第11話「あいつは、逃げてきた、んじゃ、ないっ!」

 その夜のことだ。

 白亜が腕をふるい、夕食は豪勢……とまではいかなかったが、料理がふるまわれた。

 地下の街で手に入れた食材を使い、飴色になった肉、怪しげな粉を練って焼かれたパンが食卓を飾り立てる。


「嬢ちゃん――これは美味いぞ!」


 トリアスが舌鼓を打つ。

 逃亡中はおそらくまともな食事などしていなかったのだろう。

 実に美味しそうに料理を平らげていく。


「はくあ、りょうり、うま、い!」


 そしてなぜか自慢げなシルルがまっ平らな胸を張る。


「いやぁ~、そ、そんなことも……あるよ?」


 誉められて悪い気のする人間はいないだろう。

 猫だって褒められれば悪い気はしない。

 殊に、白亜はその意味で単純だったらしい。


「……」


 ただ、無言でボソボソと口に料理を運ぶペルムを除いては。

 淡い金髪に顔が隠れてはいたが、酷く暗い表情をしていたのを、白亜は見逃さなかった。


「ねえ? 好みに合わなかった……かな?」


 とエメラルドグリーンの瞳を覗き込む白亜。


「っ!?」


 ペルムからすれば突然話しかけられたように思えたのだろう。

 びくっと体を震わせるペルム。

 だが、淡くふわっとした髪を宙に舞わせて、大げさと言うほどに首を横にふった。

 と、トリアスが割って入ってきた。


「ああ、もしかして気を悪くしたかの? ペルムは……どうも食が細くてな……」

「あっ!」


 と自分の至らなさに白亜が気まずそうにする。

 ペルムは奴隷扱いされていたのだ。

 それは碌な食料を与えられていなかったことを意味している。

 要するに胃が慣れていないのだだろう。


「ああ、ごめんね。あんまり無理しないでね」


 コクンと頷くペルム。

 どこか申し訳なさそうな、そんな顔をしていた。





「じゃあ、おやすみ!」


 歓迎もかねての夕食も終わり、白亜とシルルは家へと帰宅した。


「それにしても、ご近所さんかぁ」


 大きく両手を伸ばし、嬉しそうに表情を緩ませる白亜が呟く。

 どことなく期待を寄せていたからか、声が弾んでいた。


「なんか賑やかになるね」


 一人より二人が、二人より大勢の方が楽しいだろう。

 まして知り合いのいない世界で、話し相手ができるのは実際楽しい、そうウズウズしていた白亜だったが――


「はくあ」


 気の張った声だった。

 難しそうな表情を浮かべるシルルが目に飛び込んでくる。


「ん? どうかしたの?」


 首をかしげる白亜が問いかけた。

 二人だけの心細い世界で、自分たちと同じような境遇の相手がご近所さんになるのだ。


「その、シルルは嬉しくないの?」


 だが、灰青の双眸そうぼうがジッと白亜へと注がれた。


「ど、どうしたの、シルル?」


 白亜は困ったように笑い、ふと思う。


(もしかして私、シルルのこと邪険にしてた? それで何かこう、やきもちみたいな――)


 だとしたら、謝った方がいいのだろうか?

 と、その時だ。


「はくあ、きづいて、た?」


 シルルの幼げな口元が話を切り出したのだ。

 灰青の瞳が真剣なまなざしを送る。


「気づいてたって、何を? ……もしかして、あの二人のこと? ああっ、ひょっとしたら、パンゲアと関わりのある――」


 と言いかけて、口をふさがれた。


「声、大きい!」


 制止して耳をそばだてた後、シルルはゆっくりと続けた。


「人買い……」


 その単語を耳にして、いやな記憶が脳裏をよぎり、白亜の表情が青ざめる。


「まだあいつらがどこかにいるのっ!?」


 あいつらとは言うまでもなく、白亜たちを襲ったブタ人間たちだ。

 甲冑に斬首された後、彼らが騎乗していた走竜はどこかへと走り去っていった。

 もし走竜に伝書鳩や馬のように、帰巣本能が具わっているとしたら?

