第16話「それに、奴隷になれるんじゃよ?」

「え……あ……」


 ペルムが息を震わせながら後ずさる。

 コバルトブルーの瞳が恐怖をおびていた。


「待っていたよ……」


 喉を鳴らしにっこりと笑みを浮かべるトリアス。

 その横には、唸るように息をひそめる三頭の走竜がたたずんでいる。


「どう、して……」


 灰青の目が混乱するように睨みつけた。


「帰ってくるのが遅かったからなぁ……心配したんじゃぞ」


 微笑みかけながら、トリアスが三人へと近づいていく。

 実に優しげな――だがどこか作り物にも思える――表情を浮かべていた。

 であるにも拘らず、シルルはもとよりペルムまでも、おびえた目をしている。

 予期しなかった出来事に、三人は身動きが取れなかった。

 張り詰めた空気が重くのしかかっていく。


「はくあ――」


 最初に動いたのはシルルだった。

 灰色の髪を風になびかせて、白亜とペルムの手を掴む。

 砂地を蹴り上げてから、シルルは咄嗟に元来た路へ戻ろうと駆け出し――


「っ!?」


 砂煙を上げて砂地へと突っ込んだ。


「シルルっ!?」


 何が起きたのか?

 この既視感あふれる光景に、白亜がうろたえる。

 なぜなら、シルルの足元を見れば、ロープ……いや、ボーラに絡め取られていたからだ。


(ボーラ?)


 なぜボーラが逃げ出そうとしたシルルの足を絡め取ったのか?

 そもそも、どうしてボーラがあるのか?


「嬢ちゃん、ワシの顔を見て逃げるって、それは流石に失礼じゃありゃせんかの?」


 沈んだ声で、トリアスが呟く。

 しかし何の迷いも躊躇いもない表情を浮かべて。

 自分の行動の一切を信じて疑わない、澄み切った目をしていた。

 次いで眉毛がピクリと動く。

 同時にトリアスは右手を挙げ、人差し指を立てる。

 何かの合図だったのだろう、それまで悠然とたたずんでいた走竜が、その獰猛な目をギラリと光らせ――


「きゃっ!?」


 砂地を蹴り上げる音、そして咄嗟には反応できない速さで白亜が体を拘束された。


「え、ちょっ、何っ!?」


 ジタバタともがくも、その力は強く抵抗できない。


「下手に動かない方がいい……怪我をされてはワシも困るからのう……」


 しわがれた声がささやく。


「……」


 走竜に拘束されてしまった以上、指示を与えたトリアスに生殺与奪を握られていることは想像に難くない。

 抵抗をあきらめた時には、白亜だけでなくペルムまでも、走竜に捕獲されていた。

 抗うどころか、逃げることすらできずに……。

 次いで年季の入った手がペルムへと伸びる。

 が、淡い金髪がビクッと揺れて、不安げな表情を浮かべるペルム。


「心外じゃなぁ……これじゃあ、まるでワシが極悪人みたいじゃないの……」


 少しばかり傷ついたと言わんばかりに、盛大にため息をつくトリアス。

 悲しそうにうつむくも、すぐに気を取り直しささやいた。


「じゃが、大丈夫……これからは何不自由ない生活が待っているのじゃぞ」


 モノクルが不気味に光を帯びて、その下では顔に刻まれた皺が動く。

 実に真面目そうな顔で、あるいは崇高な使命を遂行しようといった口調でだ。


「わたし、たち……ドレイ、するくせ、に!」


 非難するようにシルルが睨みつける。


「そう、じゃがそれは避けられない宿命……」


 全く悪びれず、それどころか善意そのものとでも言わんばかりにトリアスは述べていく。


「それに、奴隷になれるんじゃよ?」


 それがすばらしいことであるかのような口ぶりで。


「悪いようにはしない、だから――」


 そう言ってトリアスはモノクルをはずした。

 琥珀色の目が光る。


「えっ!?」


 見間違いではなかったことに、白亜はわが目を疑った。

 なぜって、光を反射したのではなく、本当に目が光っていたのだから。


「「――っ!?」」


 トリアスの目を直接見たシルルとペルムに異変が起こったのは、その直後だ。

 それまで恐怖や憤りを宿していた二人の目がうつろになっていく。

 まるで意思を失くしたかのようにぼんやりと下を向き、だらりと手足が緩んでいった。

 異常な光景と言うほかない。


「……二人に何したの?」


 先ほどまでとは違う雰囲気をまとうトリアスに、不安を募らせる白亜が問いただそうとする。

 その問いに怪訝な顔を見せるトリアスは、質問の意図が分からないのか、訝しげに顔をゆがめた。


「……?」


 だが、すぐに笑みを浮かべ口を開く。


「奴隷になる、それはこの世界の人間に与えられた最高の幸せなんじゃよ……」


 何を言っているのか、白亜には理解できなかった。

 当たり前だ。

 理解できるはずがない。

 ふざけているのか?

