第17話商談
しわがれた声の主は、言うまでもなくトリアス。
が、怯えた老人の口調ではない。
実に自慢げに、言葉を発していく。
「人間の少女が、それも三人!」
「人間だとっ!?」
「それも三人っ!?」
驚く声が二つ。
ただ、鉄格子を覆う板でトリアスの姿が見えないことに、白亜の不安が募っていく。
「そのうちの一人は黒目黒髪! まず滅多なことじゃ手に入れることのできない上玉ですよ!」
「黒目っ!?」
「黒髪だとっ!?」
ひどく聞き障りな声ではあったが、一応会話にはなっている。
どうやら複数人と商談を交わしているらしい。
「しかも料理という特技まで持っている!」
「なんとっ!!」
「じゅるり……」
涎のたれる音が響いた。
「腕前はかなりのもの、保証しますよ!」
「お、おいら、ガマンできない!」
「……」
褒められているのだろうか。
だが、
「この機を逃したら、もう二度と手に入らないでしょう!」
トリアスは大げさな口調で、セールストークをしていく。
まるでテレビショッピングのように。
「ぐ……し、しかし!」
「一人三百万は流石に高すぎる!」
悲痛な声で、もう一人の客が値切り始めた。
(お、おいおい……)
会話を聞いていた白亜は顔を引きつらせた。
何というか、こう――
(人をモノみたいに……)
苛立ちを覚える白亜の表情が険しくなる。
だが、奴隷とはモノなのだ。
「ですが……」
白亜の感情をよそに、セールストークは続いていく。
「そればかりじゃありません、三人とも若いのです!」
一オクターブ高く、しわがれた声が言った。
「もちろん健康そのもの。みずみずしい肌に穢れを知らぬ乙女……分かるでしょう?」
「う……」
「うむ……」
と、なぜだろう押し黙る二人の客たち。
「そ、それでは……」
「もちろんですとも!」
次いで力強くトリアスは言った。
「孫の顔を見たいと、父君は常々こぼしておられたでしょう?」
(孫……?)
少しばかり眉を寄せ、そしてすぐに言葉の意味を悟り、白亜が凍りついた。
そのあまりのおぞましさに。
全身を毛虫でも這ったみたいに鳥肌が立つ。
背筋が凍るとは、きっとこういうのを言うのだろう。
(ま、ままままっ、孫って!?)
当然だが、そういう行為をしなければできるはずのないものだ。
血の気が引いていく。
(じ、冗談じゃないわっ!)
が、これはジョークでもドッキリでもない。
しかも孫を奴隷に生ませる?
明らかに発想がおかしい。
(と、とにかく、に、逃げなきゃ――)
だが両足は鎖が自由を奪っている。
鎖を凝視した白亜の心を焦燥が苛んでいく。
トリアスと客たちの会話は白亜の意思とは無関係に進んでいくのだ。
「そう、たった一人三百万で、生涯続く幸せが買えると考えたら、安いものでしょう?」
しわがれた声が耳にねっとりとこびりついてきた。
価値というのは結局主観なので、そう思わせた方が交渉で勝つ。
イワシの頭だって、拝むに拝めば無限大の価値さえも生むのだ。
そして利と理なら、よほどの人間でない限り、利の方を取る。
「よっしゃ! ワシが出したる!」
と、客の一人が宣言した。
「一人三百万、三人で七百万! 安いものじゃないか!」
「っ!?」
思わずわが耳を疑う白亜が眉を寄せた。
(え……と、七百万?)
九九の表を思い浮かべる。
(3×3=9……)
よって、一人三百万なら、合計で九百万が答えだ。
割引き価格ならこの限りではないけれど。
「いやいやいや――」
と、少しばかり言葉を詰まらせていたトリアスがそれに反論する。
「一人三百万ですよ? それがどうして七百万になるのです?」
納得いかない、と声を荒げていた。
(そうだよ! 3×3は――って、違う!!!)
