六.感謝の祈り
簡素ではあるが丈夫なテーブルが瞬時に設けられ、隊を統べる者の恩人親子には臨席がすすめられた。
リィズがにこやかにお礼の言葉を述べる。
親子という認識に否を唱えるのは時間の無駄と二人ともが判断し、黙って従うことにしたのだ。
確かにドリは青年にしては元から老け顔ではあるが、頭巾越しでもこの扱いである。
仕草や身に纏う雰囲気が老練としているのが原因だろうか。
あっという間に広がるテーブルと椅子の機構や地面に立てられる天幕に興味津々な少女は、青年の元から離れる。
彼は行儀悪く椅子に横座りになりそれを目で追う。
跳ねる栗毛。
ころころとよく変わる表情。
即ちいつものリィズである。
ふ、と安堵の息をつく。
「デューリ殿は、ご息女をいたく大切にしておられるのですね」
へら、と緩んだ笑み。
『ですから剣をお持ちになるべきだとあれほど!』と年嵩の兵から手当てと共に説教を受けていたお坊ちゃんーーキーベックに名を聞かれたとき、名乗りたくはなかった。
が、恩を売るならきっちりと、というリィズのお達しを思い出し、告げた。
ドリの名だけだ。
リィズの名は下手に漏らすなとオヤジから言い聞かされていた。
それが何故かは分からないが、恐らく、あの長ったらしい名前と関係があるのだろうとアタリをつけている。
付け加えるならば、彼の勘が更なる警戒を促していたのだ。
例え愛称であろうと、本国から渡って来たこの男には、リィズの名を告げるべきではないと。
(ゴソクジョ……タイセツ……)
アレもコレも否定するのが面倒で、外套の下で眉間にしわを寄せながら、適当に答えることにした。
「…………まあな」
「そうでしょうとも。付かず離れず、目を離さず心を離さず。
更にはお二人ともが“場馴れ”していらっしゃる。
私を取り囲んでいた男達を手玉に取るような闘いぶり、お見事でした。
お二人だけで旅をされているからのか、それとも、この辺りではそれが普通なのでしょうか」
「いつ拐かしに遭うかも分からん」
「誘拐が横行していると?」
「シュレのガキは売り払っても足がつきにくい。代わりがいくらでもいる二束三文の労働力だ」
ドリの歯に衣着せぬ物言いにキーベックが隠すことなく顔をしかめる。
人身売買は一応禁じられていて、罪だ。
この際ユグの奴らの一人もしょっぴいてもらえばいい。
あの時点で建物にいた者達以外にもオヤジを見捨てた奴はきっといる。
当たり前だ、みんな自分がかわいい。
それで甘い汁をいくらか吸える予定だったのはオヤジの後継者にあたるドリだったのだが、彼はその機会を自身で唾棄した。
死んでもごめんだ、そんな利権。
「海ひとつ隔てただけだというのに、なんとひどい」
「買い手は本国の金持ちだぞ」
「そんな」
「そのガキどもがムチだか棒だかでしばかれ育てた絹だか綿だかで出来てるのがそのキレイなおべべだろうが。
知らなかったか」
若者は何も言い返せない様子で、ぐ、と押し黙る。
思う所はあるようだし、知らなかった、という顔でもないのを横目に覗く。
純粋培養のお坊ちゃんとは違うのかもしれないが、世界のオモテ側の綺麗事しか普段話さないのではないだろうか、とドリは感じた。
「お恥ずかしい限りです。
僕、……私は、世の中をもっとこの目で見て確かめる必要があると、今のデューリ殿のお話で再認識いたしました」
「そうかよ」
リィズが天幕の中央に立てる太い柱の周りをくるくる回っている。
犬か。
次の瞬間には兵站を任務とする兵達に声をかけ、かまどに火を入れるのを手伝っている。
鉄で出来た鍋に湧き水と切り分けた根菜、沸き立った所に細かく刻んだ葉を野菜を入れる。
薪も食材も村から購ったようだ。
獣か魔物でも狩って物々交換を成り立たせたのだろうか。
テリ麦のパンが香ばしく焼ける匂い。
近くの山で捕ってきたのか、獣の肉を捌いて焼く者も居た。
「キーベック様、お客人、どうぞお召し上がりください。
村に入る前に仕留めてくださった獣の薄切り肉も後程お持ちします」
「ああ、ありがとう。手伝わなくてすまない」
「とんでもない!代わりと申し上げてはなんですが、デューリ殿のお嬢さんがよく働いてくださいました」
「おいしそう!」
盆に乗せた食事と水。
それらを一緒に運んできた兵士二人とハイタッチしたリィズがドリの右隣の席にぽすんと座る。
二人の向かい側に腰かけたキーベックが姿勢を正し、緩く握った右拳を胸にあてた。
長い睫毛が伏せられる。
「今日も我々にこうして幸運と恵みをお与え賜うた事、感謝いたします」
食前に神に祈る、とかいう真似を見たことも聞いたこともなければもちろんしたこともない二人は、ぽかんとその口上を眺めているばかりだった。
オヤジが死んだときですら、神に祈った覚えはない。
神を語る者。
神にすがる者。
救いの神などいないユグでは、無駄でしかない。
食前の感謝の祈りはごく簡素なもので、ほんの数秒。
少女は不思議そうにぱちくりと目を瞬かせながらも、その様子をじいっと見つめていた。
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