第17話



 目を覚ますと病院のベッドで寝ていて、右腕には点滴をされていた。


 少し動いただけでもおなかが激しく痛む。


 目覚めてから最初に会った看護師さんの話によると、僕は1週間ほど昏睡状態になっていて、かなり危険な状態だったらしい。


 あまりに出血が多くて一時は輸血の血液が足りなくなり、命の危険もあったという。


 それから2日後、警察が来て質問責めにされたけど、ろくに答えることが出来なかった。ほとんど覚えていないのだから仕方ない。


 唯一覚えているのは僕にぶつかってきた瞬間の、勝又くんの思いつめた表情くらいだった。


 ※ ※ ※


 目を覚ましてから5日経過して、集中治療室から一般病棟に移った日の夕方、ウトウトしていると病室の扉が勢いよく開かれる音を聞いた。


 直後に僕のベット周りを仕切っていたカーテンが勝手に開けられて、知らない女性が入ってきた。


「やぁやぁ、君がジュンケツくんか!」


「はい!?いたたた!」


 突然の出来事に声が出てしまい、その拍子にお腹に力が入って激痛が走った。


「ちょっとアヤちゃん、声が大きいよ。こんにちは、小野塚くん」


 謎の女性のうしろから月崎さんがひょっこり顔を出した。


「月崎さん?どうしたんですか!?」


「どうしたって、お見舞いに決まってるでしょ」


 月崎さんが眉間にシワを寄せる。隣にいた女性がタイミングを見計らって口を開いた。


「ジュンケツくん、初めまして!世緒衣の姉のアヤと言います」


「え、お姉さんですか!?」ていうか、さっきからジュンケツくんて・・・。


「いや、お姉さんじゃないから。騙されないで」


 月崎さんが訂正を入れるとアヤと名乗った女性はチッと舌打ちをした。


「改めまして、姉代わりのアヤです。このたび、妹分が大変な目に合ったと聞いてイタリアから緊急帰国をしてきました」


 はぁ、そうですか、と曖昧に返した。


 明らかに変な人だけど、整った顔立ちに化粧がバッチリされていて、まさに大人の女性て感じだ。アヤさんは部屋の隅に置いてあった丸イスに勝手に腰をおろすと、ニヤニヤしながらこちらの様子を眺め始めた。いや、マジでこの人はなんなの?


 アヤさんに目を向けていると、「ゴホン」と月崎さんが咳払いをして僕の意識を戻した。


「小野塚くん、この前の話はもう聞きましたか?」


「いや、詳しくは・・・」


「そうですか、それでは私が知ってる範囲で説明します」


 月崎さんの話はにわかには信じられるものではなかった。


 事故死だと思われていた阿久井だったが、今になって勝又くんが彼女を殺したと自供したという。


 そして月崎さんは、阿久井との生前最後の約束を果たすために僕に告白したらしい。なんじゃそりゃ。


「私んちには家訓があって、1度 わした約束や口に出した言葉は必ず実行しなければいけないんです。私が君に関して宣言した約束は2つ。1つは阿久井さんとの約束で君と恋人になることで、それは告白して断られたので終わりです。そしてもう1つは」


 そこで彼女は一旦言葉を止めてふーっと大きく息を吐いた。心なしか顔が赤くなっているように見える。


「君の童貞を奪うというものです!」


・・・はあぁ!?なにそれ??


「いや、ちょっと、そんな約束を誰としたの!?」


「はいはい、私としましたー」アヤさんが笑顔で手を挙げた。


「それで今日、決着をつけるからって世緒衣に言われて私は来たんだよ」


 アヤさんは終始ニヤニヤしている。完全にこの状況を楽しんでいる。


「今日決着って・・・」


―――それってまさか・・・ここで?今から!?


「いや、月崎さん、ちょっと待って、落ち着いて」


 医者からはまだ絶対安静だと言いつけられている。


「小野塚くん、なにを勘違いしてるの?私はすでに君の童貞を奪ってるんだよ?」


「は?ええっ!?」いつ?いつの出来事!?


「世緒衣、詳しく説明して」


 まともに話せなくなった僕の代弁をするように、アヤさんが続きをうながした。


「うん、小野塚くんが手術をしている時に輸血用の血液が足りなくなったって聞いて、同じA型だった私が輸血に協力したんだよ」


「え、そうだったの?」


「それで?」アヤさんが合いの手を入れる。


「つまり、小野塚くんの体の中には私の血が混ざっているってこと!それって、もうジュンケツではないってことだよね!ジュンケツを奪ったってことでいいんだよね?」


・・・え、意味が分からない。助けを求めるようにアヤさんに目を向けると、ばっちり目が合った。


 彼女は僕に小さく頷いてみせた。そのリアクションはなんですか?と思っているとアヤさんはおもむろに立ち上がり、月崎さんの横にいって肩を叩いた。


「やったね世緒衣!ミッションコンプリート!」


 月崎さんも嬉しそうに頷いた。アヤさんはそんな彼女を優しいまなしで見つめながら財布を出して、中から千円札を1枚出した。


「世緒衣、悪いけど飲みものを買ってきてくれない?無糖の紅茶で。あんたも好きなの買っていいから」


「うん、ありがとう」と月崎さんはお金を受け取って立ち上がった。


「ジュンケ・・・もとジュンケツくんはなに飲む?」


「あ、僕は大丈夫です」


 月崎さんが部屋を出ていった。売店は1階なのでしばらくは帰ってこない。


 アヤさんと2人きりになった。その途端、彼女の肩が小刻みに震えだした。心配になって声をかけようとした時


「ぶふふふっあーはっはっはっはー!」


 ダムが決壊したように笑い始めた。意味がわからず彼女の様子を見守ることしかできない。


「いやぁ、笑わせてもらった・・・。あの子の言ってた意味、分かった?」


 アヤさんが目元を拭いながら僕に訊いてきた。


「いえ、まったく・・・」


「あれはね、ジュンケツの意味を勘違いしてるんだよ」


 純潔の意味?どういうことだ?


