五.悲しみと腹減り
楽しくもなんともない喧嘩だった。
喧嘩とも呼べないような一方的な制圧。暴力。
軽い運動にも憂さ晴らしにもならず、ドリの機嫌は更に下降する。
頭巾の中の目付きはますますもって悪くなるばかりだ。
人の良さそうな栗色の髪の青年が二人を見ていた。
ぽかんと口を開けた呆け顔で。
取り敢えず、地に伏せて身じろぎひとつしなくなったリーダー格らしき剃髪の男の身体を足で蹴飛ばしごろりと転がして、懐を探る。
薄く艶やかになめした革で出来たいかにも上等そうな財布はどう考えてもこの男達の持ち物ではない。
中に詰まったものでふっくらと膨らんだそれ。
本国の質の良い金属貨幣の他にも何か色々ありそうだ。
拾い上げはしたものの当然のごとく踵を返そうとするドリの右足に、リィズが小動物のようにしがみついた。
「返すの。ちゃんと」
「面倒くせえ」
「貸しを作るならきっちりやんなきゃ」
チッ、と舌打ちをこぼし、ならお前がやれと財布を放る。
弧を描いて落ちてきたそれを両手で受け止めたリィズが“お坊ちゃん”の元へ小走りで向かうので、遅れて後からついていく。
「おにいさん、大丈夫?これ、おにいさんのでしょ」
「ああ……僕の財布だ。
なんとお礼を言っていいか……ありがとう」
「何も抜かれてないか見た方がいいよ」
「ああ、そうか。うん。そうするよ」
悠長に、年端もいかぬ子供に言われた通り財布の中身を確認する。
二人で目を瞬いた。
どこまで育ちが良いのか、ドリもリィズも関わったことのないタイプの人種だ。
ひぃ、ふぅ、みぃ。
なんとまあのんびりとしたことだろう。
拍子抜けに間抜けを加える小声を背景にリィズはポジションを定位置へと修正して、
「お腹すいたね」
昨晩から水以外何も口にしていないことをはたと思い出し、ぽつりと呟いた。
ドリもとっくの昔から腹は空いていたので、ああ、とだけ返した。
オヤジがいなくても、意識の隅に悲哀だか憤怒だかがじいっと佇んでいても、腹は空く。
当たり前だ。
二人とも生きているのだから。
荷物の中に塩や香草をなじませて干した肉があったはずだ。
このお坊ちゃんの相手を終えたらまずはそれを食って、すぐにここを発とう、と思っていたはずが。
「食事をしたいのなら是非ごちそうさせてほしい」
どうしてだか嬉しげにそう言い出した。
痛む身体を持ち上げ、『こちらへ』と栗色の髪を風になびかせ歩き出したお坊ちゃん。
背中とくっつきそうな薄い腹を抱え、おさげを揺らして素直についていくリィズ。
ままならねえ。
ドリは小さくため息一つ。
腹に入るものならいただいておくかと気を取り直し、後を追った。
「キーベック様!」
「何事ですか、そのお姿は!」
結果的に言うと、お供は居た。
それも十五名も。
お坊ちゃん役人の有り様を見るやガチャガチャと鎧やら何やらを鳴らしながら駆け寄ってきた連中は、シュレでは見ることの少ない本国直属の兵士だか騎士だ。
こちらの方々に助けていただいて云々とご丁寧な紹介を受けたリィズが頭巾を外そうとしたのをぐいっと被せ直して止めた。
不満げに上目遣いに睨んでから、ぺこりと会釈を一つ。
ドリは外套を被ったままそっぽを向いた。
「ねえ、キーなんとかさん、おなかすいたよ」
早く終わらせろと全身から脅してくる連れの気配を察したリィズが子供の姿を最大限に利用して空腹を訴えると、兵士達から微笑ましく笑いがこぼれ、空気が緩む。
小さな手で下衣をくいくいと引かれた若者も嬉しそうに笑みを深めた。
名もなき村の北で、野営の準備が始まった。
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