第13話ー①


 話は2年前にさかのぼる。


「ツキザキセオイさん、本当にありがとうございました。オレ・・、私は網谷桃子といいます。いつか必ずお礼をしますので」


 危うくおぼれ死ぬところを助けてもらった俺は、命の恩人に改めて頭を下げた。頬に垂れた髪の毛先からポタポタと滴が落ちる。


「いや、顔を上げてください、本当にお礼とかはいいですから」


 言われた通り顔をお上げると、目の前にはやっぱり女神がいる。


「でも、マジで命を助けられたワケだし、何か返さないとこっちの気がすまないというか・・」


「だから、気にしないでって。それじゃ、ランニングの途中なので失礼します!」


 そう言うとツキザキセオイは軽快な足取りであっという間に俺の前から走り去った。


 ※ ※ ※


 海から帰宅した俺は部屋に戻るとすぐにパソコンを起動した。


 彼女のことを少しでも知りたくて、名前を検索すれば何かヒットするのではと思ったからだ。


 【月崎世緒衣】で17件ヒットした。変な名前だったから偽名かと疑ったけど本名だった。


 検索で1番上に表示されたのは、神奈川県の柔道大会の結果報告のサイトだった。


 さっそうと走り去った姿を見て、なにかスポーツをやっているとは思ったけど柔道だったとは。


 もっとシュッとした格好いいことをやってそうなのに。フィギアと新体操とか。


 驚いたことに彼女は俺と同じ中学2年生だった。


 さらに検索していくと、来週の土曜日に横浜で柔道の県大会が行われるらしい。


 そこに行けば月崎世緒衣に会えるかもしれない。


※ ※ ※


 翌週末、俺は横浜に出かけた。もちろん柔道大会を見るためだ。


 会場に入ると、まず人の多さに驚いた。


 そのせいで死ぬほど暑い。ここはサウナ室か!?いや、そんなレベルじゃない。ここは・・・革靴の中だ!おぇぇ!


 試合会場は4つあり、そこで柔道の服を着た2人組が取っ組み合ってる。いったい何か楽しいのか?


 さらに俺を困らせたのは試合場の外で応援している同年代の連中の服装だ。


 学校の制服と柔道の服を着てる奴ばっかで、Tシャツジーンズ姿の俺は目立って仕方がない。


 果たしてこの中から月崎世緒衣を見つけることができるのだろうか。そもそもここにいるのだろうか。


 柔道の服を着ている連中は背中に名前が書いてあるので、それをひたすら見て捜した。


 人混みをかき分けて会場を動きまわっていると、すぐに全身が汗ダクになった。


 3時間が捜しても見つけられず、もう帰ろうかと思った時だった。


「セオイ先輩ファイトー!!」


 いま、確かにセオイって言った!奥の会場だ。目を凝らすが遠くて見えない。急いで奥の会場に向かう。


 人混みをかき分けてなんとか到着した試合会場には月崎のゼッケンをつけた女子が試合場に立っていた。


―――彼女だ!


 そこにいたのは間違いなく海で俺を助けてくれたあの人だった。


 あんなにダサかった柔道の服が、あの人が着たら超格好いい。いや、神々しさすら漂っている。


 うわぁカッコいい、と思った瞬間、彼女と掴み合っていた相手が吹き飛んだ。


 周りの観客がワッと歓声をあげた。どうやら月崎世緒衣が相手を投げ飛ばしたようだ。


―――やばい。


 全身が震えて、両腕には鳥肌が立った。


 すごい!すごすぎる!人間じゃない、やっぱり神だ!神に違いない!


 もう試合はこれで終わりなのか、ルールは分からないけどもっと彼女の試合を見たい!


 とりあえず月崎世緒衣が試合をした会場の前で待機することにした。


 その場に座り込んでスマホを見ながらたまに試合場の様子を見ていると、突然会場の空気が変わった気がした。


 それまで声援でとにかくうるさかったのに、シンと静まり返ったのだ。


 え、なに、何事?スマホ画面から顔をあげて試合場を見ると、1人の選手が目に止まった。月崎世緒衣ではない。


 その選手は両目が離れていて鼻も低い。まるで半魚人のような外見で、はっきり言ってゲキブス。


 しかし試合が始まると今までの選手との違いがすぐに分かった。


 まず姿勢がきれい!そして無駄に動かない。そのせいで対戦相手の方がバタバタ動いているように見えた。


 2人が組み合った瞬間、バタついていた選手の体がフワリと浮いて背中からゆっくりと畳についた。


 え、今のなに?スローモーションに見えたよ?あんなの見たことない!あの半魚人が投げたってこと!?


