第14話「この街、出る!」

「ねえ、本当に赤い水があるの?」


 探索を始めてからどのくらい経ったのか。

 狭い部屋……のはずだ。

 室内の物品の山にしたって、シルルの家ほどに数も量も多い訳ではない。

 それに何度も確かめた。

 にも拘らず、シルルの言う赤い水などはどこにも見当たらなかった。


「……」


 当のシルルはといえば、ジッと物品の山とにらめっこしたまま口を噤んでいるばかり。

 もう何時間も部屋の中を探索したが見つからない。


(シルルの部屋を探した方が早いかもしれない……)


 何しろ、実際にエリクシールに沈み眠っていた実例がそこにいるのだから。

 軽く吐息してから、白亜が提案する。


「ねえ、いったん家に帰ってから、もう一度ここに――」

「だ、め!」


 白亜の言葉を遮って、シルルが言った。

 そして否定形。


「トリアス、みつか、る!」


 かなり強い口調。それに表情が強張っている。


「え? でも、今家を探しているって――」

「ペルム、治して、から!」


 見れば少し汗ばんでいた。


「だけど、赤い水なんてどこにもないよ?」

「それ、でも!」


 どこか焦った口調だった。


(分らないなぁ……)


 何もかもが。

 白亜の印象からすれば、トリアスは好々爺にしか思えなかった。

 しかしシルルから渡された『ペルムの記憶』にれば、ブタ人間たちを率いる奴隷商なのだ。

 実際、ペルムの舌が切り取られていたのは事実。

 これが全てシルルの演技だとするには、さすがに無理がある。

 何より、ペルムは一度も口を利いていない。


「でも……この部屋には赤い水なんてどこにもなかったよ?」


 これだけ入念に探して尚見つからないとすれば、やはりこの部屋にはないのだろう。

 そんな目をしていたからなのか、シルルが口を尖らせた。


「あるとした、ら……ここ、しか、ない!」

「どうして?」


 シルルの断定を白亜が問い詰める。


「……ここ」


 両手をギュッと握り締め、灰青の目が訴えるような視線を投げかける。


「あかいみず、ある!」


 たどたどしい口調。

 しかし澄んだ声だ。


「でもね、これだけ探しても見つからないんだよ?」

「ある! ぜったい……」


 頑として譲らず、駄々っ子のように聴かないシルルが床にしがみつく。

 と――


「えっ?」

「なに?」


 二人の肩に手が添えられた。

 ペルムだった。


「……」


 こう、割って入りずらそうな表情を浮かべつつも、床へと華奢な手が伸びる。


「床が、どうかしたの?」


 意外な行動、と言っていいだろう。

 ペルムが床を、ひっぺ剥がそうとし始めた。

 これまで一度も能動的に動こうとしなかったペルムが、だ。

 だが、かなり非力であるのだろう、床はピクリとも動かなかったけれど。


「~~~っ!」


 目をギュッとつむり、必死になって床板を剥がそうと試みる。

 と、ペルムの行動をジッと凝視していたシルルが言った。


「それ、あけかた、ちが、う」


 何かに気づいたのか、実に楽しそうに息を弾ませて。


「これ……」


 そして床板を踏みつけた。

 ガシガシときしむ音が鳴り響く。


「ちょっ!? シルル――」


 突然の行動にギョッとして、白亜が止めようとした、その直後だった。


「え――」


 足の下で床板が沈んだことに、黒い目が見開く。

 何が起きたのか?

