十一.同胞(はらから)
どこもかしこも痛む。
血が流れている。
まだ、激しい鼓動。
渾身の一撃をもろに食らい、地に倒れ天を仰ぐ元同胞の足元へ、青年がゆっくりと歩み寄る。
上下する胸。
死んではいない。
殺さなかった。
殺す気でやったのに、殺せなかった。
ぜえぜえとのどから濁った風音を鳴らしながらマークが吐き出す。
「だから……甘ぇ、ってんだ」
「あんたに指図される謂れはねぇ」
「く、ふ、フハハッ。ナマ言うようになりやがって」
クソガキが。
敗北を喫したマークだが、ついた悪態とは裏腹に、浮かぶのは嬉しそうで満足げな微笑みだ。
危うい勝負だった。
ドリに、相手を気遣う余裕などなかった。
だというのにマークは生きている。
これは自分が弱いからかと彼は自問する。
少し違う。
ただただ、甘い。
捨てられない。
忘れられない。
忘れたくない。
それは弱いということと同義だ。
いつか、足を掬われる。
夜の闇の静けさが辺りに戻る。
薄曇りが風に流れる。
マークが懐に手をやり、そこから取り出した物を、月明かりに掲げてみせた。
「預かり物だ。お嬢に渡すなり、お前が預かるなりしとけ」
木の枝なのか石ころか土くれか、手に取ってみると、ますますわからない。
さらりとした心地よい手触りではある。
家畜の乳のように白い。
薄く平たく、川底で転がり削れたように所々丸みを帯びて、掌中に収めていてもするりと滑り落ちていってしまいそうだ。
『それ』が何なのかはマークにも分からないようだった。
ただ、“オヤジ”に託されたものなのだという。
ドリを仕留め損なった彼は、もうユグに戻る道理もないと言う。
「次に会うときは酒でもおごってくれよ」
お嬢によろしくな。
マークはそう言い残し、気を失った。
まるでいつもの別れの挨拶のようだった。
手加減されたとは思わないが、彼自身も無意識のうちに手心を加えていたかもしれない。
確かめる術はないが、ドリにはそう思えた。
踏んだ場数が桁違いだった。
生きているならばまた出会うこともあるだろう。
群れを抜けて裏切り者の追っ手をお役御免されたのであれば、杯を酌み交わすこともあるだろう。
出会い頭に喧嘩になることもあるかも知れない。
それらは、青年にとって、きっと嬉しいことだった。
くら、と足をふらつかせ、かつての同胞に背を向け、天幕に戻る。
布をまくり上げると、リィズはドリが出て行く前の格好のまま眠っているようだった。
使い古して錆びた、金とも銅ともつかない鈍い煌めきのランプに灯りを点して見てみれば、瞼や頬に、泣き濡れて光る痕があった。
(オヤジの夢でも見たか)
荷物の中から取り出したボロ布を傷に押し当てて干した肉をめりめりと噛み千切る。
血が足りなくなる前に。
咀嚼しながら、すうすうと寝息を立てるそれを眺めていた。
手の平の中にはマークから受け取った白い石がやんわりと握られていた。
傷よりずうっと奥が、痛んだ気がした。
座ったまま眠っていた。
それほどの時は経ていない。
ドリが薄い瞼を押し上げると、血を吸い真っ赤に染まったボロきれを手にしたリィズが仁王立ちしている。
「おはようございます」
「……オハヨウゴザイマス」
ランプの灯りを点けたまま寝たこと、繕い物を増やしたこと、干し肉を織り布の上に撒き散らかしたままにしたこと。
以上三点についてお叱りを受けたドリはうんざりと促されるままに黒い上衣を脱ぎ、リィズに渡す。
血はある程度布切れが吸い取っていたが、それでもまだぬめる。
リィズがやや辟易しながら五つ以上の穴を繕う。
物資は貴重で有限だ。
修繕して使用に耐うるものはそうすべきだ。
しっかりと縫い合わせた後、洗い替えも無いのでまたそれに頭を通す。
血糊を洗い流そうにも水場がない。
擦れるように手指に付着した赤は、乾いた砂をまぶして擦り合わせてごまかすことにした。
「誰と喧嘩したの?」
「マークのおっさん」
「また来るって言ってた?」
「今度は酒飲みに来るとよ」
「やったあ」
マークはユグでは珍しい良識人で、ドリにもリィズにも優しかった。
一仕事終えた彼女は砂を払った干し肉を一枚ばりばりと千切り取りながら貪って、水袋の中身は空にする。
天幕の外に出ると、まだ朝になりきれていない空に二つの光源が輝いていた。
支柱を取り去り天幕を雑に畳む。
後少し歩けば北の港町だ。
分厚い灰色の雲が、大日と小日の行く手を阻もうとしていた。
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