第13話「ペルム、たすけ、たい?」

 治すとは、病気や怪我などの状態から、健康な状態に戻すことだ。


「あの、ペルム?」


 何を言っているのだろう、怪訝な顔をする白亜が問う。

 見たところ、ペルムが病気や怪我をしているようには見えなかったからだ。

 いや、ずっと押し黙ったままだし、奴隷にされていたのだから心の傷はもちろんあるだろう。

 が、それこそ簡単に「治せる」ものではない。


「……」


 近づこうとするシルルに、ペルムが怯えた表情を浮かべ、身をこわばらせる。

 昨夜見た、奴隷商たちに追われていた時と同じ顔をしていた。


「シルル――」


 白亜が止めに入ろうとするより早く、シルルの手がペルムへと伸び、口をこじ開けようとする。


「ちょっ、何やってるのっ!?」


 シルルの行動に驚きの声を上げた白亜だったが、こじ開けられたペルムの口を目の当たりにし、言葉を失った。


「っ……!?」


 動揺のあまり黒い瞳は震えていた。

 今見たものを幻覚だと思いたい――そんな衝動に駆られたほどに。

 なぜなら……


「う……そ、だよね……?」


 これはシルルが自分に見せている幻なのではないか、と。

 にしては、いくらなんでも出来すぎているけれど、そのくらい混乱していたのだ。


「はくあ、ぜんぶ、ホント、だよ」


 灰青の目が訴えかけてくる。

 何を?

 大きく開かされたペルムの口の中に……舌がなかったことだ!

 舌は根元からざっくりと切り取られていた。

 まだ少し、生々しい傷跡を残して。


「どう、して……」


 舌がなければ、人は喋ることができない。

 何かを味わうこともできない。

 ペルムが出逢ってからずっと「押し黙ったまま」なのも、「小食」なのも、舌がないのだから当然であろう。

 なぜそこに想像が及ばなかったのだろう。

 しかし、ふつうは想像がつくはずもない。

 そして誰がこんなひどいことをしたのか?

 胸がズキンと痛み、白亜の目が潤む。

 混乱と恐怖と悲しみが混じり合って、一滴の雫がこぼれた。


「こんな……こんなことって……」


 理解不能――いや、心がそれを受け入れたくなかった、という方が正確か?

 白亜は目をギュッと瞑って耳をふさぐ。


(ウソだ、こんなの――)


 否定してほしかった。

 実は夢だった、たった一言そう誰かに告げて欲しかったのだ。

 四月一日ではないが、エイプリルフールを期待した。

 安心がほしかったのだ。

 自分の心の動揺から逃れたい一心で。

 だが――


「はくあ……」


 シルルの澄んだ声が白亜の心に波紋を広げた。


「ぜんぶ、じじつ、なんだ、よ」


 人は見たいものだけ見ようとする。

 信じたいものだけを信じようとする。

 しかしそれらは事実ではない。

 目を瞑り、耳をふさぎ、身を縮ませる白亜もまた、目の前の残酷な事実を受け入れたくなかったのだから。


「はくあ」


 だが、事実は事実。

 印象も見解も、あらゆる「正義」や涙でさえも、事実をゆがめることはできない。


「ペルム、たすけ、たい?」


 シルルが問いかけてくる。

 これは踏み絵なのだろうか?

 彼女はたどたどしい口調ではあるが、実はとんでもない策略家なのか?

 あるいは安心したいがために、事実を捻じ曲げようとしているのは自分なのか?

 白亜の中でこれらの問いが浮かんでは消えていく。

 助けたいか否か、この二択なら、誰だって助けたいと思うはずだ。

 だから白亜は当たり前の答えを口にする。


「助け……たい」


 だけど、どうやって?

 それが問題だった。

 根元から切り取られた舌が新たに生えてくるとでも?

 白亜の世界でさえ、再生医療はまだ確立していなかったはずだ。

 生物は下等とされるものほど再生能力が強いらしい。

 だが、ペルムは人間、プラナリアやアメーバなどではない。

 助けたい、と助けられるとでは意味が違う。

 いくら助けたいと願っても、それを実現する力がなければ画餅にすぎない。


「でもシルル、どうやって……」


 誰かを期待させて、絶望へ叩き落すのは、なまじ希望を持たせるだけに悪質だ。

 そこを問い質そうとして――


「はくあ、知って、る!」


 シルルがたたみかける。

 力強い口調で。

 澄んだ目で、シルルは言った。


「私が?」

「そう!」


 息を凝らし、白亜が記憶の引き出しを一つ一つ開けていく。


(私が知ってて、すでに切り取られた舌が治る――)


 そんな方法がこの世にあるのか?

