第26話天空都市奇談Ⅴ

「う~……」


 壁に映し出された自分の姿を見て、白亜がうなる。


「何、これ……」


 傷ひとつなく、磨きぬかれた壁は、まるで鏡のように向かい合ったものを映し出している。

 どれだけ精巧なのだろう。

 服の隙間からあちこちが露出しかけているところまで、くっきりとその輪郭を現すほどに。


「これじゃあ、まるで……」


 薄手のスカーフみたいな布で胸を隠し、パレオだろう布を腰に巻いているだけの姿だ。

 ふと古代クレタあたりを連想してしまう白亜。


「まる、で?」


 やはり同じ格好をしたシルルとペルムが問いかける。

 まるで痴女じゃない、とのど元まで出かかって、それを飲み込んだ。


「これ、が……オクタヒドロン、のせいそ、う、だよ?」


 正装があるという。


「……!」


 この天空都市を造った人物は、いったい何を考えていたのだろう。

 白亜が苦笑いを浮かべる。


(ま、まあ、古代ギリシャとか、みんなすっぽんぽんで暮らしてたっていうし……)


 スパルタだと、女性も裸で軍事訓練して、古代のオリンピックも全裸でやったくらいだ。

 それに比べれば、この格好もマシな部類だろう。

 水着だと思えばいいのだ。

 あるいはサンバカーニバルにでも参加しているとか?

 羞恥心と義務感の葛藤を、どうにか乗り越えようとしていた、その時だ。


「――っ!?」


 首筋にひんやりとした感触を覚え、白亜が飛び上がった。

 冷たい手で、それも子どもがべたっと触るあの感覚。


「シ、シルル?」

「え?」


 ジト目の白亜が追及するようにシルルへと視線を向ける。


「びっくりするからやめてよぉ!」

「え、あの……はく、あ?」


 突然のことに驚き、うまく言葉が出てこない。

 何ら身に覚えがないとばかりに、ふるふる首を横に振るシルル。


「え? じゃあ……」


 と今度はペルムへと視線を向け――


「えっ、何? わ、わたし?」


 困惑するペルムが両手を前に出してぶんぶんと振りかざす。

 どうやら違うらしい。


「え、じゃあ、誰が……?」


 首をかしげた、その瞬間。


「ひゃっ!?」


 再び冷たい感触が走る。

 しかも今度は背筋に手を這わせるような感覚だった。

 シルルもペルムも白亜に面と向かっている。

 つまり二人がしていないことは明らかだ。


(誰かいる?)


 でも誰が?

 キョロキョロとあたりを見回す白亜。


「ねえ、どうし、たの?」


 シルルが首をかしげながら問いかけてくる。


「その、誰かに触られた感じがしたから……」

「……?」


 眉を寄せてシルルが言った。


「はく、あ……もう、ここ、すんで、ない……はず」

「誰も?」

「たぶ、ん……」


 奇怪な話だ、と白亜も難しげな顔をした。

 人の気配は感じられない。

 しかし先ほどの感触はしっかりと残っている。


(じゃあ、誰が……?)


 誰もいないはずの場所で?

 首をひねる白亜。


「ま、まあ、そんな、に深刻にならな、いで、さ!」


 困った顔を浮かべながら、ペルムが話題を変えようとする。


「そう、だよ。街いく!」


 シルルも促す。


「う、うん……」


 もやもやを残したまま、白亜はその場を後にした。





「――」


 浴場から少し歩くと門があり、それをくぐると中には確かに街があった。

 閑散とした石造りの街並みは、地下街を思わせる景観だ。

 そしてシルルの言ったとおり、人の気配はどこにもない。

 ただ地下街同様に、生活インフラはどうやら機能しているようだった。


(本当に、誰も住んでいないんだ……)


 この世界では人間が絶滅寸前だというのは、前にも聞いた話だ、

 けれど、人がそうたやすく絶滅などするのだろうか?


(でも、だったらさっきのあれは――)


「はく、あ~!!」


 とたどたどしい声が耳に響く。


「え? て――」


 はしゃぐシルルが、家屋に足を踏み入れているのを目にした。


「シルル、何やってるのっ!?」


 いきなり盗掘者みたいなことをしている。

 それも何のためらいもなく、ごく自然に家の中から物品を持ち出しているのだ。


「しょくじ、しよ、う?」


 楽しげに声を弾ませるシルル。


「いやいや! 勝手に人の家に入って大丈夫なの!?」


 現在ここに誰も住んでいないのなら、ここの物品の所有権は誰にもない。

 だけどまだシルルのように冬眠している人がいるとしたら?

 その可能性を否定できない。


「いやいや、食事じゃなくて――」

「その……」


 シルルが家屋から運び出した袋を広げる。


「って……」


 コメがあった。

 いや、正確には、コメに似た作物なのだろうけれど。

 だけど実際によく似ていた。

 ただ形が細長い、いわゆるインディカ米のようではあったが、それでもコメはコメだ。


「これ――」


 パンゲアにコメ?