 と次の瞬間、たどたどしく、ぎこちない笑い声が部屋に響き渡った。


「や……たぁっ!」


 シルルの横でペルムもまたほんのりと表情を緩ませている。


「何が、やった、の?」

「これ」


 とシルルが指を差す。

 一度沈んだ床が、今度ははじき返されるように持ち上がって、円柱状の棚が姿を現した。

 どうやら床の下に倉庫が隠れていたらしい。

 そして棚には、怪しげな物品がこれでもかと並べられていた。


「やっと、みつけ、た!」


 奇怪な品のひとつを手にとって、シルルが楽しげな声を上げる。

 ちんまりとした手が掴むのは土器のような小瓶。


「あかいみず、見つけ、た!」


 いつもの、得意満面の笑みを浮かべたシルルがそこにいた。

 赤い水と青い砂を混ぜれば、彼女の言う霊薬エリクシールが調合される。

 なら、材料のそろった今、霊薬によってペルムの切り取られた舌が元通りになるはずだ。

 と、思い出す白亜。


「ところで、青い砂は?」


 確かにこのあたり一帯には青い砂が広がっている。

 しかし今ここにはないことに気づいたからだ。


「だいじょう、ぶ!」


 だが、シルルのもう片方の手には、どこに隠し持っていたのだろう、青い砂が握られていた。

 いつの間に――と驚く白亜。

 がこれでエリクシールを調合することができる、と軽い吐息が漏れる。


「これ、を……」


 シルルは土器みたいな小瓶の中に、青い砂を注いでいく。

 小さな手から少しずつ、サラサラと音を奏でながら、青い砂が水の中へと吸い込まれ――


「「っ!?」」


 ポンっ、と軽い破裂音が部屋の中を反射し、小瓶から銀色の煙があがる。

 不安げな表情を浮かべる白亜とペルムが、実験に失敗した化学者を見る目でシルルへと注ぐ。


「ペルム……」


 とおもむろにシルルがペルムへと小瓶を差し出した。

 もちろん、飲めということだろう。


「……」


 コバルトブルーの瞳が何とも言えない目で小瓶を凝視する。

 確かに、怪しいと言われればそれを否定できない。

 だが、もしこれで自分の舌が直るのであれば?

 小瓶を握る手に力が入る。

 わずかに震えてはいたが、しかし目をギュッとつむり、意を決してペルムが小瓶へと口をつけた。

 そして喉を鳴らす音を立てる。


「――っ!?」


 その直後、変化は起きた。

 ペルムの手から床へと転がる小瓶。

 彼女は震えていた。

 いや、痙攣けいれんと言うべきか?

 それに目がうつろで、とても苦しそうだ。

 息も途切れ途切れになっている。


「シルル? もしかして――」


 その様子に白亜が青ざめた。

 古今東西で、不老不死の妙薬とされるものは、水銀や砒素ひそ硫黄いおうなど、要するに劇薬だ。

 少なくとも、体にいいものではない。

 不老不死を目指し、これらの薬を服用して却って寿命を縮めた人間など、枚挙まいきょいとまがないほど存在する。


「~~~っ!!?」


 喉を押さえ、床の上でのた打ち回るペルムのそれは、尋常とは言いがたかった。


「シルルっ、だ、大丈夫なの?」


 動揺する白亜が悲鳴を上げた。


「だいじょう、ぶ……だから……」


 絶対に自信を見せるシルルが慌てふためく白亜を制止する。

 そして――


「んっ、あっ!?」


 声が室内に響いた。

 誰の?

 もちろん、白亜ではなく、それにシルルのものでもない。

 言うまでもなく、ペルムの声。


「え……?」


 ペルムの驚いた声が部屋の中を木霊した。

 黒い瞳が大きく見開かれている。


「わ……」


 シルル以上にたどたどしい口調。

 だが、今まで口を利けなかったペルムが、はじめて言葉を発したのだ。


「わた……し……」


 コバルトブルーの瞳が潤む。


「しゃべ……れ……る?」


 驚いた表情を浮かべ、まるで奇跡とでも言わんばかりのペルムの声は震えていた。

 そして、細い両手が、華奢な体が、シルルへと抱きつく。


「っ!?」


 ギュウッと、力いっぱい抱きしめられたのだろう。

 シルルは息を詰まらせ、細い腕の中でもがくのだった。





「あ~ん……」


 シルルに促され、大きく開かれたペルムの口の中を覗きこんで、白亜は息を呑む。


「……っ!?」


 口の中で動く赤いもの……先ほどまでなかったはずの舌が生えていたからだ。

 つまり、エリクシールは本物だったということになる。


「どう……?」


 自慢げなシルルだが、実際すごいことなのは間違いない。

 ともあれ。


「あり……が……と」


 目を赤く腫らせたペルムが礼を述べた。

 シルル以上にたどたどしい。

 きっとまだ、新しい舌の感覚に慣れていないのだろう。

 何にせよ、ペルムの舌は治った。


「これで家に――」

「はく、あ」


 とシルルが白亜の呟きをさえぎる。


「いえ、かえら、ない!」


 唐突にシルルの口から家出宣言がなされたのだ。


「えっ!?」


 とうろたえる白亜へ、シルルは言った。


「トリアス、みつかる、まず、い!」


 灰青の瞳がキッと射抜く。

 警戒心に満ちた目をしていた。


「ペルムは――」


 と振り返れば、ペルムもまたシルルの意見にうなずいている。


「でも……」


 どこへ行くというのか?

 このあたり一帯は砂だらけの世界だ。

 砂漠へ、何の準備もなく、サバイバルの知識すらない状態で、出て行くのはいくらなんでも無謀すぎる。

 戸惑う白亜へ、しかしシルルはいつものように、ない胸を張って宣言する。


「この街、出る!」と。

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