第4話

  朝礼が終わると、早くも覚悟していた事態が起きた。


 月崎さんが僕のクラスにやってきたのだ。


 このクラスの誰かを従えて僕のもとにくるのか、それとも僕の前に直接やってきて罵詈雑言を浴びせるのか、どちらにせよ昨夜のうちから覚悟を決めていた。


 しかし彼女は僕には目もくれず、教室の後ろの窓際の席に進んでいった。


 そこはすずさんの席だ。彼女はいつもどおり面倒くさそうに頬杖をついて窓の外を眺めていたが、月崎さんに気づくと分かりやすく驚いた表情を見せた。


 そんな彼女に月崎さんは顔を寄せて何かを呟いた。鈴田さんは何度も瞬きをしていた。クールな印象の彼女にしては新鮮なリアクションだった。

 

 月崎さんは要件が済んだとばかりに颯爽と出口に向かった。


 しかし、教室から出る瞬間、彼女は立ち止まってこちらを振り向いた。


 警戒心を解きかけていた僕は月崎さんとモロに目が合った。まっすぐ突き刺してくるような視線に体が固まり、動けなくなった。


 こんな経験は初めてだった。数秒の間その状態が続いてから月崎さんは廊下に姿を消した。


 金縛りが解かれた僕の両脇は、汗でぐっしょり濡れていた。


 次の休み時間、クラスメイトのかつまたくんが僕のもとにやってきた。


ゆうに僕の2倍はある体格の彼には今の時期は辛そうだ。ここまでのわずか数メートルの移動で顔から汗を吹き出している。


「小野塚くん、さっき月崎さんが出ていく時、君のことを見つめなかったか?彼女と何かあるのかい?」


「別に何もないよ。勝又くんこそ、どうしてそんなことを気にする。月崎さんのファンなのかい?」


「まぁ、ファンというか・・・」勝又くんは思わせぶりに言いながらニヤリと笑った。


「月崎さんとは過去にいろいろあったんだ。何があったかは言えないけどね。とにかく、彼女は俺の女神様なのさっ」


 勝又くんの目は完全に恋する思春期男子のそれだった。


 昨日、彼女にドッキリの嘘告白をされて、返り討ちにしたことを言ったら彼はどんな顔をするのだろう。


「しかし心配だ。鈴田は月崎さんを呼びだして何を企んでいるんだろう。なにか弱みでも握られてなければいいんだけどなぁ」


 そう言いながら彼は横目で鈴田さんの方に目を向けた。つられて僕も見てみたが、彼女は先ほどと同じように窓の外を眺めている。


 すずはるはそこそこの進学高である我が校の中で、1人異質な空気をまとった存在だ。


 制服は校則ギリギリに着崩しているし頭髪も金に染めている。


 それだけなら皆から敬遠されるだけなのだが、彼女は入学時にトップの成績で特待生枠で入学し、以降テストでも常に上位10位以内をキープしている謎多き女子だ。


「そんな弱みって大げさな。アイドルでもあるまいし」


すると勝又くんは「君は何もわかっていない」と首を振りながらスマホを操作し始め、画面をこちらに向けた。


 彼の手汗によってしっとり濡れているスマホを受け取って読んでみた。


【中体連:柔道、女子52キロ級は月崎世緒衣が初制覇】

混戦の女子52キロ級は全国大会初出場の月崎世緒衣〈神奈川・岡藤中〉が優勝。


 簡略な文章の下に画像があり、そこには柔道衣を着た月崎さんが賞状とトロフィーを持って写っていた。髪が今よりずっと短く、少年のように見える。


「え、柔道!?月崎さん柔道してたの?しかも日本一??」


 勝又くんがスマホを取り返すと、さらに何か操作して画面を見せてきた。


 そこには月崎さんの顔画像と、最近ドラマや映画に出まくっている若手女優の顔画像を並べて検証するサイトだった。


「こんなサイトまであるなんて・・・」


「これは柔道ファンが集うサイトさ」


「確かにこうして見ると、似てる気がする、かなぁ」


 僕のあやふやな解答に怒りを覚えたようで、勝又くんが鼻を鳴らした。


「よく見るべしだよ、この芸能人の画像は、映画の舞台挨拶の時で、月崎さんは柔道の試合後の画像なんだよ?」


「それは分かるけど・・・」


いな、分かってない!つまり月崎さんはこの時スッピンなんだ。それなのに化粧バッチリの芸能人と互角の勝負をしているんだ」


「あ~、確かに。そう言われてみるとすごいねぇ」


「だろ?そして驚くことに月崎さんは今も化粧をまったくしていない!これから化粧を覚えて、女性として成長していったらどうなるのか、楽しみで震えが止まらないよ」


 彼の熱量は一向に引く気配がない。2時限目開始の予鈴が鳴っても気づいていない様子だ。


 その時、「勝又くん」と隣から声をかけた女子がいた。


「予鈴鳴ったし、そろそろ席に戻った方がいいよ」


このクラスの学級委員のあみたにさんだ。


「あ、これは失礼!」


彼女に一言詫びを入れると彼はドスドスと席に戻っていった。やっと解放された。


「網谷さん、ありがとう」


 お礼を言うと彼女はニッコリ笑って会釈を返してくれた。すこしポッチャリしていていつもニコニコしている彼女はクラスの良心であり、マスコット的存在だ。


 昨日から女子に対する不信感を復活させ始めた僕にとっては、彼女と話すだけで癒された気がした。


 授業中、僕は先ほど見せられた中学時代の月崎さんの姿を思い出していた。


 中学生の時に柔道で日本一。これがどれほどすごいのか僕にはよく分からないけど、おそらくとてもすごいことなのだろう。


 しかし彼女は今は柔道部に入っておらず、帰宅部のはずだ。


 僕に嫌がらせをする暇があるなら、柔道をしていた方がよっぽど有意義な人生のはずなのに、いったい彼女は何を考えているのだろうか。

 

 そして、勝又くんは鈴田さんが月崎さんを呼び出したように言っていたけど、僕には明らかに月崎さんが自らの意志でやってきたようにしか見えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る