第18話白亜の提案

 走竜が牽く……竜車が一台。

 その中には足を鎖につながれた少女が三人。

 それを奴隷商をしている初老の男が一人で御者をしている。

 ちなみにここは砂漠のど真ん中。


(……)


 先ほどからずっと自分たちの値段について揉めているトリアスを横目に、白亜は思案していた。

 鎖でつながれている足に触れ、眠ったままのシルルとペルムを一瞥し両手を握りしめる。


(やっぱり……)


 竜車から逃げ出すことは限りなく不可能だ。

 脱出できたところで、周りは熱せられた砂の世界、一時間と生きていられないだろう。

 だが、この竜車ごとトリアスから逃げるなら?

 単純な引き算だ。

 走竜・竜車・トリアス・白亜、シルル、ペルムの三人。

 この中で白亜たちだけで逃げ出すことを考えるから、逃げられなくなる。

 が、走竜の竜車もいわば道具、白亜たちを奴隷にする意思を持っているのはトリアスだけだ。


(でも、どうやったら?)


 どうやってトリアスだけを引き算するのか?

 上手くいけば逃げられる。


(だけど……)


 二つの懸念があった。

 ひとつは失敗した場合の報復だ。

 何しろペルムの舌を切り取る行為に及んだような相手、タダでは済まないだろう。

 それにもうひとつ、他の奴隷にされた人たちのことだった。

 シルルとペルムの証言が正しかった以上、ペルムとともに捕らえられた彼らはどこかで奴隷になっているはずだ。

 トリアスがミディアムになれば、その所在が不明になるだろう。


(……)


 だから捕らわれた人たちの所在を聞き出した後、トリアスから竜車ごと逃げよう、と。

 それ自体は悪いアイディアではない。

 しかし実行はとても難しい。

 ためらいがあった。


(でも……)


 他に方法がないのも、また事実。


(やるしか……ない?)


 頼りのシルルは眠ったまま。

 ペルムさえも起きる気配がない。


「……」


 失敗は許されない。

 ギュッと手を握り、白亜がキッと目を凝らす。


(トリアスを油断させて?)


 隙を突いて背後から襲い、たとえば気絶させて竜車から放り出すとか?


(油断?)


 男を油断させるのはそう難しくはない。

 一般的には色香に迷わせればいいのだ。

 ただ、すでに枯れている・・・・・だろうトリアスにその手が通じるか?

 人生の経験だって大きな差がある。

 況してや商人、一度騙されたことを考えても、白亜が不利なのは言うまでもない。


(なら信用を重ねていって? いやいや――)


 信用とは一朝一夕にできるものではない。

 商人とは猜疑心に満ちているものだ。

 それの信用を得る頃には、白亜たちはとっくにお金に換わっていることだろう。

 名案が浮かんでこない。


(あと、ほんのちょっとなのにっ!)


 閃きを妨げる何かを破ればいい案が浮かぶはず。

 でもそれは破るより気づくまでが難しい。


(何かが――)


 と、怒声が耳を劈いた。


「だから九百万だって言ってんだろ!」

「ぴゃっ!?」


 思わず叫びだしそうになる。

 次いで板の隙間から覗き込むと、トリアスは頭に血を上らせ湯気を立ち上らせていた。


「……」


 交渉は決裂寸前なのだろうか。


「七百万やろ! 商人の癖に計算もできんのか?」


 水晶球からも罵声が飛ばされる。

 お互い一歩も譲る気はないらしい。


(ん――)


 黒い目が光る。

 つまりトリアスはできるだけ高く白亜たちを売りたい。

 だが、ブタ人間の客はできるだけ安く買い取りたい、ということだ。

 利害が相反する。


(そうだ!)


