第8話 彼女の行きつけ
土曜、朝九時。
久しぶりに街に出る気になった俺は、電車に揺られていた。
外に見える風景は決して田舎でこそないと思うのだが、目立つ建物はあまりない。
ただ変わらない家の町並みに俺はひとつ大きなあくびをした。
特監生になってからは休日のありがたみを深く知るようになった。
それこそ、ここまでの俺は陽太が先生に報告したとおりに土日は家で寝ていることのほうが多かった。
がしかし、平日の放課後が使えなくなった今、こうやって土日に足を動かしているのだ。正直言って眠い。
そして俺が街へ行く理由、これも特にないのだ。
何かしらの習い事をやっていたわけでもないし、通うほどの用事を生み出す相手もいない。
そう、結局のところ、ただ遊びに行ってるのに過ぎないのだ。
しかし、逆にやることがそれしかないというのもまた問題だが。
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街の真ん中にある駅で降りると、10~20階を越えるであろうマンション、ビルが立ち並んでいた。
ここら辺となると通う高校も大分変わってくるが、このマンションに住んでいる人の中でうちの皐月ヶ丘に通う生徒もいないことはない。
最も、俺の顔見知りではいないのだが。
「さてと...ついた、けど。」
何をやろうかなんて毛頭考えてなかった。強いて言うならばまだ読んでない本を買いに来たくらいだ。
自慢でもなんでもないが俺の読書ペースは速い。1時間あればライトな作品はだいたい1巻は読める。
そのため、定期的に買わなければストックが尽きてしまう。同じ本を何度も何度も周回するのはそんなに好きではないからね。
そんな感じで、読書を食事と同レベルに思い込んでいる俺には、古本を大量に仕入れて片っ端から読んでいく、というのが割に合ってるだろう。
しかし、そう簡単にはいかない。
人間が食事をするとき、新鮮なものをおいしいと言うように、本もまた新鮮が一番おいしいのである。
と言うわけで俺が向かったのは県内最大の本屋だった。
駅から徒歩五分でつく商店街の少し外れにあるこの本屋にはだいぶお世話になっている。
こちらはどちらかと言うと新品の売りが強く、だいたい何でもそろっていると言っても過言ではないほどの在庫がある。
もちろん新品なのでお値段は弾んでしまうのだが、図書カードが使えると考えればトントン...な訳ないか。普通に大損だ。
なので買う本はせいぜい1冊か2冊。あとは古本でも買うとしますか。
俺は30分ほど店内をうろちょろした後に買い続けている本の新刊を買うことにした。
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そこからはまた色々と回った。
先ほども言ったが古本もそうだし、服も買うことこそないものの見はする。ゲーセンのゲームも多少は嗜む。
そんなこんなで時刻は12時。お昼時真っ只中である。
あとやりたいことは何かあるかと聞かれれば、はっきり言ってない。
ただし、家に帰っても「街遊びに行くわ」と言った日には昼飯は用意されてないので、そこら辺で済ませるというのがいつものお約束だ。
というわけで昼食探し。
どこかいい場所ないかなと商店街を散策。
ただ、マックとかそういうのは自動的に対象外。よく行くし。
安いってのは確かに消費者としてはありがたいことなんだけど、かといって毎回それでは飽きるにもほどがある。
というわけでいつも行かない場所を歩く。
道中、某有名ラーメンチェーン、一蘭の看板が目に入った。
ラーメンかぁ...。
昼といえばラーメン。近年の日本ではもはや常識になっているかもしれない事象。
そう考えると可能性は無きにしも非ず。
それに冗談抜きで一蘭は旨いし。
ただ、「ラーメン」というものは廉価版、カップめんをよく食べることがあるので残念ながらこれも対象外。
しかし、あれもだめこれもだめだときりがない。
体力が減り、お腹も減る。そんな状況に流石にそろそろ歯止めをかけなければ。
「といっても量は食べたいしなぁ...。あれ?」
ふと気づけばあまり歩いたことのないような場所へ出ていた。
目印になる建物こそあるので迷子にはならないが、俺は足を止めた。
せっかくだ。何かないか探してみよう。
俺の脳内では空腹と好奇心が良い感じでバトルを繰り広げていた。
そうして俺は未知のエリアを散策する。あまり風通しがよくなく、不気味な雰囲気が漂う小道。こんなとこに本当に飲食店があるのだろうか?
