僕のマエストロ

ぴよこ

第1話

一億人に一人。

世間一般には都市伝説として扱われている、とあるお話。


世界をひっくり返す、とは言わなくとも、世界を15°くらい動かした人、というのは少なからずどの時代にも存在しているはずだ。

例えば学校で習った、あの人とか、この人とか。君だって誰か数人くらい、思いつく名前があるだろう。

そういった類の人間は、実は生まれたその時に見分けられるという。それは何故か?

答えは『鍵』である。

そのままで大変申し訳ないが、世界を動かす人物は皆、鍵を持って生まれてくるのだ。

そんな限られた人を、僕らは『マエストロ』日本的に言うなれば『世界の指揮者』と呼んでいる。

もうお分かりいただけただろうか。実は僕こそが、そのマエストロの一人である。


僕が生まれた時、僕の手の平の中には、小さな手には不釣り合いと言わんばかりの仰々しい鍵が眠っていた。

それを知っていたのは、政府の中でも極一部の秘密組織と両親のみ。

物心着いた頃、僕は鍵の存在を知ることになる。


僕は有能である。

それは、組織と両親から耳が痛くなるほどに聞かされた言葉。だから僕は自分が絶対であることを疑わなかった。他者を信じることもしなかった。

二十歳の誕生日を迎えた特別な日、それが僕の使命の刻だった。


目前に置かれた、古びた箱。これを開ければ、僕の使命が何なのかわかる。そう言われながら生きてきた。

心臓がドクドクと波打つ。

今までどんな試験でも緊張などしなかったはずなのに、鍵を持つ手にじんわりと汗が滲む。

怖い。

初めて、そんなことをふと思った。

幼い頃から言われ続けてきた台詞を、頭の中で繰り返す。

箱の中にある使命は必ずや果たさなければならない、しかしその使命は決して誰にも明かしてはならない、と。

一歩、また一歩。

緊張、興奮、恐怖、快感。色んな感情が一気に打ち寄せてきて、僕の心を飲み込んでいく。

ため息を、一つ。

鍵を、刺して。

箱の中身は、一体───



「これ、は……?」

確かに、僕は箱を開けた。なのに、何故。

何度覗いても中は空っぽで、どんなに調べてもからくりなどはなく。

僕は有能である。

箱の中の使命は絶対。

けれどこの使命を誰にも言ってはいけない。

頭の中でぐるぐると回り出し、収まることのできない言葉。

つぅ、と背中を滑る冷たい汗。

「使命なんて、最初から存在してなどいなかったのか……?」

考えても考えても、わからない。けれど僕は確かに鍵を持って生まれてきた。それは変わりようのない事実。だったら、どうして。

ハッと息を呑む。これほどに馬鹿馬鹿しい答えがあるものか、と一度は首を振ったが、どうしてもその答えが僕の頭から離れない。

「そんな馬鹿な話が」

ふ、と笑みが溢れる。そうか、最初から。


世界は最初から、僕を騙していたのだ。


マエストロなんて、初めから存在していなかった。

いや、正しくは、世界中の皆がマエストロの一人なのだ。

嘘があるとすれば二つ。一億人に一人という点と、この都市伝説が一部のみに知らされているという点だ。

世界を動かしうる人々というのは、限られているわけではない。世界中の誰しもがその可能性を秘めている。

そして、それが例えばサンタクロースのように、大人から子供へと受け継がれていくもの。

要するに大人たちの本当の狙いは、箱の中身が空っぽだった時点で、これを開けたもの達が「死ぬまで自分の使命が何なのかを考え続け、己の才を見い出し続けなければいけない」と思わせるように仕組んだ、なんとも巧妙な罠だということ。



けれど僕は、その罠にはまることができなかった、というわけだ。

「僕はマエストロなんかじゃあない。ただ、君を愛することしかできなかった、無能な男だ」

コトン、と君の笑顔が刻まれた写真立てを仏壇に置き直す。

今日は君の命日であり、僕の初孫が生まれる日である。

「さて、僕の可愛いマエストロに逢いに行こう」




世界はどうしてか、悲しくて優しい嘘で溢れてる。

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