第25話天空都市奇談Ⅳ
「人間?」
「そうです。人間とは?」
「そんな分かりきったこと……人間から生まれたら人間、でしょ?」
シルルは得意満面に答える。
が――
「では、エリクシールを張った浴槽で、人間の一部を培養して造ったら?」
「えっ?」
言葉につまった。
灰青の目が挙動不審に揺れ動く。
「待って、訂正! 人間の一部から生まれたら人間ってことで……」
「いいんですか、そんな安直に答えを出して……」
黒い目が問いかける。
「いいんじゃ――」
「では、その大元である人間は、どう定義したらいいでしょう?」
「え、はっ!?」
再び言葉をつまらせるシルル。
「その人間の元をたどっていけば、どこへ行き着くでしょうね?」
「それは――」
人間は人間から生まれた。
これが正しいのなら、最終的に人類ははじめから人類だったとなる。
「この世界の最初の生物は、人間ではありません。彼らは人間でしょうか?」
塩基が積み重なり、リン酸が膜を作り、細胞が生まれ、それが複雑に姿を変えていって、最終的に人の姿を取るようになった。
では、その変化のどこからが人間と呼べるのか?
「そう、人の形をとったあたりから、人間と呼んでも――」
「私も一応は人の形をしているんですけどね」
オルドビスが自嘲気味に言った。
少し悲しげな目をして。
「なら、もしも、もしもですよ? 人間から生まれ、かつ人の形をなしていなかったとしたら?」
「っ!?」
「つまり人間に見えなかったとしたら?」
「…………」
シルルが押し黙る。
「人間を材料に、たとえばネズミみたいな風貌を持っていたら?」
「…………」
人間と思えるか?
思えるわけがない。
少なくとも、心が人間だと認めないだろう。
シルルもまたそうだった。
「そ、それだったら――」
思いがけず言葉が飛び出した。
「自分が、自分たちが、仲間だと思う
「では、仲間だとみなせなくなったら?」
シルルが押し黙る。
その理屈では、仲間でない者は全て人間ではなくなるからだ。
『我々』の単語を人間と言う意味で使うということだ。
自称人間、それは博愛のように見えて、実際かなり排他的なのだろう。
自分たちは人間だが、でも自分たち以外を人間ではないにつながる。
言葉が出てこなかった。
何と言えばいいのだろう。
「で、でも!」
どんなことでも、必ず正解はあるはずだ、そうシルルが思考をまとめていく。
「自分を人間だと思えば人間、じゃダメなのかな?」
名案、のつもりだった。
誰かに人間であるか否かをゆだねるから問題なのだと。
重要なのは自分の意思だ、と。
しかしオルドビスは首を横に振った。
「ふたつ反論ができますね」
「ふたつ?」
「はい、ひとつは動物が自分を人間だと思った場合、人間として認められるか、と言う問題です」
シルルの顔が難しくなる。
「もうひとつは?」
「はい、明らかに人間だろう人が、自分を人間と思わなかった場合ですね」
「む、う……」
頭がショートしそうだった。
でもシルルは続けた。
「それだったら人間は、他の生物とは違うでしょ? なら――」
言うべきか、言わざるべきか?
シルルはそれを口にする。
「その人の行いで、人間かどうかが決まるんじゃ――」
今度こそ、と期待をこめた回答に、だがオルドビスが難色を示した。
「ある意味で、危険思想と呼べる発想ですね」
「――!?」
「ある行為に人間性をたくすと、それをしない相手を人間でないと、言うことになってしまいます」
ようするに。
「選民思想につながるでしょうね」
その返答に、シルルがひざを着いた。
「じゃあ、オルドビスは、人間とは何だって言うの?」
訳が分からない。
不満げに口を尖らすシルル。
「そうですね……」
まぶたを閉じ、笑顔を作る。
それから答えた。
「強いて言うなら、答えを出さない、それが正解のように思いますね」
「は――」
狐につままれたようにポカンとするシルルが、オルドビスを凝視する。
まるで騙されたとでも言わんばかりに。
なぜここに来て答えをはぐらかすのか?