などと思う場所に限って名店がある法則。
俺は知る人ぞ知るような定食屋に着いた。
「はぁ...こんなところに店を構えてるのねぇ...。」
しかも見るからに割りと始めてから年が経ってそうだ。そうなれば、だんだんとその味に期待したくなってくる。
「よし。ここでいいかな。」
定食=量があるという謎の法則につれられ、俺が店の引き戸を開けようとしたとき、後ろからトントンと優しく肩を叩かれた。
「ねぇ。」
「うぇ!?」
米津玄師顔負けの発音で驚き、後ろを恐る恐る振り向く。
そこにいたのは、古市だった。
「びっくりしたぁ...。何、毎度毎度俺を驚かすの、趣味?」
「...見てて楽しい。」
「好きでやられても困るんだよ...。」
相変わらず表情はない。しかしいつもよりやたらマイペースな古市にリズムを狂わされてしまう。
いや、よくよく考えればこいついつもマイペースか。
部室でもこんなことがたびたび。こいつが入ってからまだ数日ほどしか経ってないが
もう何度おきたことか。
「...んでそれで、なんでここに?」
「何でって、お昼ご飯。私ここ、好きだから。」
古市は目の前の店の看板を指差して言った。
あらためて看板を見る。
するとさっきは気にもしなかった店名が目に入った。
店名は...、「野菊」か。
そしてなぜその名前にいたったのかすぐに見当がついた。
なんせこんな場所に立てて、もう何年もやっているのだ。そこにはまさしく野に咲く花のような強さがあるのだろう。
という考察が俺のこの店への意欲を高める。
しかし、定食屋。カウンター席なんてそうないだろう。それでもここに行きたいという意思は変わりそうにない。だから、俺は選んだ。
「ふーん...。相席してもいいか?」
言った後で何聞いてんだと赤面したくなるが本人の前なのでそれはできない。それに状況が状況というのもあるし。
古市はというと少し口を開けて驚き、少しうつむいて答えた。
「うん、いいよ。」
そうして俺らはぎこちないまま二人で店内へと入った。
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「いらっしゃい!二人かい?」
「そうです。」
「じゃあそこら辺適当に座ってて!」
奥から聞こえる野太い男の声にそう案内された俺たちは、出入り口にわりと近い場所の椅子へ向かい合って腰掛けた。あれはおそらく店長だな。
座ったのは良いが、俺はどうも心落ち着かなくそわそわする。別にただ昼飯を食べに来ただけなのに、だ。
幸い、飲み物がお茶と水と選べるようになっており且つセルフサービスだったので、俺は落ち着きがないのを隠すためにそれを汲みに行くことにした。
「水とお茶、どっち?」
「私は水。」
「了解。」
そして猫舌である俺も水を選び、二人分の水を汲んだ。そうして時間を稼いだ後に席へと戻る。
古市の前に水を置き、自分は一口軽く飲んだ後で、さて何を話し出そうかと考えていたが、古市はぼーっと厨房のほうを眺めているので話すだけ野暮だろう。
「先メニュー見させてもらうよ。」
「...大丈夫。私もう決まってるから。」
「見てないのにか?」
「うん。」
古市はこちらを見ないままお先にどうぞというのを伝える。特に言い返す理由もないので俺は一通りパラパラッとメニューをめくった。
値段はだいたい800円前後。大体のメニューはご飯、味噌汁、漬物がついて且つメインディッシュだ。そう考えれば安いほうだろう。
あ、特にごはんお代わり自由なのいいな。こういうのはだいたいおかずだけが残ってしまうからあわせるご飯が自由なのはありがたい。
結局俺は普段家であまり食べることのないカキフライ定食を頼むことにした。
「決めたけど、呼んでいいか?」
「いいよ。」
「すいませーん!」
おくからはーい!と声がして、一人の女性がこちらに向かってくる。
見た感じうちのお袋と大差ないくらいの年齢の方に思える。ということは、店長の奥さんだろうか?
「えっとカキフライ定食がひとつと...。」
「焼肉定食が一つね。かしこまりました。」
「あれ、古市何も言ってないんじゃ...?」
そう、こいつはメニューを口にしてない。それなのにオーダーを聞きに来た人はあっさりと注文を確定してしまった。
「ふふっ、大丈夫だから。では、ごゆっくりどうぞ~」
おばちゃんはこちらにふふっと微笑みかけるとそそくさと厨房のほうへ戻っていった。
残った二人の間には少しの間沈黙が流れた。
うわー...ツッコミどころが多すぎてどこから聞けばいいか分かんねぇ...。
しかし、そんなことを考えているとオーダーから7分経ったころに、向こうから先ほどの説明が入った。
「簡単な話。私、ここの常連だから。」
「はーん、なるほど...。って俺がずっと気にしてたの、ばれた?」
「...顔に出てる。」
なるほど、それは分かるわな
俺は自分の弱みに軽く苦笑した。別に悪いことではないと思ってるけど。
しかしよく言われるよ。須波は顔に出やすいって。
思い返せばガキの頃。あの頃は今ほど心が荒んでいなかったからそれなりに友達もいたなぁ...。その中にもちろん陽太もいたけど。
そんな中でババ抜きとかさせたらまあ俺が最下位よ。
それはおそらく俺の感情とかが表情に出やすいってことの理由付けになるだろう。
そうして表情豊かな少年時代を過ごした俺。
でも、目の前にいる古市は。
俺はうっすら浮かべていた微笑を引っ込め、ごくりとつばを飲んだ。
いつか聞こうと思ってた。別に聞かなくてもいいと思ってた。
表に現われない感情について。
けれど、聞くなら今が一番いいというのを俺は知っている。
だから...
