最終話


まぶたを閉じてゆっくりと深呼吸をした。それを数回繰り返して集中力を深めていく。


ここまでの試合、身体からだはよく動いた。次が大1番だ。勝てる、勝てる、絶対に勝つ・・・


「いやぁ、今日の世緒衣はマジでキレッキレだねぇ。準決勝が楽しみだ」


場違いな平和な口調に目を開けると、見慣れた顔が間近にあった。


「・・・私、これから試合なの分かってるよね?邪魔しないでくれる?」


かなり不機嫌な声を出したにも関わらず、アヤちゃんは悪びれた様子も見せない。


「まぁまぁ、試合までまだ時間はあるんだし、いいじゃないの」


「いいワケないでしょ。そっちは余裕かもしれないけどさ」


「余裕なワケないでしょ。世緒衣に1言だけ言いたいことがあって来たんだよ」


「・・・なに?」どうせしょうもないことを言うに決まってる。


「私はさ、嬉しくてしかたないんだよ。妹のように可愛がっていた後輩が1年振りに柔道に復帰して、それからたったの半年でここまできて、この大舞台で闘えるってことがさ」


「・・・そんな話なら、試合が終わったあとでもできるよね?」


「つれない返事だねぇ。昔は私のこと尊敬してるて言ってくれてたのに。とにかく、1言だけ言わせてもらうよ」


「え、今のが1言じゃ・・」


 こちらの言葉をさえぎるように、アヤちゃんが私を抱き寄せた。


「おかえり世緒衣。よく頑張ったね」


優しくて暖かい声だった。耳から入って全身にジンワリと広がった。


鼻の奥がツンとして、目元が潤んだ。やばい、泣きそうだ。


「ちょっと、やめてったら」


私が彼女を突き離したタイミングで、トイレに行っていた網谷さんが鬼の形相で走ってきた。本日、私の付き人をしてくれている。


「ちょっと、滝口さん!なにしてるんですか!?2人はこれから試合をするんですよ?」


 半年前に柔道部に入った彼女は、世界チャンピオンに対してもおくせずに非難の声を浴びせた。


「はいはい、分かってますよ。でも、どうせなら決勝でやりたかったよねぇ。準決とか微妙だし」


 そう言いながら離れていく彼女の背中に私は言葉をかけた。


「いや、私は準決で1番強い人とやれてラッキーだと思ってるよ」


 アヤちゃんは立ち止まって不思議そうにこちらに顔を向けた。


「私がジュンケツを奪うの得意なの、知ってるでしょ?」


 アヤちゃんは一瞬きょとんとした表情になり、少ししてから豪快に笑いだした。近くでウォーミングアップをしていた他国の選手が何事かとこちらに目を向ける。


「ブハッハッハッハ!こんなオヤジギャグをいうJKに負けるワケにはいかねぇなー!よし、ひねりつぶそう!」


 今度こそ立ち去る世界チャンピオンの背中に向かって小さく呟いた。


「今も尊敬してるっつぅの」


 ※ ※ ※


 十数分後、準決勝が始まるアナウンスが流れた。


 私は深呼吸をもう1度だけして、立ち上がった。


 選手控え室を出て会場に入り、準決勝の畳に向かっている途中、小野塚くんと鈴田さん姉妹の声援がはっきりと聞こえた。




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彼の童貞を奪うと誓ってからの数日間 みかくに @tyanai

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