第10話奴隷の首輪
「……絶滅寸前?」
「そう、今や数えるほどしか人族は残っておらんのじゃ」
声を震わせながら、トリアスが肩を落として呟いた。
「かつてこの世界は輝いていた……」
モノクルを光らせ、ため息混じりの自嘲をする。
「が、いくら文明が進んでいようと、たとえ多くの世界を従えていようと、どんな欲望をも実現させることができたとしても……人間がいなくなっちまえば何の意味もない!」
その口調には、寂しさがあった。
「どれだけ栄えていようが、人間が入れ替われば、全て変わってしまう」
「……」
無言でうつむく白亜。
トリアスの話では、この世界は輝いていたという。
多くの世界の中心だったと語るシルルの話と重なる。
彼女の言うパンゲアは、本当に実在したのだろう、と白亜が喉を鳴らした。
ただ、問題はその後、文明を維持できなくなったことだ。
「要はじゃ、人間の再生産ができなくなった。その解決策として、別の世界から移住者を呼び寄せた訳じゃが――」
琥珀色の目を伏せながら、トリアスが盛大なため息をついた。
「半ば無理矢理と言っていい形でな。要するに奴隷を輸入した……」
「……」
「まあ、その甲斐あって、この世界の人口は一時的には回復したのじゃが……」
「……」
「そしたら文明が壊れたのじゃ」
「……」
「しかも数が逆転してなぁ……今では人族側が追われる立場になってしまった」
別の世界から、何の関係もない人間を拉致同然に連れて来れば恨まれる。
ならそういうことも起こるだろう。
白亜だけではなく、シルルもまた目を伏せていた。
身に覚えがあるのか、と白亜は訝しむ。
「今やこの世界は、移住者たちの天下。数の暴力の前には、ワシらはなす術もなく……」
ペルムは奴隷の首輪をはめられ、彼女を助けるべく、トリアスはここまで逃れてきたのか。
「ペルムに奴隷の首輪なんかをつけやがって――あのブタどもがっ!」
悔しそうに歯を噛み締めて、トリアスが握った拳を床に叩きつける。
「ブタ?」
ブタ、という単語に思わず白亜が反応してしまった。
「ん、どうかしたかの、お嬢ちゃん?」
「その、人買いって、もしかして……」
「ん?」
「こう、耳がヒラヒラしてて、突き出た口で、二本足で走る竜の背に乗った?」
「っ!?」
琥珀色の目がギョッとしたように白亜を覗く。
トリアスが身構える。
「なぜ、あいつらを? まさか……?」
警戒するような視線が白亜たちへ注がれた。
「え、あっ、いや、そうじゃなくてっ!」
大げさに手を振り回しながら、弁明を始める白亜。
傍から見れば挙動不審そのものだったけれど。
「私たちも一週間前に襲われたんです。運よく助かったけど……」
「ん? 助かった、じゃと?」
訝しんだのか、モノクルを光らせるトリアス。
ひょっとしたら、仲間だと思われたのか、と白亜が訂正した。
「え、ええ。街の中を徘徊する甲冑に助けられたんです」
「む、う……」
信じられないとばかりに琥珀色の目が、まじまじと凝視した。
が、ふっと息を緩ませてトリアスが言いつくろう。
「ま、まあ、嬢ちゃんたちが、あいつらの仲間だとは……ただ驚いただけじゃ。で、あいつらはどこへ?」
また襲われるのではないかと不安げな視線が送られてくる。
それに対して白亜は十字を切って両手を組んで答えた。
「……それは、どういう意味じゃ?」
あれっ、と肩透かしを食らう白亜だが、照れ隠しに笑みを浮かべながら答えた。
「彼らはもういませんよ。もう、絶対に襲ってなんてきません!」
なぜなら、ブタ人間たちはハルバードで首を刎ねられたのだから。
その状態で生きていられる人間などいない。
……いや、
「絶対に? それはどういう? まさか――」
と言いかけたトリアスへ、首肯する白亜。
「はああああ……」
と、とたんに老体がへなへなと崩れ落ちていく。
安心したのだろう。
続いてしわがれた手が、淡い金髪を包み、華奢な体へと添えられた。
「ペルム、よかった、よかったなぁ――」
眉毛に隠れたトリアスの目が潤んでいる。
「そっか……よかったですね。シルルも――」
と――
「えっ、な、シルルっ!?」
よく言えば観察するように、シルルがジロジロと淡い金髪の少女を凝視していた。
興味津々?