「あのさっ、古市は...」
「はいお待たせ、焼肉定食だよ!」
前言撤回。最悪のタイミングだった。
目の前にご飯がしっかり盛ってあるお盆がどんっと勢いよく置かれる。
ああ、タイミング狂わされた...。
俺はどうしようもなくすごく落ち込む。
とはいえ、このタイミングで来るのは大分変化球だろ!
流石に向こうは俺が何を言おうとしてるか知らないまま、出来上がったものを迅速に盛ってきただけだろうしさ、しょうがないとは思うよ。
でもさぁ...、うん。
俺は行き場のない感情をどこかに逃がすために一つ大きくため息をついた。
こうなった以上は聞き出しにくい。俺はそんな状況がもどかしく頭を掻いた。
おばちゃんはそんな様子の俺は気にせず、厨房のほうへ戻ろうとする。
が、何かを思い出したように上半身だけこちらを向けた。
「そうそう、この子毎週来てくれてるからね、ほんとありがたいのよ。」
「は、はぁ...。」
「じゃ、おいしくいただいちゃってね!」
そしておばちゃんは軽い足取りで今度こそ厨房のほうへと戻った。
というか、違うんだよ...おばちゃん。
俺が聞きたかったのはそう言う事じゃなかったんだ。
再びため息をつく。どうも俺の周りにはマイペースが多いみたいだ。どうも流されすぎて気が狂う。
...こりゃ俺もマイペースに生きるしかないな。
そんな感じで途切れてしまった会話の雰囲気はもうどうすることもできず、俺は自分のスマホの画面をただあてもなく覗き込んだ。
そうすると時間が経つのもまた早いもので、気づけば俺の頼んだカキフライ定食も俺の手元に届いていた。
ただし、それこそ俺の分はさっきのおばちゃんじゃない人が運んだが。
「じゃあ来たし...食べる?」
「別に待ってくれてなくてもよかったんだけどな。まあ、待ってくれてくれたの、ありがとな。じゃあ。」
各々でいただきますといい、箸を手にとって目の前の料理に手をつけた。
俺はメインの皿に五つほど乗っているカキフライをまずは一口と口に運んだ。
「あっつ...!?...うまっ。」
少しカキから出てくる汁で舌をやけどしたが、すぐにうまみは伝わってきた。
うまい。
本当にそれだけで、あとは感想が出ないのだ。
あれが旨いだとか、ここが旨いだとか、そういう説明ができなくなるほどの味。
俺はその味にどうやら心と語彙力を奪われたようだった。
さて、そうなってしまえば箸は止まらない。
一口、一口とどんどん食事のペースが速くなる。案の定ご飯もなくなり、おかわりへと途中席を立ち、また食事に戻る。
食べ終わる頃に気づけば、俺は旨い以外の言葉を一度も発していないことに気づいた。
そうしてもうひとつ気づいたこと。
俺が最後の一口にたどり着く前に、とっくに古市は食事を終えており、俺のほうをただじっと見ていたのだ。
そんな視線が気になった俺はようやく自我を取り戻し、古市に尋ねた。
「...なぁ、さっきから俺のほうばっか見て何してんだ?」
「ご飯、おいしそうに食べてたから。」
自分の行きつけの店が高評価なのがうれしいのか、そんな様子を古市は全開に出していた。
「ああ、旨かったよ。それでこの値段ってんならなんども来るな。...それよりお前、食べるの早かったな。おかわりしなかったのか?」
「...してるよ?」
「あれ。」
どうやら自分のことに集中しすぎた結果、周りを全く見ていなかったようだ。
それはこちらが完全に悪いのだが、しかし古市、もしそうならすごい食べるの早くない...?
いや、聞くのは失礼。今は先にごちそうさましてしまおう。
俺は最後の一口を口に入れると、心の底からご馳走様でしたと言った。
---
それぞれで会計を済ませ、40分ぶりぐらいの外の空気を吸う。
しかし、流石に場所が場所なだけあり、こちらはあまりおいしくはなかった。
「さてと、十分食ったし、そろそろ帰るかな...。」
「そうね、私も用事、これだけだし。」
各々のやりたいことが終わり、俺たちは互いにじゃあねを告げ、それぞれの方向へ歩き出す。
はずだった。
駅の方向へ一歩踏み出そうとした、その時だった。
「待って。」
後ろからかけられた声に俺は足を止めるのだった。
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