九.切り裂き虎

眠りに落ちる間近の幼子。

青年が、土埃に汚れていてもまだふわふわの少女の髪を撫でる。


「厠に行ってくる」


天幕のすぐ外だ、寝ていろよと小声で告げた。

頷きもせず寝返りを打つのを見届けてから、幕を持ち上げ外に出る。

夢でも見ていてくれればいい。


隠れたままだった月が雲間から白く淡い光を降らせる。

天幕からどれ程も離れていない距離を歩く。

果たしてそこには、来訪者が立っていた。

筋肉質なドリと比べても身体が大きく、いかにも強者といった風な不敵な佇まい。

よく見知った顔だった。


「……マークか」

「よう、ドリ。しばらくだな」


ひょいと上げられた手。

気楽に片足にかけた体重。

普段の挨拶でもするかのように気さくに声をかけてきた焦げ茶色の髪の男・マーク。

ドリもリィズも見知った顔だ。

食事を共にしたこともあれば、仕事のやり方を教えてもらったこともあった。

つまり、オヤジの同胞だ。


「昼間の奴、なんなんだありゃあ。

 ちったぁやれそうなのになよっちいフリしてやがった」

「知るかよ。ちょっかいかけたのはリィズだ」

「お嬢はスレてねえよなあ。いいやら悪いやら」

「……で?」

「……あいつのことは、残念だったな。おさは見誤った」

「だろうよ」

「だがなあ、ドリ。やり過ぎだ。

 筋は通してもらわにゃならん」

「筋だァ?オヤジを裏切った連中だぞ」

「そいつらは、お前に裏切られたと思ってる。

 飼い犬に手を咬まれたってな」


へっ、と互いに嘲り笑う。


(奴らの犬になんざなった覚えはねぇし、先に見捨てて裏切ったのは、奴らの方だ)


卵が先か。鶏が先か。

栓無いことだ。

ーードリとリィズにとっての“オヤジ”も長ももうこの世にはいないのだという事実だけが横たわる。


「俺が下についてたのは後にも先にもオヤジだけだ」

「もちろん知ってるさ。俺達はな。長にとっちゃそうじゃなかった」


もう片足に体重を移動させ、“長”に呆れたように頭を振る。

武骨な右腕に片手を添えて、解すように揉み込んでいく。

肘。

手首。

黒くなめした革のグローブには四角錐の鋲が四つ。

その下にあるものをドリは知っている。

何度も仕事を共にしてきた。


「俺も筋を通す。ま、個人的にゃあ通したかない腐れた筋だ。だからな、ドリ」


手の内を知られていると知っていて、その拳を向けてくる。

ドリの十歩後ろにはリィズが眠る天幕がある。

避けられない。


肩幅に足を開き、両手の指を小指から握り締め、拳を作る。

ぞわぞわと背筋から総毛立つ。


これだ。

でなきゃならない。

知らず、口角が上がる。

“切り裂き虎”と闘り合える。


「俺を殺して、先へ進め」


突き出した拳の鋲から鋭い銀色が飛び出した。

四本の鉤爪。

切り裂き虎。

マークス・ブルー・マーフの二つ名。

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