 彼らブタ人間、もとい人買いたちの元へ帰還したその時が、異変を報せる結果へとつながるだろう。

 心臓の音が大きくなっていく。

 だが――


「あれじゃ、ない」

「じゃあ?」

「はくあ、さっき、しゃべって、た」

「……!?」


 白亜がこの世界に来て、言葉を交えたのは、シルルとブタ人間を除けば一人しかいない。


「それって――」


 思わぬ単語に白亜が眉をひそめる。


「シルル、何を言っているの?」


 そして声を潜めて問いただす。


「あの二人は、人買いたちに追われてここまで逃げてきたんだよ?」


 口調がきつくなる。

 自然と責めるような表情となる白亜。


「そんな言い方――」

「でも、いろいろ、おかし、い」


 が、シルルはなおも続けていった。


「どうし、て、街の下、いた?」

「それは、パン――何とかって人買いたちに追われて……」

「それ、七日もまえ」

「きっと、身を隠していた――」

「なら……」


 大きく息継ぎをする。

 そしてシルルは言った。


「どうし、て、ペルム、笑わな、いの?」

「えっ!?」


 思わぬ質問に、白亜がたじろぐ。


「そ、そんなことは――」


 記憶を巻き戻すようにして、これまでの出来事を探っていく。


「…………」


 口元に当てた手が止まる。


(いやいや、きっとどこかで――シルルが首輪を外した時とか、さっきの晩ご飯の時とか……あれっ?)


 思い出そうにも、ペルムの笑った顔が記憶になかった。


「どれい、なくなった。ふつう、よろこ、ぶ!」


 言葉を詰まらせる白亜。

 なぜそんなことを言うのか、理解できなかったのだ。

 人買いたちに追われ、命からがら逃げてきたあの二人に、あからさまな疑いの目を向けるシルルを。


「でも、だって! ずっと奴隷でいたんだから、まだきっと現実感がないんだよ!」


 奴隷と言う境遇は、人間らしい心を麻痺させる。

 なにせモノとして売買される対象なのだから。

 が、少し怒った表情を浮かべる白亜へと、小さな手が差し出された。

 手のひらの上には、一欠けらの石。

 それこそ、何の変哲もない、どこにでも転がっているような石だ。


「……何?」


 その意味が分らず、白亜が灰青の目を凝視する。

 懇願するように、促すシルル。


「ふざけないで――」

「これ、きおく、見れ、る……」

「はい?」


 何を馬鹿なことを――と言いかけたその瞬間、突然白亜の目の前が真っ白となった。

 続いてコマ送りのようにさまざまな映像が脳裏に浮かび上がっていく。

 ……いや、流れてきた、と言った方が正確か?


(何――これは――)


 それは嫌な光景だと言えた。

 薄暗く狭い、おそらくは地下水路を往く数名の人々。

 まるで何かから逃げているようにも見える。

 その表情はひどく陰鬱いんうつで、それに恐怖にゆがんでいた。

 続いて跳ねる水音、背後から迫るのは複数の影。

 荒い息遣いとともに、彼らは輪郭をあらわにしていく。

 長い尾を左右に振り、爪音を立てながら近づいていく走竜の背に乗った彼らは――


(ブタっ!?)


 それも白亜を襲ったブタ人間だった。

 下品な歓声とともに、投擲とうてきされたボーラに足を絡め取られ、彼らは次々に捕まっていく。


『ひゃーはっはっはあっ!』


 きっと脳内麻薬ドーパミン興奮物質アドレナリンがドバドバ出て興奮状態にあるのだろう。

 逃げ惑う人々の中に、ゆるふわっとした淡い金髪の少女の姿を見る白亜。


(って、あれっ?)


 違和感を覚える。

 そう、何かが足りない、と。

 何が?

 本来ならそこにいるはずの、いなければいけないはずの姿がないことに。


(そんなことは――だって!)


 混乱が襲いかかる。

 が、すぐにそれは解決した。


(な、なんだ、ちゃんといるじゃない!)


 白髪で口元にヒゲを蓄えた好々爺の姿を。

 モノクルを光らせて――


(あ、え――)


 しかしブタ人間たちの背後で。


(いや、でも、これって……)


 人間たちを捕まえる側として、だったが。


「……」


 絶句して、白亜がよろめく。

 少々息を切らせていた。

 指先が震えている。


「わか、った?」


 遅れてシルルの声が聞こえてくる。

 灰青の瞳はとても澄んでいた。

 信じられないと言った表情で、白亜は返答する。


「ウソ……だよね?」


 自分を騙そうとしているのではないか、そんな考えが浮かんでは消えていく。


「ウソ、ちがう!」


 キッと強い意志を感じさせる声で、シルルが否定する。


「それに、これ、ペルム、もら、った……」


 上目遣いに、シルルがそう告げる。

 奴隷の首輪を外した後で、彼女に抱きつかれた時のことを思い出す。

 確かに両手をギュッと握っていた、と。


「あいつ、は……」


 シルルの強く握り締められてた手が震えている。


「あいつは、逃げてきた、んじゃ、ないっ!」


 そしてうつむくシルルは強い憤りを感じさせる声で言った。


「わたしたち、を……とく、に、はくあ、を、ねらって、る」と。

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