 次いで閃く。

 名案ではないかもしれない。

 それでも、できるだけ間を置かず事は収めた方がいいいいのだ。

 多少やり方がまずくとも。

 すかさず隙間から、白亜はトリアスへと呼びかけた。


「トリアス――」


 水晶球の向こうにいるだろう客には聞こえないように小声で。


「ん――」


 とカッカしていたトリアスが声を荒げて振り向いた。


「……起きていたのか?」


 苛立ちを抑えられないとばかりに問いかけてくる。


「ちょっと、話があるんだけど……」


 なるべく刺激しないように、できるだけへつらうように、白亜は語りかけていく。


「よし、聞いてやる!」


 食いつきは順調だ。


「トリアスは……私たちを九百万、で売りたいわけだよね?」


 一瞬怪訝な顔をするトリアス。


「それで、向こうのお客さんは、私たちを七百万で買いたい、と……」

「そうだ、それが何だ?」


 次いで苛立つ口調で問い返した。


「で、トリアスは七百万じゃ損をする。でもお客さんも九百万は出せない」

「だから問題なんじゃろうが!」

「きゃっ!?」


 ドンと板の叩く音に白亜は身を縮ませた。

 大きな音に思わず力が抜けそうになる。

 だけど、ここで逃げれば、奴隷にされるのは白亜だけではすまないのだ。


(ゆ、勇気を――ほんのちょっとだけでいいからっ!)


 こわいのは間違いない。

 誰だってそうだ。

 だけど――


(シルル、ペルム……)


 二人を一瞥し、そして想う。


(今だけでいい……私に勇気を分けて!!)


 一人だと思うからこわいのだ。

 が、白亜は今一人ではない。

 気を失っているとはいえ二人もいる、その事実だけでほんの少しだけだが恐怖が和らぐ。


「――っ!!」


 ギュッと口を真一文字に結び、白亜は意を決してそれを口にした。


「私に、交渉させてはもらえない?」

「……何じゃって?」


 戸惑ったような答えが返ってきた。


「自分の立場を分かっているのか?」


 真意を測れず、トリアスが問い返す。

 もちろん、分かっているつもりだ、と白亜は手を握りしめた。

 が、あくまで本音を悟られないように、述べていく。


「私ね。思うんだけど、九百万は安すぎない?」

「何っ!?」


 声が裏返る。


「もっと儲けられる方法があるんだけど――」

「ほう?」


 白亜の言葉に、先ほどまでの苛立ちもどこへやら、トリアスが興味を示した。


「トリアスが商談をしていたお客さんは、お得意さん、だよね?」

「そうだ」


 肯定。


「だとしても、本当なら九百万を手にするところを、七百万に値切られてるんだよね」

「じゃろっ!」


 苛立ちの原因を理解されたからか、喜びを隠し切れなかったのを、白亜は見逃さなかった。


「あいつはワシを舐めているんじゃ!」


 悔しげに板を叩くトリアス。

 がそんなことは白亜にとってどうでもいいことだ。


「でも、このまま交渉を続けても、きっと平行線だと思う。だからそんなに怒ってるんだよね?」

「うっ……」


 図星だったのか、トリアスが言葉を詰まらせた。


「なら、どうしたらいいかって私に考えを言うんだけど――」


 できるだけ興味を持たせるため、もったいぶりながら白亜がその考えを口にする。


「一対一で交渉するからいけないんじゃないのかな?」

「ん? どういう意味じゃ?」


 食いついた。


「その話をワシは聞きたい!」


 そして釣れた。

 一人の奴隷商人が。


「その前に――」


 と制止する。


「何じゃ、そこまで言っておいて――」

「まだ、お客さんと話したままじゃないの?」


 聞かれてもいいのか、と釘を刺す。


「ん、あっ!?」


 頭上の水晶球は客を映したままだということに、いまさらながらに気づいたらしい。


「できれば秘密裏に話したいのだけど」


 白亜は畳みかけた。


「……分かった」

「え、ちょ――っ!?」


 しばし考えてから、トリアスは客との交渉を強引に打ち切り、続いて白亜へと話を切り替えた。


「それで……」


 もうそこにはトリアスしかいない。


(あと、もう一押し!)


 ごくりと喉が鳴る。


「私の故郷にね、オークションって言うのがあったんだ」

「オークション? 何じゃ、それは?」


「競りとか競売……簡単に言うと、複数の客を集めて、何らかの品に最もいい条件を出した人がそれを落札するって方法だよ!」

「……?」

「つまりたくさんお客さんの中で、一番高い金額を出した人が買い手になるってことだよ」


 と白亜は言った。

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