「君が言ったジュンケツはじゅんすいの純にいさぎよいだよね?それを世緒衣は、潔いの部分を血液のケツだと思ってるんだよ」


「純血・・・」


 そう考えると先ほど月崎さんが言っていた意味も一応分かる。


「まぁ、そういうアホな子だけど、良かったらこれからも仲良くしてあげてよ」


「これからも、ですか」先ほどの月崎さんの口ぶりだと、もう僕との接点は無くなったように思える。


 すると、僕の様子を察したのか、アヤさんが口を開いた。


「ここにくる途中にさ、世緒衣は君に命を助けられたって言ってたよ」

 

「命、ですか・・・?」あの時のことはほとんど覚えていない。


「で、私が『冴羽獠に見えた?』て訊いたら顔真っ赤にして黙りこんじゃって」


 サエバリョウて誰?


「あの子、恋愛経験ないし、ぜったいにチョロいよ。がんばりなって!」


 ちょうどアヤさんが言い終わったタイミングで部屋の扉が開いた。月崎さんが戻ってきたのだ。


「はい、アヤちゃんお待たせ」


 月崎さんの差し出したペットボトルを受け取るとアヤさんは


「サンキュ、それじゃ私は先に帰るから」と言ってカバンを背負った。


「え、待って。私も一緒に・・・」


「小野塚くんがあんたに話があるみたいよ?」


「えぇ!?」と月崎さんが分かり易く動揺した。


 この人、急に何を言い出すの!?てか、初めてちゃんと名前で呼んでくれた!


「ではでは、あとは若い2人でごゆっくり」アヤさんはさっさと部屋を出ていった。


 部屋には気まずい空気が立ちこめた。先に口を開いたのは月崎さんだった。


「話したいことと言うのは、あれだよね?さっきのジュンケツのことだよね」


「いや、別にそういうワケじゃ・・・」


「自分でも分かってるよ。ただのへりくつだって・・・」


 へりくつ以前に意味を間違えてますよ、と言える空気でもない。


「別に気にしてないよ。それより輸血してくれてありがとう」


 月崎さんが首を横に振った。「もともと私が原因なんだから当然のことだよ」


 そう言いながら彼女は窓に顔を寄せて外の景色を見つめた。


 その表情は、外の風景というよりはこれまでの出来事を振り返っているように見えた。


「いま、阿久井のことを考えている?」


「まぁね。この数日間の出来事のおかげで、嫌でも考えちゃうよ」


 困ったような表情で笑った月崎さんを見て、僕の気持ちは破裂しそうなほど膨らみ上がった。


 「月崎さん!」


 うん?と彼女は僕に目を向けた。


「じ、実は僕、生死の境目をさまよっていた時に、阿久井に会ったんだ!」


 月崎さんがポカンとした表情になった。かまわず話を続ける。


「阿久井は君に感謝をしてたよ!勝又くんをやっつけて警察につきだしたことを、カタキを討ってくれてありがとうって。それと、私の分まで柔道がんばってほしい、応援してるって言ってたよ!」


 もちろん嘘話だ。月崎さんも微妙な表情をしている。


「僕の体に流れる、月崎家の血に誓って嘘じゃないから!」


 月崎さんは微妙な表情のまま固まっていたけど、それは次第に柔らかくなっていった。


「信じるよ、ありがとう。でもね」


 彼女は僕に顔を近づけてきた。良い匂いがフワッときて思わず目をそらしてしまう。


「私はもう、柔道に復帰して試合を見てもらうって約束をしてあるから」


「え?そうなの?」やば、カッコつけて喋ったぶん恥ずかしい。


「小野塚くん」


 呼ばれて顔を上げた瞬間、視界が暗くなった。手のひらで目元をおおわれたのだとすぐに分かった。


「ちょっと、なにを・・・」言いかけた時、


 唇に何かを押し当てられた。柔らかくて温かい、マシュマロのような感触だった。


 直後に視界が開けた。月崎さんの顔がすぐ近くにあって、真っ赤に染まっていて、目も潤んでいるように見える。


 一瞬意味がわからずにポカンとした。数秒後に我に返ると、心臓が猛烈にバウンドし始めて全身の血液が脳天に駆け上がって噴火した。


「なななな、ななな・・・!」


「な、なによ、君はもう私にジュンケツを奪われてるんだから、キスぐらいでうろたえないでよ!でも、嫌だったならごめんなさい!」


 彼女は慌てた様子で立ち上がると、床に置いていたカバンを拾い上げた。


「それと!11月3日の試合に出るつもりだから、それまでには元気になって退院しておくように!これは君と私との約束だからね!」


 月崎さんは半べそかいてそうな表情のまま、バタバタと病室を出ていった。


 僕は放心状態で彼女の走り去った方を見つめていた。何が起こったのか、いまだに分からなかった。

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