が、白亜はすぐに正気に戻った。
問題は九九でも、自分たちの値段でもないのだ。
自分たちに値がついていることが、そもそもおかしいのだから。
(トリアスたちが言い争っているうちに、ここを抜け出さなくちゃ!)
しかし、どうやって?
それが問題だった。
足首の鎖を凝視する白亜。
いまだ気を失っているシルルとペルムにも鎖は架せられている。
(……)
だが、逃げなければ奴隷になるのは明らかだ。
自分たちに値をつけてモノ扱いする相手が、全うに扱ってくれるとは到底思えない。
(どうすれば……どうしたらいいの?)
白亜の故郷は平和だった。
人身売買などは、ニュースで大々的に報道されるほどに非日常的な、いわば異常な出来事。
でもそれはどこか自分とは関係のない話だと思っていた。
どこか遠い世界の出来事だと。
それが今自分の身に起きているのだ。
(どうしたら……)
底知れぬ不安と恐怖が頭をもたげてくる。
感情が昂ぶって、どうしても考えがまとまらない。
心臓の鼓動が激しく音を立てていた。
それに失敗した時に何をされるかという恐怖だってある。
しかし、今ここで行動を起こさなければ、それ以上のことをされるのは想像に難くない。
「お、起きて……」
混乱しながらも、白亜は深く眠るシルルを揺り動かした。
「シルル、シルル! シルルっ!」
トリアスに気づかれないようにシルルの耳元でささやいていく。
だが……
「す~、す~……」
寝息を立てながら、灰色の髪に顔をうずめるシルルは目を覚ます気配すらない。
「ペ、ペルム――」
しかしペルムも、同じように深く眠り動かない。
「そ、そんな……」
足に鎖を架せられたままで、幼いとはいえ少女を二人も連れて、いったいどうやって逃げればいいのだろう。
しかも砂漠のど真ん中。
鉄板を乗せれば、あっという間に調理のできるほど熱せられる砂漠にだ。
「…………」
干し肉になるより先にウェルダンは確実だろう。
どこへ行けば安全になるのか、それだって分からない。
が、危険は間違いなく目の前にある。
「…………」
目を瞑ること数秒、白亜のまぶたが開く。
(選択肢が、ないっ!?)
八方ふさがりだ。
まして今、トリアスは何者かと話している。
それも複数人とだ。
逃げようとして、無事で済むだろうか?
(いやだ……)
異世界に来て奴隷生活なんて笑えない。
しかも
つまり奴隷主は高確率で人間ではない何かだろう。
たとえば、あのブタ人間のような。
(どうしたら――)
と、あることに気づいた。
(これ……)
自分たちを取り囲む板に、ほんのわずかだけ隙間があったことに。
すかさず隙間を覗き込んむ白亜。
「え……?」
次いで眉を寄せ、首をかしげた。
なぜなら……
(何、あれ?)
走竜の背に乗るトリアスの姿、だが 客の姿はどこにも見当たらない。
(どういうこと?)
トリアスの横に誰かがいる気配もない。
(まさか……幻聴ってことはない、よね?)
しかし幻聴などではないことに気づく。
「だから、一人三百万で、どうやったら三人で七百万になるんですかっ!」
まだ同じことで揉めていた。
「いいですか? 三百万が! 三つ! 答えはっ!」
「だから七百万やろ?」
客の声も聞こえる。
(……?)
苛立っていたのだろう、トリアスが頭を振った時、白亜の目にそれは飛び込んできた。
(えっ、これって――)
トリアスの頭上に浮かぶ球、水晶球のようだったが、そこから声が聞こえる。
水晶球に目を凝らし、白亜は驚きを隠せない。
「これ……っ!?」
そこに映るのはトリアスではなく客の姿。
以前白亜とシルルを襲った、ブタ人間たちによく似ている。
それと会話していた。
(この世界の、テレビ電話……みたいな?)
でも少し違うような。
水晶球を介して遠距離間の対話をする技術なのか。
(ってことは……?)
ともあれトリアスは今一人、そしてここは砂漠の中。
(逃げられるかもしれない!)
白亜の心に、ほんのわずかだが希望の光が差し込んだのだった。
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