夢だ。鼓動が今までにないくらい早鐘を打つ。胸が痛い。


「今野さーん、回診ですよー」

「あ、はい。お願いします」


看護師さんの言葉と共に、先生が来る。俺の顔色を見るや否や「大丈夫?具合悪い?」と聞かれる。


「いえ、ちょっと変な夢見ちゃって」

「あぁ、それなら良かった。って良くないかもしれないけど、とりあえず脚の方じゃなくて良かった。痛みはない?変にくっつくと困るからあんまり動かさないようにね」

「はい、ありがとうございます」


念のため、と体温を測られ、触診もされるが、とりあえず異常はないようでホッとした。


「寝る前に恐い映画とか見ちゃダメだよー」


そう言って先生と看護師さんは部屋を出て行く。


「見てないんだけどなぁ」


誰もいない病室。先月、バイクで転倒し、ある意味打ち所が良くて脚を骨折しただけで済んだのだが、それでもさすがバイク。


骨折と言っても軽いものではなくて、両脚骨折だったためにこうして入院を余儀なくされた。


以前は大部屋でそれなりに人もいたのだが、1人、また1人と減っていき、今ではこの大部屋にいるのは俺1人だけである。


正直まぁまぁ寂しいが、片田舎の寂れた市立病院なのでそんなワガママも言ってられない。


というか、自分が早く退院すればいいだけなのだし、こんなことで悩むのも馬鹿らしい。


そもそもさっきの夢はいやにリアルだった。あの頬をかすめた女の髪の触感は今でも思い出せる。


ガシッ


「うぉぉ!」


足首を突然掴まれて飛び上がる。すると、いつの間にいたのか、幼馴染の清志がくつくつと笑いを堪えながら俺の足首を掴んでいた。


「今野さーん、静かにしてくださいー」

「す、すみません!」


怒られたのを聞いて、途端に清志が噴き出す。


「あーちょーウケるー!何びっくりしてんだよー。めっちゃ跳ねてたぜ?カエルかよ!しかも怒られてるしー、恥ずかしいー」

「うっせ!お前のせいだろ」

「はー!久々にウケたわー」


腹を抱えて笑い転げている清志に軽く腹パンする。マジでムカつく。治ったら覚えてろよ。


「てか何しに来たんだよ」

「えー、優しい俺からの差し入れー!」

「どうせおばさんに持っていけって言われたんだろ」

「まぁなー」


清志のお母さんは農協で働いているので、ちょこちょこ清志を通して果物を差し入れしてくれる。ありがたいことだ。


「そういや、紘の母ちゃん、今夜見舞い来るってよ」

「へー珍しい」

「おいおい、自分の母ちゃんだろ?」

「そうだけど、仕事一筋でいつも忙しそうにしてるからあんま来ないし」

「教師まだやってんだろ?今期末ちょうど終わって手隙なんじゃん?」


言われてみたら確かにそうかもしれない。ずっと寝てばかりで日付感覚がマヒしている。


「そういえばさー」

「ん?」

「最近この病院の敷地内で焼身自殺あったらしいぜ」

「は?」

「やっぱ知らねーんだ。入院患者を怯えさせないようにって情報規制してるって言ってたからな」

「ちょ、俺まだここに入院してなきゃいけないんだけど!そういうこと言うんじゃねぇよ!」

「えー別に大丈夫だろ。あ、もしかして、そういうの信じてる系?」

「いや、別に、そんなんじゃねぇけど、さー」


とはいえ、恐いものは恐い。さっき悪夢を見たばかりだ、だから余計にビビっているというのはある。


「じゃ、俺これからバンド練習あっから!」

「はぁ?恐がらせるだけ恐がらせておいて行くのかよ」

「もう用事済んだしー。あ、ちなみに、その焼身自殺したの女らしくて、身籠ってたらしいぜ。男に捨てられたんかね?」

「もう、そういう情報ばっかいいから、行くなら行け!」

「へいへい、じゃあなー!早く元気になってまたツーリングしようぜー」


まるで嵐のごとく去っていく清志に手を振って見送る。はぁ、もう、なんて奴だ。


「その焼身自殺したの女らしくて、身籠ってたらしいぜ」


先程の言葉が耳に残る。


(いや、まさか、まさかなぁ…)


でもあのとき「私の赤ちゃん知らない?」って。いやいや、ないない。たまたまそういう夢見ただけだろうし。


あぁ、近くであった出来事なら寝てる間に騒ぎになってて無意識に聞いてたのが印象に残ってたのかもな。俺は勝手にそう結論づけて、布団に潜る。


(母さん来るならとりあえず今は寝てよう)