頬を膨らせてシルルがムッとした顔で言う。
「む~……答えになってないよぉ!」
「いいえ、答えを出さない、という答えもまた、立派な答えなんですよ」
「う~……」
納得がいかない面持ちでうめくシルル。
だが、オルドビスが本題に戻した。
「話がそれました。人間、なんですよ」
いつの間にか伸ばした指示棒を手に、述べていく。
「パンゲアは、人間がいないんです!」
「は――」
今度は口をO字にしていぶかしむシルル。
「人間が、いないって、わたし人間だよ?」
少し不安げだった。
「それに、オルドビスだって、本当は人間なんでしょ? わたしをからかってるんだよね、ね?」
修道服みたいな上着をちんまりした手がぎゅっとつかむ。
必死に、訴えるような目で、灰青の瞳が問いかける。
だが、黒髪を揺らし平坦な声でオルドビスは言った。
「いいえ、シルルは確かに人間ですが、私は違うのです」
「そんなこと――」
「いわゆる
感情のない、冷たい声をしていた。
「文明とは自然を排除するものです。そして生命とは最後まで思い通りにならない自然……」
自然とは、森や海や動植物、だけではない。
人工物以外の全てといっていい。
ようするに、地震も雷も津波も噴火も、自然なのだ。
自然保護にはその観点が抜けている。
そして生であり死そこ、人類が最後まで挑戦していき、ついに敗北した自然。
すなわち、文明の結論とは
ともあれ。
「パンゲアもまた、生と死を超克すべく立ち向かった。その結果が、オーラシステムなのですよ。つまり偶然の産物だったのです」
「……」
「オーラと文字による物質の操作は、人工的に生命を創り出すことに成功した」
「……」
「いえ、人工的に生命を造り出す必要があったんです!」
生とは自然だ。
文明では自然は抑圧される。
ゆえに生もまた抑圧されるからだ。
「兆候はありました。ですが、人が減っていく、これを止める術はなかったのです」
「でも、人工生命だとしても――」
「所詮はまがいものです。エリクシールなしでは生きられない。それに――」
シルルがのどを鳴らす。
「もうパンゲアに人間は、シルルを含めて数えるほどしか残されていないのです」
凍りつく現実を突きつけられた。
人類は絶滅寸前であると。
「ですから――」
悲しげに黒い目を伏せつつ、その口が言い放った。
「シルルには生きて、未来にパンゲアを伝えるという使命があるのです」
「え、はい?」
様子が少し変だった。
「パンゲアの血を、そして文明を、未来へと伝える崇高な使命が……」
「何を言って……?」
冗談を言っている?
期待するようにシルルはオルドビスの表情をうかがった。
(まさか、本気――)
そのまさかだった。
「怖がらないでください。いつ目が覚めるか分からないだけなんですから」
「え、いやいや……」
後ずさる。
しかし後ろはすでに壁、行き止まりだ。
朗らかな笑みを浮かべ、オルドビスは足音とともに迫ってくる。
「もうすでにエリクシールも用意しています――」
「はっ!?」
気づけば汗だくだった。
息も荒く、手足も少し震えている。
心臓の鼓動もいつもより速い。
「わた、し……」
「大丈夫?」
と声が聞こえた。
振り向けば黒目に黒髪――
「っ!?」
「ほんっとに、大丈夫? ひどくうなされてたけど……」
が、そこにいたは白亜だった。
「はく、あ?」
「そうだよ?」
不思議そうにシルルを覗き込む白亜が、怪訝な顔をする。
「よ、よか……た」
安堵の息がもれた。
「怖い夢でも見てたんだね」
と白亜。
「う、うん」
「でもそれは夢だよ」
夢だったのか?
冬眠する前の思い出だったように見えたが、とシルルが考え込もうして――
「それはそうと!」
白亜の声が耳をつんざく。
「これからはお風呂でお酒は厳禁だからね!」と。
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