 しかしトリアスはとても真面目な表情で、使命感を背負った口調で迫ってくる。


「そう……これは、パンゲアの贖罪しょくざいなんじゃよ――」

「っ!?」


 ふと、気づいたその瞬間、白亜は琥珀色に光る目を見てしまったことに気づく。


「――」


 目を逸らそうとしたが、遅かった。

 朦朧として、意識が混濁していき、白亜の目は次第にうつろになっていった。






「う……」


 リズミカルに揺れる体。


「っ!?」


 だが、大きく揺れ体を床に叩きつけられて痛みとともに目を覚ます。


「痛~……」


 今自分の身に何が起こっているのかをすぐには理解できなかったのだろう。

 戸惑う声とともに目に飛び込んできたのは鉄格子だった。

 それに冷たく固い床と、三方を取り囲む板。


「え……?」


 不安が身を焦がし、混乱が心をかき乱す。


(鉄格子? 何で――)


 が、次第に状況を理解していき、息を詰まらせた。

 きしむ音を立てるのは馬車ならぬ竜車といったところか?

 鉄格子の隙間から見えるのは依然、青い砂ばかりではあったが、確実に移動していたからだ。

 どこかへと運ばれていることはすぐに分かった。

 白亜だけではなく、シルルやペルムも同じように床に寝かされている。


「っ!?」


 二人を目にして、白亜に不安がよぎる。

 だが、二人に駆け寄ろうとしたその瞬間、金属音とともに違和感を覚えた。


「えっ? 何、これ?」


 両足には鎖が架せられていたのだ。


「これ……私、どうして――」


 が、すぐに経緯を思い出す。


「そうだ、私たち、トリアスに……」


 ようやく逃れたはずが、地下街の出口で待ち構えていたトリアスに捕まったことを。

 作り物の笑顔がフラッシュバックする。

 信じられなかったが、今自分の身に起きていることが夢ではないことは明らかだった。


(じゃあ、やっぱり……)


 シルルとペルムが言っていたことは本当のことだったことを、今更ながら思い知る白亜。


「いや、今はそれより――」


 ペルムが舌を切り取られていたことを思い出し、足元で寝息を立てているシルルとペルムへと手を触れた。


「…………」


 心臓の鼓動も、脈拍も息もある。

 血の臭いは感じられず、傷らしきものもぱっと見ただけだがない。


(よかった、怪我はなさそう……無い、よね?)


 気を失っているだけだったことに、白亜は安堵の息を漏らした。

 次いで、心配事がひとつ片付いたからなのか、別のもやもやが頭をもたげていく。

 目にするのは、足に架せられた鎖。


(どうして……)


 トリアスが奴隷狩りをする、その理由が理解できなかった。

 シルルやペルムの話では、この世界では人間が減少し、希少価値があるから奴隷にするという。

 だが、白亜はこの世界の人間ではない。

 それ以前に、トリアスはどうして奴隷狩りなどするのだろう、と。

 同族狩りをする、その意味が理解できずうめく。


(同じ人間同士なのに……人間? 何だろう、この引っかかり……)


 何かがおかしい。

 白亜は眉を寄せ、額に手を当て難しそうな顔をした。


(人間……)


 そして閃く。

 この世界で人間には希少価値がある。

 だから奴隷にすると高値になる。

 よって、自分たちが奴隷として狙われている。

 そこまでは受け入れられないが、理解はできた。


(だけど……トリアスは人間、だよね?)


 やっていることは人でなしだとしても、身体的特徴は間違いなく人間のそれだ。


(どうして――)


 同じ人間を奴隷にすることができるのか?

 理解できずにいたその時だった。


「やっと、三人出荷の準備が整いましたよ!」


 いわがれた声が白亜の耳に飛び込んできた。

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