第13話ー④


 6月の第3日曜日、俺は電車に乗って横浜に向かった。中体連の横浜地区予選を見るためだ。月崎世緒衣はネットの画像ではよく見ていたけど、実物を見るのは久しぶりだった。


 ちなみに先週、湘南地区予選が開催されて、阿久井は余裕で優勝している。


 試合会場に到着して空いてる席を探していると、知ってる顔を見つけた。


 阿久井だ。彼女が自分の出ない大会にいるのは珍しい。目当ては当然、月崎世緒衣か。


 声をかける気にはなれなくて、俺は阿久井から離れた席を見つけて座った。


 試合は月崎世緒衣が順当に優勝した。


 やはり動きが速くて強い。いつか彼女とも練習をしてみたいなぁ。


 阿久井と顔を合わせたくないので早めに会場を出ようとした時、ある光景が視界に入った。


 阿久井と月崎世緒衣が話をしているのだ。


 俺は阿久井の背後にギリギリまで近づいて聞き耳を立てたが、内容は聞き取れない。しかし阿久井がほぼ一方的に話しかけていて、月崎世緒衣が戸惑っているように見える。


 やがて阿久井の方から離れていった。俺は彼女のあとを追い、玄関を出たところで声をかけた。


 やはり俺には気づいていなかったようで、驚いた表情を見せた。


「あれ、網谷も来てたんだ」


 挨拶以外で言葉を交わすのは久しぶりだったけど、意外にもすんなり話せた。


「うん、阿久井さあ、さっき月崎さんと話してよね?何を話してたの?」


 すると、阿久井は顔を歪めるようにして笑った。


「ちょっと面白いことを思いついてさ。よかったら網谷も協力してよ」


 この女は月崎世緒衣に対して何か良くないことをする気だ。俺の直感がそう告げた。


 地元のファミレスに入って2人ともドリンクバーを注文した。


「で、月崎さんとは何を話していたの?」


「焦らないで、まずジュース取って来ようよ」


 心の中で舌打ちをしながら飲み物を取りにいった。


「月崎にさ、契約を申し込んだんだよね」


「契約?」


 そう、契約。と阿久井は頷きながらジンジャエールに口をつけた。


「ある条件を受けてくれたら、私は県大会を辞退するって」


「はぁ?なにそれ?」


「月崎のやつ、さっきはモゴモゴしてたけど、絶対に条件飲むよ」


 私がいたら全国大会には一生出れないワケだし、と阿久井は笑う。


「条件てなんなの?」


「来週のうちの文化祭で、私の指定した男子と恋人のフリをしてほしい、て頼んだの」


「なんのために?」意味がわからん。


「それでね、その男子に月崎を人が来ない場所まで連れていかせて、そこで待機している他の男達に乱暴してもらって、その様子を動画で撮るんだよ」


「はぁ!?」この女は正気なのか。ただの犯罪だ。


「それ、本気で言ってるのか?つうか、なんのタメにそんなことをするんだよ・・・?」


「決まってんじゃん。あいつを地獄に叩き落とすためだよ」


 阿久井の顔から表情が消えた。前に半魚人ぽいと思った顔が、本当に死んだ魚のように見えた。


「月崎さんは、あんたに何かしたの?」ふつふつと怒りが沸いてきた。


「したよ!ずっとされてきた!」と阿久井は怒鳴るように言った。


「私と月崎は小学生の時から何度も戦ってきた。ぜんぶ私が勝った。私が勝つと会場はどうなると思う?みんながため息をつくんだよ!神奈川の1番偉い理事長も月崎のことを励まして私には何も言わないんだよ。おかしいと思わない?ただ顔がいいってだけで皆から応援されて、私はいつも悪役だった」