 心臓がバクバクと波打ってきた。俺は興奮と感動を同時に感じている。


 この半魚人と月崎世緒衣が戦ったらどうなるのか。


 そんなことを考えていると、再び月崎世緒衣が畳に立った。胸がざわついたものの、先ほどまでの高ぶりはない。半魚人のインパクトが強すぎたのだ。


 月崎世緒衣がキビキビと動く。その動きはまるでプロのバスケット選手のようだ。ちゃんとバスケを見たことないけど。


 月崎世緒衣がよく分からない動きをすると、相手はバッタリと仰向けに倒れた。


 審判ぽいオッサンが片手を挙げ「ッポン!」と叫んだ。なんだよ、ポンて。


 よく分からないけど、とにかく月崎世緒衣がまた勝ったようだ。素晴らしい。


 俺は持っていたスマホはカバンにしまった。柔道を真剣に見ようと思ったからだ。


 正確に言うと、月崎世緒衣と半魚人の試合をちゃんと見たかった。


 15分後、半漁人が畳に上がった。またしても相手が宙を舞った。


 優雅な雰囲気さえあった。これはイカサマではないのか?そう疑ってしまうほど、半漁人の強さは異常だった。


 そして3たび月崎世緒衣が畳にあがった。


 対戦相手は・・・なんと半魚人だった。2人が同じ試合場に入り、向かい合っただけで胸がドキドキした。どっちが強いのか?


 2人の戦いは今まで観てきた試合とまるで違って見えた。


 月崎世緒衣が相変わらずキュッキュッと目まぐるしく動くのに対して半魚人はゆっくりと動く。まるで海に漂っているコンビニ袋のようだ。


 俺の目には月崎世緒衣がずっと攻めているように見えた。


 ルールは分からないけど、これって月崎世緒衣が勝つよね?


 その時、半漁人がユラリと動いたかと思うと、月崎世緒衣の足下にペタンとしゃがみこんだ。


 なんだ?と思った瞬間、月崎神は半漁人の体を飛び越してクルリと1回転して背中から畳に落ちた。


 数年前に見たお笑い番組で、芸人が水泳の飛び込みに挑戦するコーナーがあり、ある芸人が勢いよく前方に跳んで1回まわって背中から勢いよく着水する映像を思い出した。


 月崎世緒衣は畳の上で仰向けのまま両手で顔を覆い、対して半魚人は何事もなかったように開始線に戻った。


―――神が負けた。あんな半魚人に。


 月崎世緒衣は審判にうながされてようやく起き上がると、お辞儀をして試合場から降りた。


 それと同時に周りの観客達も立ち上がって帰り支度を始めた。今の試合が最後だったようだ。


 俺も慌てて立ち上がって周囲を見まわす。


 月崎世緒衣はどこだ。なにか一言、言葉をかけたい。もう着替えてしまっていたら見つけるのは更に難しくなる。




 出口付近に群がる学生達を押し分けて捜すけど見つからない。


 もう帰ってしまったのかと思ってそのまま外に出てみた。


 外にも人だかりができているけど、もう見つけられる気がしない。なんとなく駐車場に目を向けた。


「ああ!」思わず声を出してしまった。


 月崎世緒衣がいたのだ。柔道服を着たまま車に乗り込んでいる。


 ここからかなり距離があるけど走れば間に合うか? 一瞬悩む。


 いや、俺の脚ならきっと間に合う!


 そう決意して走ろうとした時、視界の端に学生服の集団が見えた。その左端に知ってる顔がいた。


 半魚人だ。無表情で皆と歩幅を合わせている。


 彼女に気を取られた間に月崎世緒衣の乗った車は走り去ってしまっていた。


 半魚人が肩に担いでるバックの脇に何やら刺繍で文字が施されている。


 俺はさりげなく近づいてなんと刺繍されているのかを確認した。


【片瀬山中学校 阿久井美貴】


 片瀬山中って、俺の中学から1駅隣にある中高一貫の進学校だ。道理で制服に見覚えがあると思った。


 帰りの電車の中でさっそくスマホで【阿久井美貴 柔道】と検索してみるとたくさん出てきた。


 詳しく見てみると色んな大会で優勝していて、全国大会でも優勝しているようだ。


「すげ・・・」


 やはりあの強さは全国でもトップクラスだったのか。


 さらに調べていくと阿久井は部活動だけでなく、藤沢市内の柔道場にも所属していることが分かった。次にその道場を検索する。


 すぐにヒットした。予想通り俺の家からさほど遠くない。


 俺は帰宅すると台所に向かい、夕飯の準備をしていた母に声をかけた。


 俺から話しかけるのは約1年ぶりなので、母の表情に緊張が走った。


 俺は簡潔に希望を伝えた。


「柔道を習いたいんだけど。習わしてくれたら学校にも行くから」


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