七.ヴォルドレッド

木の器からふわふわと立ち上がる白いもや。

湯気だ。


手早く火を通すために小さく切られてもなおほくほくとしたマイモ、鮮やかな橙のトジン。

スープの白さは、白っぽい種類のスラ豆を茹でて搾って出来た液体のせいらしい。

野営にしては随分手間のかかった料理だった。

ふう、ふう、汁物をすくえるよう丸みを持たせた食器に懸命に慎重に息を吹き掛けるリィズ。

水面の香草が波紋を受けてゆらゆら揺れる。


小指の先程の大きさのスラ豆はテリ麦の丸パンにも入っている。

やや固めの生地にほっくりと柔らかな豆が腹にたまる。

そのパンをちぎり分けた所に薄切りの肉を乗せてドリが食べまくる。

それを見つけたリィズもすぐさま真似をしてたくさん食べた。

キーベックも、丸パンにきれいな切れ込みを入れて挟み込むことで真似してみせた。

テーブルを遠巻きに座り込んだ兵士達も談笑しながら食事を楽しんでいる。


オヤジは料理に関してはてんでダメだった。

毎食の作り手はドリとリィズの役目だった。

自分達の手が入っていない暖かくて人並みな料理を食べるのは、二人とも久し振りだった。

正真正銘の夜逃げをしてすぐにこんな食事にありつけるとは夢にも思わず、がっつく。

食いしん坊な親子ですね、とキーベックが笑うと、


「そうだよ。家族だもん」


リィズも頬を赤らめて笑った。

ちっとも似ても似つかない容姿の二人を、キーベック達は親子と信じて疑わない。

照れ笑う彼女の皿に鎮座した食べかけのパンをドリが掠め取り丸ごと口に放り込むと、先程までの幸せそうな顔はどこへやら、抗議の嵐に曝されることになった。




「ごはん、おいしかった。ごちそうさま!ありがとう」

「こちらこそありがとう。君達親子はキーベック様を助けてくださった恩人だ」

「我々はここに残るが、いずれまた会えるといいなあ」

「本国に行くのかい?」

「うん、そうだって!みんなはどこに行くの?」

「シュレの南を調査するのさ。人探し、物探し、いろんなものを調べるんだ」


リィズが仲良くなった兵士達と言葉を交わしている。

天幕に泊まっていってはどうかというキーベックの誘いをドリは断った。

今夜も小さく欠けた月が一つ。

大地はまあまあ白く明るく、これならば、もう一つ先の集落を目指せる。

時間を取られはしたが、十分な利益は得られた。

あとは遠くへ。

少しでもユグの遠くへ。


夜露を凌げればとキーベックは縦横に織のついた丈夫で大きな布をきれいに折り畳んで寄越した。

小さなサイズの天幕の骨組みもだ。

私物だということで、軍備に手をつけたことにはならないらしい。

それが嘘かまことかは分からないが、ありがたく頂戴することにした。

テリ麦の茎を干して編んで作った縄でまとめあげ、ドリが背負うことにする。


二人旅。

最小限に留めたい所ではあるが、これからも荷物は増える。

彼の身体に合わせた大きさの荷物袋も必要だが、この村ではそれは望めそうにない。

北端の港町になら少しはマシなものが集まっているだろう。


「またねー!」


手をうんと大きく振って別れを告げたリィズが、頭陀袋を背負い直しながら跳ねるように前を行く。

ドリは、数歩歩いてから、振り返る。

未だ物言いたげなキーベックが、その穏やかな視線に確かな芯を入れて、彼を見据えていたからだ。


睨(ね)めつけるような鋭い眼差しを真正面から受けた柔和で秀麗の若者はしかし、臆さず怯まず、頭上に欠けた月を背負って、右手の拳をトンと胸に当て、こう呼ばわった。


「申し遅れました、デューリ殿。改めて自己紹介をさせて頂きたい。

 私の名はキーベック。

 キーベック・ハスト・ヴォルドレッド。

 ウロ神に仕える家、ヴォルドレッドの次男坊にあたります。

 どうかお見知り置きを。いずれまたご息女と共に本国でお会いしましょう」

「……そうかい。あばよキー坊。

 せいぜい気張れや。野垂れ死にしてシュレの豚どもの餌にならんようにな」

「はい。もちろん」


にこりと笑うキーベック。

栗色のふわふわした髪。

若葉色をしたつり目。

笑うと、ますます、リィズに似ていた。


(喋りすぎたな)


踵を返し歩き始めてからしばらくして、ドリは思った。

似ているせいだ。

そういうことにしておく。


外套は結局脱がずに過ごした。

誰も、それを咎めなかった。


「ドリー!おそーい!」


リィズが沈む小日と大日を背負って、はやくはやく、と手招きしている。


「あいよ」


ほんの僅か、声と眼差しが和らぐ。

彼をよく知る者からすれば、優しく微笑むように、とすら言ってよい柔らかさ。

誰もそれに気付かない。

彼自身も気付いていない。

沈みかけの太陽と月しか見ていない。

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