 騙されたような気分になる白亜が目を凝らす。


(そりゃあ、コーヒーもどきや片手鍋イブリックがある世界なのだから、コメがあってもおかしくはないけれど……)


 とはいえ、いわゆる穀物といえば、イネ科かマメ科のいずれかになるはずだ。

 この世界にも、白亜の世界から人が移住していたのなら、あってもおかしくはない。

 そこにどんな物語があったのか、そんな想像をかきたてられる白亜だったが……


(って、いや待って!?)


 ふと我に返った。

 当たり前だ。

 コメなのだから。

 基本的にコメは湿潤な気候でなければ育たない。

 東アジアを例に取れば、深嶺山脈から淮水を結ぶ線以南でなければコメは育たない。

 なんといっても降水量がモノをいうのだ。

 確かにペルシャでも、一部地域でコメが栽培されているのは事実。

 ピラフは向こうの料理だったはずだ。

 けれど――


(砂漠で、コメが育つ?)


 育つわけがない。

 陸稲おかぼでも無理だ。

 この世界は見渡す限りの砂漠で、なら農業は成り立たない。

 当然だが輸入物であれば別だ。


(でも……)


 それでも、ほんのわずかだけある可能性が残されている。

 まだ人の住める地域が残されている、という可能性を。

 と――


「はく、あ。わたし、おなか、へっちゃ、った」


 無邪気な子どものように、シルルが言った。

 そして、いつの間にか、別の食材まで持ち出していた。


「私、も!」


 ペルムまで同調する。


(い、いいのかなぁ……)


 戸惑う白亜だったが――


『私もおなかぺっこぺこですね!』



「「「っ!!?」」」


 声が聞こえたのだ。

 澄んだ、それにどこかはかなげな声。


「え……なっ!?」

 

 何が起きた、動揺した顔が三つ。


「シ、シルル……じゃないよね?」


 コクコクと首を縦に振るシルル。


「もちろんだけど、ペルムでも――」


 ぎこちない動きで、振り向き問いかける白亜へと、ペルムがフルフル首を横に振った。

 そして白亜でもない。


『あっれぇ~』

「「「っ!!?」」」


 再び声が聞こえた。


『そんなに驚くことかなぁ……』


 声が困ったようにつぶやく。

 だが、驚くなと言うほうがおかしい。


「な、なななな……何なのっ!?」

「だ、誰か、隠れ、てる……とか?」

「でも、誰、が?」


 慌てふためく反応が、面白かったのだろう。

 笑いをかみ殺すような声が続く。


「わ、笑ってるっ!?」


 白亜の表情がこわばり、ペルムが白亜にしがみつく。

 三人の中で一番不測の事態に強そうなシルルでさえも、おかしな笑いを浮かべて固まっているほどだ。

 考えたくはない。

 しかし他に考えようがないのだ。

 人の住んでいない街で、人の声がするとしたら、まず何が考えられるだろうか?


『あれれぇ~……そんなに怖がると、さすがに傷つくなぁ……』


 何と言うか、飄々ひょうひょうとした調子で声が言う。


『ああ、もしかして――』


 ポンと叩く音が聞こえたや否や、あたりにぼんやりとしたもやが集まっていく。

 それは次第に濃くなっていき――


「「「いやああああああーーーーーーー!!!」」」


 はちきれんばかりの悲鳴が響きわたった。


『――っ!!!』


 ついでひざを突く音が鳴る。


『~~~!』


 声がこだましていき、段々と小さくなっていく。

 そして静寂がしばしの間その場を支配した。


「…………」


 おそるおそる目を開けていく白亜たち。


『やあ』

「「「――っ!?」」」


 そこにはおかしなやつがいた。

 いろいろとおかしかった。


『あれれぇ~、そこまで驚かれるなんて、そんなに僕はおかしいかなぁ……』


 当の本人は、その自覚が全くなかったけれど。

 見た目は二十代前半といった風だったが、髪の毛や眉毛などは真っ白だった。

 だけど目は黒く、少しばかり日焼けして、象牙色の肌をしている。


『まあ、ざっと百年ぶりくらいだねぇ。ここにお客さんが来るというのは』


 楽しげな声で鼻を鳴らすけれど――


「「「……」」」


 表情をこわばらせながら、固まる三人。

 視線が一斉に同じ方向を向く。


『ん? 私そんなに珍しいかなぁ? ああ、それとも惚れた、とか? それならそうと――』


 が、違うらしいことに気づく。

 見れば三人ともわなわなと震えていたからだ。


『ん、どうした? もしかして怖がらせてしまった、とか?』


 それは本当のことだった。

 けれど、どうも違うらしい、とそいつは首をひねる。


『なあ、黙ってちゃ分からないよ?』


 ずいっと足を踏み込んでくる。


「「「っ!?」」」


 三人の顔が青ざめた。


『おいおい、そんな反応をするなんて失礼じゃないかい?』


 そしてまた、もう一歩踏み込んだ。


『ひどいじゃないか。いったい私が何をしたって言うんだい? さすがに初対面の相手にその反応は――』


 と言いかけたとの時だった。

 白亜の口元が動くのを、そいつは見逃さなかった。


『ん、どうした? 言いたいことがあるなら、はっきりと――』

「ふ……」

『ふ? 私は太ってなんか――』

「服を、着ろおおおおおおおーーーーーーーっ!!!」


 怒声があたりをこだました。

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