そうして、俺は目を閉じた。


ぴちゃ、ズル…ぺちゃ、ズル…、ぺちゃ、ズルズルズル…


何かの音が聴こえて目が覚める。外はもう真っ暗だった。結構寝てしまったらしい。そういえば母さんは来たのだろうか。


ガシッ


また昼間みたいに強い力で足首を掴まれるが身体は跳ねたものの、今度は声を上げずに済んだ。


「なんだよ、今度は母さんがからかっているのか?」


清志が日中の俺の様子を面白おかしく伝えたのだろうと思って声をかけるが一向に視界に入ってこない。


「もうこれ以上びっくりしないから諦めて出てきてもいーぜ」


再び声をかけるが反応がない。あまりの静寂に悪寒がする。さして暑くもないのに汗がじわりと滲む。


「ちょ、マジでやめろって、なぁ」


すると、先程聞いたびちゃびちゃズルズルという音と共に視界にニュッと何かが映る。


「私の赤ちゃん、どこ行った?」

「ひっ!お、お前、誰だよ、…っく、くるなっ…」


足元から這い出ると、自分の上を夢で見た髪が長く、顔が爛れた女が俺の上を這いずってくる。


彼女は全身ずぶ濡れで、土砂降りの中をきたのかあるいはプールや風呂からそのまま出てきたのか、と思うくらいには濡れ鼠だった。


ジタバタと暴れるが、女は全く意に介さないようで、そのまま顔が近づいてくる。


「か、香織……?」


声がひっくり返って上擦る。あまりに酷く焼け爛れていて気づかなかったが、近くで見たことで見知った顔であることに気づく。彼女は、同棲中の恋人だ、だが、どうして。


「やぁーっと、思い出したのね」


にやーっとまさに口裂け女のように、笑うと口の先が避けてピンク色の肉肉しい傷口が抉れているのがよく見える。というか、思い出した、って。


(あぁ、俺は)


そこでまるで走馬灯のように自分の行いが次々に思い出される。


香織と同棲を始めたこと、ずっと彼女のお金で暮らして自分は遊び呆けてたこと、彼女との間に子供ができたがずっと幼馴染と二股をかけていたこと、本命はその幼馴染だったこと、子供を堕ろせと迫ったこと。


どれもこれも、あのバイク事故で忘れ去ってしまったことだった。綺麗サッパリ俺は都合のいいことだけ忘れていた。


「待て、香織。話し合おう」

「もう散々話し合ったでしょう?」


彼女の手元にキラリと光る小型の刃が握られているのが見えて、心臓がギュッと握りしめられたかのように痛かった。鼓動が速い。


心臓が口から出そうなほど腑がぐるぐると引っ掻き回されているように気持ち悪い。


(ヤバい、ヤバい、ヤバい。マジでヤバい)


「な、悪かったって。もう俺ちゃんとするから、な、そういうのやめようぜ?」


じんわりと下半身が湿っていくのがわかる。頭の裏が恐怖で冷えて鈍ってくる。もう何もかもがわからなかった。身体が震える。自分で自分の身体が制御できず、身動きが取れなかった。


どんどんと迫ってくる香織。逃げることができず、最早造型を留めていない嘗ての美しい顔がだんだんと己の顔に近づき、彼女の肌が焼けた匂いが鼻孔をつく。


「もう、手遅れだよ。私達の赤ちゃん、いなくなっちゃった。お金も時間も赤ちゃんも、私にはなーんにも残ってないんだよ。ぜーんぶ、ぜーんぶ、なくなっちゃった。だから、さ、








貴方だけでも道連れにさせて?」


キラリと光る刃先。それは俺の顔面に吸い込まれるように突き刺さった。


「ぎゃあああああああああ!」

「あは、あは、あはははは!痛い?痛いでしょう?私も痛かったの!苦しかったの!だから、ぜぇーんぶ貴方に返してあげる!大丈夫、一緒に地獄に堕ちてあげるから。ふふ、あははは!」






















「まさか、心臓発作だなんて」

「本当ねぇ、まだ若いのに。清志くんが言うにはその日の日中は元気だったって」

「えーそうなの?今野さんの奥さんは、その日は病院に行く予定が、仕事で行けなかったって」

「まぁ、それじゃあさぞ悔やんでるでしょうね」

「しかも、亡くなったときの顔、すごい形相だったって。あまりにも苦悶に満ちた表情に奥さん見て泣き崩れたそうよ」

「それは…。でもまぁ、それはある意味因果応報かもね。先日の焼身自殺した子、息子さんの彼女だったらしいわよ。しかも妊娠中だったって」

「えー!でもあの子ずっと宮川さんの子と付き合っているんじゃなかった?」

「つまりはそういうことなんでしょ?」

「いやーねー。あーこわいこわい。くわばらくわばら」

「悪いことはするもんじゃないわね」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の赤ちゃん 鳥柄ささみ @sasami8816

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