第13話ー②
母は父と相談することもなくその場で許可してくれて、翌週から阿久井の所属している柔道場に通うことになった。
うちから2駅先にあるその道場は月曜日から土曜日までの6日間開いていて、好きな日に来ていいとのことだった。
俺は引きこもるくらしか予定がなかったので、週6日通った。
初めは【受け身】とかいう寝っ転がって畳をバンバン叩く動作をずっとやらされたが、1週間過ぎると技を教えてもらえるようになった。
練習が終わって帰宅してからも俺は習った技をユーチューブで見て研究しまくった。
柔道に必要なトレーニングも、自宅で出来るものはどんどん試した。
もともと運動神経抜群だった俺は2ヶ月を過ぎた頃には【
乱取りの時間になると俺は、すぐに目当てに向かって走った。
「稽古、お願いします!」向かった先はもちろん阿久井だ。
俺が頭を下げると、阿久井は先生に目を向けた。先生もそれに気づいて近づいてくる。
「網谷、阿久井はかなり強いから、初めは小学生とやりなさい」
「大丈夫です!強いの知ってますから!もうすぐ全国大会があるんですよね?怪我はさせないので乱取りさせてください!」
先生は呆れたような表情を浮かべたが目の前の半魚人顔は無表情だ。挑発されたって分からなかったのかな?
と思ってたら「それじゃ、やろうか」と阿久井が言った。こいつの声、初めて聞いたな。意外にかわいい声だった。
先生も諦めた様子で「網谷はくれぐれも無理はしないように。阿久井は、分かってるな」と念を押して下がった。
よし、やっと阿久井と
いやでも胸が高鳴る。
それにしても、こうして向かいあうと俺より少し背が高いけど、体は細い。背負い投げが1番掛かりやすい体型だ。絶対に勝つ!
先生の「はじめ!」の合図で阿久井に飛びかかった。
組み合うと俺は習った技を次から次へと仕掛ける。阿久井はそれをヒラヒラとかわすだけで一向に攻撃してこない。
こいつ、手を抜いてるのか?俺の技が未熟なのだと理解してるものの、イライラしてきた。
「あのさ、手ぇ抜かないでくれない?」
俺の言葉に阿久井は「あ、そ」と短く答えた。
次の瞬間、世界が1回転して、気づくと天井を見ていた。
投げられたはずなのにどこも痛くない。
―――すげえ・・・やっぱすげぇ!
俺は勢いよく起き上がると「っしゃあ!」と叫びながら阿久井に飛びかかった。
3分の間に15回は投げられた。
けっきょく阿久井とは1本しかやらせてもらえなかったけど、上出来だ。
これから毎日乱取りをお願いして、奴の弱点を見つけるのだ。
※ ※ ※
初めて柔道の試合を観た帰り道、俺は月崎世緒衣のために何が出来るか考えた。
彼女の近くで何か手伝いをしようとは思わなかった。
考えた結果、月崎世御衣の今後の柔道人生で、もっとも障害になるであろう阿久井美貴のもとにいき、奴の弱点を調べ上げることがベストだと判断した。
スパイ大作戦だ。
ちなみに母との約束で復帰した学校も、あんなに嫌だったのに通ってみればどうってことなかった。
それから俺は毎日阿久井に稽古をお願いした。
最初はワケも分からず投げられ続けていたが、2ヶ月も同じことを繰り返せば多少の防御はできるようになってきた。
そんなある日、練習後に先生に呼ばれた。「網谷、そろそろ試合に出てみたらどうだ」
「え、自分が試合っすか?」
先生が頷く。「阿久井とあそこまでやりあえるんだから、簡単には負けないと思うぞ」
正直、自分が試合にでるなんて考えたこもなかった。
しかし、どんどん強くなっていることは自覚していた。
毎日腕や足にアザをつくって頑張っているワケだし、1度くらい試合に出てみてもいいかな。
※ ※ ※
俺がエントリーした大会は昇段大会というもので、5回勝てば黒帯を巻く権利が与えられる試合だった。
出場選手を見た感じ、中学生と高校生が半々くらいかな?
毎日阿久井と練習しているおかげで、周りの連中がまったく強そうに見えない。
こんなに緊張しなくて大丈夫なのかと逆に心配になったけど、いざ試合が始まると5試合全て勝つことが出来て、黒帯を締める権利をゲットした。
黒帯は後日、俺の名前が刺繍されて送られてくるそうだ。
帯の色なんてどうでもいいと思っていたけど、いざ黒帯が届くと嬉しくてたまらず、帰宅してすぐに大鏡の前で柔道衣に着替え、黒帯姿の自分を1時間以上眺めた。
初めて黒帯を締めて道場に行った時、背後から「あ、黒帯になったんだ」と声をかけられた。
振り向くと声の主は阿久井だった。俺は驚きすぎてうまく返事が出来なかった。
この道場に来て2ヶ月、阿久井と毎日練習をしていたが、必要最低限の会話以外はしたことがなかったからだ。
かろうじて「ありがとう」とだけ言えた。
その日から阿久井は頻繁に話しかけてくれるようになった。
それから半年が過ぎて、中学3年に進級する頃には練習後に2人でファミレスやファストフード店に寄るくらいの仲になった。
この日はハンバーガーが有名なチェーン店を選んだ。
「網谷はホントに中体連には出ないの?」
「うん、うちの学校柔道部ないしね」
もったいないなーと阿久井はジュースを飲んだ。
「黒帯も取れたし、俺は満足してるよ」
俺はポテトを2本取って口に入れた。いつも思うけどここのポテトは細すぎる。
「網谷も出れば県でけっこういいとこまで行くと思うけどな。出るなら44くらい?」
阿久井が訊いてきたのは階級のことで、44キロ以下級のことだ。「うん、いま43キロだからねー」
ふーん、と阿久井は興味をなくしたように相づちを打つ。自分から訊いてきたクセにその態度はなんだ。
「網谷さ、高校は私と一緒に片瀬山高校に入ろうよ」
「え?」突然の誘いにどう返していいか迷っていると、阿久井が続けて口を開いた。
「網谷は才能ある。続ければ絶対に高校で全国レベルになれるから」
阿久井にそんなことを言ってもらえるなんて夢にも思わなかった。
「けど、俺は勉強のほうがちょっと・・・」片瀬山高校はそこそこの進学高だ。
「いや、勉強とか別にいいから、とりあえず一緒に高校に練習にいこうよ。それで大丈夫だから」
は?大丈夫て、なにが??
後日、阿久井に連れられて片瀬山高校に練習に行った。
ここでも高校生相手に負けることはなかった。
練習後、高校の先生に私だけ呼ばれて5教科の成績を聞かれた。
この高校に入れる成績ではなかったので言いたくなかったけど、嘘をつくわけにもいかないので正直に話した。
「そうか、それ以上成績を落とさないように。あとは定期的にうちに練習に来れば推薦で
先生はあっけらかんとした口調で俺の進路の内定をくれた。
こんなメチャクチャな出来事も、母に報告すると喜んでくれた。
どうやら俺のことを、高校にも進学しない本格的な引きこもりになると覚悟していたらしい。
いつの間にか阿久井は俺にとって恩人となっていた。
その頃になると、俺の中で月崎世緒衣の存在は薄らぎつつあった。
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