 常識的に考えて、それは不可能だ。

 ここが地球であるならば!


「っ!?」


 と、白亜の表情に一瞬だけ笑顔が戻る。

 しかし、ここは異世界なのだ。

 「すべておもいのまま」にできる文明があっただろう世界ではないか!


「エリクシール!」


 白亜の言葉にコクンとうなずいてみせるシルル。

 それは不老不死の霊薬。

 そしてシルルが浴槽の中で浸かっていた銀色の液体。

 彼女の話では『時間を少しだけ巻き戻すことができる』というものだ。


「まさか――」

「ペルム、のませ、る!」


 そのまさかだった。

 確かに、エリクシールなら不可能ではないかもしれない。

「でも、ここにエリクシールはないんだよ?」

 黒い目が問いかける。

 シルルの家にあったのは、白亜がこぼしてしまった。

 それに手元にもない。


「だから……」


 強い意志を宿した灰青の目が光る。


「そのため、ここ、来た!」


 その言葉に白亜が息を呑んだ。


「このへや、いっぱい、ある」

「……?」


 エリクシールがいっぱいあるのか?

 だが、あるのは殺風景な六面を覆う壁。

 地下街には水道設備が整っている、しかし今求められるべきは水ではない。

 それとも地下街の水路を流れている水は全てエリクシールだとでもいうのか?

 白亜が眉を寄せる。


「だから、つく、る!」


 灰青の瞳がうっすらと笑みを浮かべ、シルルは口元を緩ませる。


「作るって……」


 調合法を知っているのだろうか?

 でも当てずっぽうには作れるものではないはずだ。

 白亜が訝しみ、ゆるふわな金髪が揺らし、ペルムが首をかしげる。


「りくつ、かんた、ん」


 灰青の瞳を輝かせ、シルルが弾む声でそれを述べた。


「エリクシール、ちがう、ふたつ、まぜる、できる」

「……」


 説明と言うには、あまりにぶつ切りにされた単語を並べただけの言葉に、白亜の理解が追いつかない。


「ごめん、その……分らない」


 シルルは知っているが、白亜は知らないのだ。


「せかい、ちがう、ふたつ、できて、る。ふたつ、をまぜる。あたらし、い、できる!」

「……」


 更に分らなくなって、頭を掻き毟る白亜。


「つまり――世界は二つの、対立しあるいは相互に補完する要素で構成されてて、この二つを混ぜ合わせれば、エリクシールができる……ってこと?」

「だいたい、そう」


 その理解で正しいのか、と不安げな表情を浮かべる白亜へ、シルルが自信たっぷりに肯定する。


「じゃあ、その二つのものって?」

「ひとつ、あおいすな」


 このあたりにはありふれた材料だ。


「もうひとつ、あかいみず」


 だが今度は少し自信なさそうに。


「赤い水?」


 と頭上にクエスチョンマークを浮かべる白亜。

 ペルムもまた首をかしげている。


「あおいすな、とあかいみず、まぜる、エリクシール、できる!」


 青と赤、砂と水……。


「うん、言いたいことは何となく分るんだけど……」


 白亜が問う。


「赤い水、なんてあるの?」


 鉄が錆びたのが混じったアレか?


「う……ん……」


 と歯切れの悪い返事をするシルル。


「シルル?」


 畳み掛けるようにして問い質す白亜に、幼げな口が搾り出すように答えた。


「このへや、どこか、ある……だけど、わたし、どこある、しらな、い」

「探す……の?」


 白亜の問いにコクンと頷くシルル。

 たった三人で、このどこまであるのかも分らない部屋の中を探索する。

 気の遠くなる話だった。


(だけど……)


 エリクシールの実在を白亜は否定できなかった。

 事実、シルルが眠っていたのは、あの怪しげな銀色に光る水。


(あれを、作る?)


 しかもシルルは製法を知っているらしい。

 つまり材料さえ揃えれば調合可能と言うことだ。

 いや、その材料の所在を探り当てるまでが一苦労なのではあるが。


(だけど――)


 ペルムの切り取られた舌を治す術は他にあるだろうか?

 接合手術をするにしても、白亜もシルルも医者ではない。

 技術も経験もないし、何より肝心の舌先がなければくっつけることは出来ない。

 ペルムの、生々しく切り取られた口の中が瞳に焼きついている。

 治したいか?

 治せるものなら治したい。

 白亜でなくとも、そう思うだろう。

 わずか数秒、白亜は目を閉じて気持ちを整理していった。

 そしてゆっくりとまぶたを挙げて、口を開く。


「分った……」


 やるだけやってみよう――黒い瞳にキッと力が入る。


「きまり、ね!」


 そして、探索が始まった。

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