「そんなことないでしょ!阿久井が勝てば、道場の先生や両親だって喜んでくれるだろうし」


「私の両親はもう、私が勝っても何も言わない。勝つのが当たり前だからね。だらしない試合をした時に怒るだけだよ」


「それは、阿久井に期待してるからでしょう!オリンピックの日本代表とかになれば、喜んでくれるに決まってる!」


 オリンピック?と阿久井が吐き捨てるように言った。


「私がオリンピックなんかに出たいと思ってるの?」


「え、それだけ強かったら普通目指すでしょ・・・?」


「この顔がテレビに大きく映ると思っただけで震えるよ。ネットではさぞかし盛り上がるでしょうね」


 私はね、と阿久井は俺を睨みつけた。


「柔道の才能なんて欲しくなかったんだよ。それなら少しでもまともな顔に生まれたかった・・・」


「それじゃあ、いったい何のために柔道をしているの・・・?」


「必死で頑張ってる奴らの、それまでの努力を全否定するためだよ。私に負けて泣いてる顔を見るのが1番の楽しみだし」


 以前の、落とし穴の動画を見せられた時以上の吐き気をもよおした。阿久井がここまで歪んでいたなんて。


 その時、阿久井がスマホを取り出して画面に目を向けると、ニヤリと笑った。


「月崎、私の出した条件飲むってさ。全国大会出たくて必死だね」


 そう言ってヒラヒラとスマホの画面を見せてきた。もう我慢の限界だった。


「そんなこと、絶対にさせないから。月崎さんにあんたのやろうとしていることを教えるから」


「はぁ?網谷には関係ないじゃん?余計なことしないでくれる?」


「ぜったいに阻止する。あんたの思い通りにはさせないから」


 すると阿久井がふーっとわざとらしくため息を吐いた。


「マジでしらけたんだけど。なんなの一体?」


 そう言いながら阿久井は俺にスマホのレンズを向けた。カシャリと音がした。


「いま、写真撮った?」


 ええ、と阿久井は画面に目を向けたまま返事をした。


「月崎を襲う予定だった奴らに、あんたの写真を送るから。この女のせいで計画中止になったって。言っておくけど相手は)ちゅうの去年の卒業グループだからね。夜道は気をつけることね」


用中とはよう中学のことか。そこの去年の卒業組は最悪の世代と呼ばれていて、今はどこかの半グレ集団に入ったという噂だ。


「それじゃあね」と席を立った阿久井の腕を、俺は掴んだ。


「待てよ阿久井」


「は?何よ。やっぱり月崎の件は聞かなかったことにするから許してほしいとか?」


「勝負しろ」


「はい?話が噛み合ってないんですけど」


「お前が勝ったら俺は一生お前の奴隷になって、なんでも言うことを聞く。その代わり、俺が勝ったら月崎さんを陥れるマネはするな」


 阿久井は一瞬考える素振りを見せた。


「勝負て、なんの勝負?」


「柔道」


 ぶはっと阿久井が吹き出した。


「なにそれ?マジで受けるんだけど!あたしに勝てると思ってるの?」


「グダグダ言ってないで、勝負するのかしないのか、どっちなんだよ」


「あー、いいよ。お前マジで奴隷だからな?」


 ※ ※ ※

 

 勝負はその日の午後8時、近所の公園の芝生ですることになった。


 芝生の上で柔道なんて初めての経験だ。しかしすぐ近くに電灯が設置されていて、明るさは問題ない。俺達はすでに柔道衣に着替えて向かい合っている。


「ほら、さっさと始めようよ」


 阿久井が余裕たっぷりに言った。暗がりでも奴がヘラヘラしているのが分かる。


「それじゃ、礼して始めよう」


 俺が言いながら阿久井に向けて礼をした。彼女も普段通りの綺麗な所作で礼をした。


阿久井と組み合うのは実に3ヶ月ぶりだ。そして始まった。


 ※ ※ ※


 勝負は1分もかからなかった。


 俺は阿久井を完璧に投げた。何か作戦があったワケでもなく、シンプルに俺の実力が上だっただけだ。阿久井は投げられた状態、仰向けのまま動けないでいる。何も話さないので俺から声をかけた。


「約束通り、月崎さんには何もしないでよ」


「・・・・」


 阿久井は返事をしない。


「阿久井、聞いてる?」


「・・・なんでよ」


 阿久井が呻くように呟いた。


「なんであたしが、あんたなんかに負けるのよ」


 ここはハッキリと言ってやろう。


「阿久井、あんたね、去年から全然強くなってないよ」


「・・・そんなことないっ」


 ムキになって言い返してきたが、声に涙が混じっている。


「実際俺に負けたじゃん。県大会でもお前は月崎さんに負けるよ」


 阿久井は仰向けのまま両手で顔を覆い、「ウッウッ」と泣き声を漏らしはじめた。


「あたし、月崎にも勝てないかなぁ・・・」


 急に声が弱々しくなった。しかし優しくしてやるつもりはない。


「うん、お前はぜったいに負ける。下手したら月崎以外の相手にも負けると思うよ」


「月崎みたいな顔も性格も良い奴に柔道まで負けたら、あたしはどうしたらいいんだろ?」


 うわ、こいつ面倒くせえな。もう相手にしたくない。俺は柔道衣姿のまま自分の荷物を持った。


「お前のこの先なんて知るか!とにかく月崎さんには何もするなよ!」


 俺はそれだけ言って芝生から出た。


 その時、背後から「それじゃ、勝ち逃げするしかないかぁ」と聞こえたけど無視して帰宅した。


 ※ ※ ※


 翌朝、柔道場の先生から電話がきて、阿久井が死んだことを知らされた。

 

