第4話 冬・五徳猫

 飼い猫のケイスケが入院した。


 四日前くらいから元気がなくほとんど餌を食べなくなってしまったのだ。すぐに動物病院に連れて行ったのだが、歳のせいもあってか、いよいよ良くないということだった。


 ケイスケは今年十七歳、高齢だ。


 亡くなった母が飼っていたケイスケを家ごと俺が引き継いで世話をしていたのだが、よく慣れていい猫なのだ。


 悲しみや実感は無いのだが、もしもケイスケがいなくなってしまうとなると、いよいよ母との繋がりがあの古びた家だけになってしまうので、胸に空いていた穴が更に大きくなってしまうような気がした。


「来年までもつだろうか」


 そんな事を呟いて家の扉を開けると、誰もいないはずの台所から物音がした。


 まさか泥棒か?いや、いくら補助金で生活してるとは言え、贅沢暮らしを見せつけているわけでもない。むしろ慎ましい節約生活をしている。そんな家に泥棒が?いや。だとするとネズミか?だったら業者呼ばなくては。また金がかかる。俺はため息混じりに台所を覗き込んだ。


 そこには予想外の光景が広がっていた。


 結論から言うと、ネズミではなかった。


「おかしいですニャおかしいですニャ」


 猫がいた。


「ないですニャないですニャ」


 猫だ。と言っても、ケイスケのような美しい毛並みのアビシニアンではなく、薄汚れた大きいキジトラ猫だった。オマケに奴は器用に二本の足で立ち、二股に分かれた長い尻尾をふりふりさせながら人語を話している。独り言を繰り返しながら、ひと様の家の台所を荒らし回っているのだ。


「へんですニャへんですニャ」


 おかげで台所は酷い有様だ。おたまやヘラ、お茶のパックなどが地面に散乱している。


 どう見てもなのだが、なんだか様子がおかしい。いや、様子のおかしくない妖怪などいないのだろうが、奴はさっきから何かをしきりに探している。


「おいオマエ!このドラ猫!他人の家の台所で何してやがる!」


 俺は大声で怒鳴ったのだが、奴はこちらの方を一瞬、チラッと見ただけで、またすぐに「おかしいですニャおかしいですニャ」と言いながら家探しを続けやがった。


「テメ!シカトすんな!ドラ猫!」


 すると奴はこれみよがしにため息を吐いた。


「ニャにをってそんニャ。見れば解るですニャ。探し物ですニャ」


「いやわかんねえよ。他人の家で探すなよ泥棒猫」


「失敬ニャ!あっちは泥棒なんかじゃニャいですニャ」


「ニャーニャーうるせえ!何を探してんだ」


五徳ごとくですニャ!」


「五徳?なんでそんなもん」


 すると奴は、やたら芝居がかった言い方をした。


「あっちは五徳猫ですからニャ」


「……だから?」


 つまりはこういうことだった。


 奴は五徳猫という猫又の一種で、頭に五徳を被っているのが常らしい。五徳というのはガスコンロの火の出る口についている金属のことだ。ガスコンロとは言ったが江戸時代からあるもので、昔は火鉢や囲炉裏にやかんを置いたりする時に使っていたそうだ。なんで俺が五徳の解説をせにゃならん。とにかく、その五徳を失くしてしまったので新しいものを調達しようと我が家を物色していたそうだ。


「なんで他人の家で探してんだ。家電量販店でも行け」


「色気のないことを。ダメですニャ。人間の家の物を使ってこそですニャ」


「面倒な。だが生憎ウチには五徳はないぞ」


「何故ですニャ!?」


 俺は精一杯のドヤ顔で奴に言ってやった。


「ウチはオール電化だからな」


「ニャ……ニャンと」


 奴はその場にへたり込んだ。なんだか可哀想になったので居間の炬燵まで運んでやった。

 

 だが、それがいけなかった。



。お茶。人肌で頼みますニャ」


「ぬぬーっ♪」


「おいコラ!勝手におとろしをパシってんじゃねえ!てかお前も言うこと聞くな!」


「ぬぬぅ」


「まあまあ堅いこと無しですニャ」


 あれ以来すっかり居着いてしまった。何故かおとろしまで奴に懐いてしまい手下のごとくだ。俺は奴に情けをかけたことを後悔した。


 そんな時、動物病院から連絡があった。


 ケイスケが、息をひきとったとのことだった。


 

 病院のゲージの中で冷たくなったケイスケをしばらく見つめて動くことができなかった。母の時と同じだ。俺はまた、死に目に会うことができなかった。


 ケイスケを箱に入れて連れて帰り、仏壇の部屋においた。それからは無気力になってしまい、しばらくまた、何も手につかなくなってしまった。


「おニャーさん。いつまでそうしているんです。もう二日ですニャ」


見かねたのか、居候が偉そうなことを言ってきた。


「煩い。放っておいてくれ。餌なら勝手に食え」


「心配してるのにこれだ。いいですか、いつまでも死に囚われてはダメですニャ」


 そのひと言が俺の琴線に触れ、気がつくと怒鳴ってしまっていた。


「お前みたいな妖怪に何が解る!俺は家族を失ったんだ!」


 飼い猫と母親を。俺はひとりぼっちだった。


「解りますともあっちは五百年生きてますニャ。大好きな連中を嫌というほど見送ってきた」


「……」


「連れ合いの猫。我が子、飼い主の人間も、そりゃあ大勢ですニャ」


 言葉がなかった。五徳猫の横顔は見たことが無いほど悲しそうな顔だった。


「そんなあっちだから言えるんですニャ。死なねえ奴はいない。妖怪も人間もあっちもおニャーさんも、いつか必ず死ぬ。だから今を、精一杯生きるんです。それが死んだ連中への唯一の供養ですニャ」


 もしも母が生きていたら同じようなことを言われたかもしれない。


 子供の頃、父が亡くなった時も母は笑って俺を抱きしめていた。「一生懸命生きないとお父さん悲しむわ」が母の口癖だったから。


 確かに、俺は死に囚われていたのかもしれない。母の死に、ずっと。


「なあおい、ドラ猫」


「なんですかニャ」


「背中、撫でてもいいか」


「特別ですニャ」


そう言って奴は俺のそばに寄り添った。


「どうですニャ。誰かの体温は悲しみを癒しますニャ」


「……そうだな。でも」


「ん?」


「なんかゴワゴワしてるわ」



 顔を思い切り引っ掻かれた。



 悲しみが全く癒えたわけじゃ無い。母のこともケイスケのこともまだ引きずっている。だけど、奴の言う通り誰かの体温や存在や気配が胸に空いた穴を塞ぎ、悲しみを和らげてくれる。


 たとえそれが妖怪であっても。


 妖怪たちと暮らす、初めての冬がやってきた。


つづく






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