八.龍のおはなし
高く高くのぼっていく月明かりを頼りに、北を目指す。
十分とはいえないもののしっかりと休養を取り暖かくて滋養のあるものを摂取したリィズの足取りは軽かった。
ドリに比べ他人と接することを楽しめる彼女だから、一切の害意のない人間と交流したことも大きいかも知れなかった。
ほんの少し前までは。
月が頭上は中天に差し掛かった頃になると流石に心身ともに限界が近くなったのか、その歩みは大柄で鈍重な家畜の如く重くなっていった。
それでも弱音を吐かずに前へ前へと進もうとする。
ざりざりと足を引き摺り歩く。
「ほれ」
ここらが潮時かと、極端に歩調を緩めたドリが後ろへ回り込み、断りもなく担ぎ上げた。
肩に乗る薄い腹。
だらんと垂れ下がり元気のない四肢。
「ううー」
不甲斐ないとでも言いたげなうめき声。
ぽこぽこと痛くも痒くもない拳を胸板にぶつけてくる。
ガキはガキらしく出来るうちに大人に抱えられてりゃいい、とドリは思う。
シュレではそれが出来ない幼子が珍しくない。
自分で自分を生かし、生き抜くしかない。
そうやって、早々に大人になるしかなかったドリにすらそれを許してくれたオヤジの存在がどんなにありがたかったことか。
出会ったときには既に図体のでかかった彼を子供扱いしてくれた。
一人の戦力として頼りにもしてくれた。
リィズまで自分をガキ扱いする事がままあるのは彼にとっては遺憾だが、それはそれで満更でもなく、受け入れている。
端から見たらどこをどう見ても拐かしのようないつものスタイルで街道を進み続けていくと、肩に身を預けたリィズの頭が、かっくり、こっくり、船をこぎ始めた。
ギャアギャア飛び立つ夜行性の鳥の声やら獣の光る目やらにリアクションする気力ももうなくなったらしい。
ドリは、記憶の中からシュレの地図を取り出す。
大きな道が一本、地形に合わせて曲がりくねりながらシュレの南北に通っている。
丘を巻くように曲がる街道を過ぎれば港のある街に着くはずだが、その丘がまだ見えない。
完全に目測を誤っていた。
働き盛りの大人だけで動くのとではやはり違う。
「……リィズ」
「ん」
「一旦降りろ」
「んむむ……」
仕方がない。
月も雲に翳り始めた。
道程の半分もいったかどうか分からないが、ここで一度眠らせてやるべきだ。
草の上に下ろしてやると、抱いた膝に頭を預け、ううん、とむずがる。
ドリはキーベックから譲り受けた荷物を紐解き地面に広げた。
一際太い、天幕の中心の柱になりそうな棒を地面に刺すように突き立てる。
「ドリ、ちがう」
「あぁ?」
瞼をとろんとさせたリィズがきっぱりと指摘する。
眠気にやられているせいか普段よりも淡白だ。
「先に、床になる布と、屋根になる布敷いて。
真ん中の穴のトコにそれ刺してた」
「どれだ」
「これ」
のろのろと立ち上がり、折り畳まれたまま地面に放られた生地を引っ張って、広げてみせる。
果たして分厚いその布は二枚重なっており、その内一枚は中央と布の端にいくつか、きれいに穴が空いていた。
柱と一緒にまとめられていた太い釘は総じてぐにゃりと曲がっている。
床にする敷布を広げた後それを手に取ったリィズが千鳥足で、手本を見せるように数ヶ所を地面に固定した。
ドリが見よう見まねで残りを打ち付け、その上に屋根になる布を広げた。
暗い中よくよく見れば真ん中の辺りにひきつったような跡が残る屋根の布に柱をあてがい立て直すと、成る程、空に向かってつんと尖った天井が出来た。
まだきれいな天幕になっていないうちからへとへとのリィズが中に入り込み靴を脱いでころりと横になる。
屋根になる方の布からは、数ヶ所から紐が伸びている。
地面に先に打ち付けた曲がり釘にその紐を通してしっかりと結んで天幕を引っ張るのだとリィズがむにゃむにゃ指導するが、バランスを取るのが難しい。
ひとまず屋根と壁が出来れば上等だとドリは気にしなかった。
ひしゃげた天幕。
それでも、あるのとないのとでは雲泥の差だ。
ふかふかの布団も、ベッドもない。
それでも敷布に下敷きにされた下草が地面の固さを少しは和らげてくれている。
荷物をひっくり返すが、端材のようなぼろ切れや外套の他、身体にかけるものはない。
リィズの小さな体には十分だろうと、ドリが自分の分を脱ぎ去り、彼女の外套の上からかけてやる。
大人の身体に合わせた外套は、少女の肩から足までをすっぽり隠してまだあまりある。
ううん、とむずかりながらまだ体温の温もりが残るそれに赤子のようにくるまる。
ドリはその側であぐらをかいて座った。
オヤジがそうしていた。
何年か前まで自分がオヤジにされたように甘やかし、数日前までオヤジがリィズにやっていたように世話を焼く。
「ドリの、あったかい」
「もう寝ろ」
「……二回も夜更かした」
「ああ」
「龍に連れてかれる?」
若葉色の瞳が不安に揺れている。
それは、寝物語であり、しつけのための教訓ばなし。
子供をさらう夜の龍のお話。
夜更けの月の光に惹かれて眠らない子供は、空を巡る夜回り龍に首根っこを掴まれて、星の向こうへ連れていかれてしまうと言うのだ。
リィズが家に来た夜にオヤジが語り出したおとぎ話。
恐らくは彼が生まれた本国のどこかの言い伝えなのだろう。
シュレの龍は子供をさらわない。
時化で荒れた海に渦巻く黒い雲の中に居る、らしい。
外套の下からもぞもぞと手が伸びてくる。
隠すように、包むように、握った。
温かくて、やわらかくて、小さな手。
「連れて、行かせねぇよ」
空いた左手がリィズの視界を覆うように瞼を撫で、前髪をかき上げる。
ドリは静かに力強く言葉を降らせながら、声の柔らかさとは裏腹に鋭い目で、天幕越しに夜の闇を睨み付ける。
『どうせもう見つかって』いる。
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