 昨夜、道路に飛び出してトラックにはねられたらしい。時間を聞いたところ、俺と別れてからすぐ後の出来事だったようだ。


「今日の午後6時から通夜だからな」先生は沈痛な声のまま、通話を終えた。


 耳に当てていたスマホを床に落として、俺自身もその場に崩れ落ちた。外部の音が何も聞こえなくなり、代わりに耳の奥がキィンと鳴っている。


 昨夜の阿久井とのやりとりが脳裏にフラッシュバックした。


「勝ち逃げするしかないかぁ」


 あの時、阿久井の言った言葉はそういう意味だったのか。


「ふざけんな!」突発的に怒鳴った。そのままベッドに倒れ込んで枕に顔を押しつけた。


「ふざけんな阿久井!お前が悪いんじゃないか!それなのに、なんで・・・・」


 思考が混乱して、そのあとは涙と嗚咽を垂れ流し続けた。


 意識は深い闇の奥へと沈んでいった。


 母に体を揺すられて、自分が眠っていたことに気づいた。部屋は真っ暗になっていて、時計を見ると午後11時を過ぎていた。とっくにお通夜は終わっている時間だった。


 ※ ※ ※


 その日以降、俺が柔道衣を着ることはなかった。


 それでも学校には休まず登校し、底辺ギリギリの成績をキープしていたところ、正式に片瀬山高校からスポーツ推薦を受けた。気が進まなかったけど両親が喜んだので入学することにした。

 

 しかし俺はもう柔道をするつもりはない。その場合はすぐ退学になるのだろうか。


 そしたら引きこもりに戻るだけだ。少しだけ親には申し訳ないと思った。


 ※ ※ ※


 何の感情も抱かないで出席した入学式で、我が目を疑った。


 月崎世緒衣が同じ制服を着て立っていたのだ。


 たしか彼女は夏の全中で優勝したはずだ。その成績ならもっと強い高校にも入れたはずだ。


 ということは、柔道部の練習に参加すれば放課後、毎日月崎世緒衣と会うことが出来るということだ・・・。


 しかし、柔道衣を着ることがどうしても出来ない。俺が柔道を始めたから阿久井は死んだのだ。


 入学式のあと、俺は柔道部の顧問の先生に会うために職員室にいった。練習に参加できない旨を伝えるためだ。この場で退学を宣告されたりするのだろうか。


 しかし、先生の返答は俺の予想とは違うものだった。


「お前が阿久井のことでショックを受けて、柔道ができなくなっていることは道場の先生から連絡を受けている。いはしないが、見学だけでもできるようなら来なさい」


 予想外の優しい言葉に戸惑う。「ありがとうございます。でも見学もまだちょっと・・・」


 そうか、と先生はため息をいた。「ともかく、練習に参加しないから学校を辞めさせる、などということはないから、焦らずにやっていけ」


 先生の言葉に涙腺がゆるんだ。このままだと大泣きしてしまいそうなので話題を変えた。


「先生、入学式で月崎さんを見かけたんですが・・・」


 すると、先生の表情が一段と暗くなった。


「ああ、月崎は一般入試で入ってきたんだが、事前に連絡があって、合格しても柔道はもうやらないと言われた」


「え・・・?」


「阿久井に月崎、それとお前が何事もなく柔道部に入ってくれていれば、我が校の黄金時代を築けたんだが・・・」


 この時、初めて先生の本心を聞けた気がした。


 職員室を出て教室に向かっている途中、月崎世緒衣のことを考えた。


 ひょっとして彼女も、阿久井の死を引きずっているのではないか。だとしたら俺に何か出来ることはあるだろうか。これから考えていこう。


 とりあえず今するべきことは柔道部顧問の先生に迷惑がかからないように、真面目な生徒として振る舞うことだ。まず始めに、【俺】は絶対禁止にしよう。


 なんなら学級委員にでも立候補してみようかな。さすがにそれは無理か。


 教室に入って席についた。なんとなく隣の席の男子を見た瞬間、反射的に「あっ!」と声を出してしまった。


 男子の顔に見覚えがあったのだ。


 1年前、阿久井に見せられた動画で、落とし穴に落とされた奴だ。間違いない。


 俺の視線に気づいた男子がこちらを向いて不思議そうな顔をした。


 あ、ええと、とりあえず自己紹介をしないと。


「初めまして。私は網谷桃子といいます。よろしくね」


 俺は今まで1度もしたことがないくらいの、全力の作り笑顔をした。

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