いや、むしろ胡散臭いものでも見るような、そんな目で。
「し、失礼だよ、シルル」
と白亜がたしなめる。
「まあまあ、嬢ちゃん。その子も初めて見る顔に驚いているんじゃろう?」
そうなだめるトリアスだったが、シルルが思ってもみない言葉を口にした。
「これ、はずせ、る」
自信たっぷりに、薄い胸を反らせるシルルが宣言した。
その指はペルムの首にはめられた首輪を差している。
「何じゃとっ!? それは、それは本当なのか?」
鼓膜を破らんばかりの声があたりに響いた。
キンとなって、白亜が思わず耳を押さえる。
が、トリアスは
「しかしな、嬢ちゃん。この首輪は特注品。特定の鍵でしか外れん。それに……」
再びうつむき、沈んだ声が続く。
「それに、その鍵はあいつらの雇い主が持っておるんじゃぞ? どうやって……」
「でき、る。ふかのう、な、い!」
微笑を浮かべ、シルルが断言した。
灰青の瞳が光る。
信じられないと言った顔が三つ。
トリアスとペルムはもちろん、白亜までも。
「だって、これ、カギ、ない!」
小ばかにするように、シルルが首輪へと手を触れる。
「このもんよう、じたい、カギ」
楽しそうに言うシルル。
だが、首輪に刻まれた文様は複雑怪奇、外すのは至難の業だろう。
「でもシルル? この文様が例えば複雑に組み合わさっているとしたら――」
「ちが、う!」
鋭い声がたどたどしく答えた。
「なら、どうやって外すんじゃ? ワシは――」
「こうす、る!」
唐突に、シルルが一掴みの砂を取り出して、先ほど汲んだ水を含ませた。
水を砂に含ませてどうするつもりなのだろうか?
「シルル?」
「何をしておるんじゃ?」
「この、もんよう、ちょっ、と、いじる、だけ」
と、ペルムの首輪へと砂を塗りこんでいく。
「これ、パンゲア、ことば、できて、る。それ、少し、いじ、る、だけ」
「嬢ちゃん、気持ちはうれしいが――」
トリアスが苦笑いを浮かべながら言ったその瞬間だった。
ガチャン――トリアスの言葉を遮って、外れた首輪が地面へと落下する音が響く。
「え、あ――」
驚く声。
何が起こったのか、理解が追いつかないと目を見張る三人が注視する。
が、事実として首輪はペルムを離れ、足元に転がっているのだ。
「ペ、ペルム……」
かすれた声が搾り出されていく。
琥珀色の目が動揺と感激の入り混じって、奴隷に堕ちていただろう少女を捉えた。
「ペルムうううううっ!!!」
枯れ枝のような手が、涙ながらに少女を抱きしめる。
歳を取ると涙腺が緩むらしい。
だが、ペルムの方は、まだ心が現実を受け入れられないのだろうか。
ぼんやりとした、視点の定まらない目が宙を泳いでいた。
無理もない。
よほど辛い日々だったのだろう。
「……」
トリアスの腕から離れると、ペルムはえっへんとない胸を反らすシルルへと近づき、
「っ!?」
「え――!?」
ぎゅっと細い両手が幼げな肢体を抱きしめたではないか。
感謝しきれない、そしてきっと嬉しかったのだろう。
華奢な体が震えていた。
それから別れを惜しむようにギュッと両手を握り、驚くシルルを解放した。
「すまないのう、嬢ちゃん。ペルムの首輪まで外してくれたと言うのに何も礼ができなくて……」
見ていたトリアスが、実に申し訳なさそうにうな垂れる。
「わたし……いや、なんでも、ない」
何か言いたそうな目でシルルが言葉を飲み込んだ。
幼げな顔がにっこりと微笑み、首を横に振るシルル。
「せっかく自由の身になったんじゃ。ワシらはこれから静かに暮らそうと思う」
琥珀色の瞳が白亜とシルルを一瞥し、それからさびしげな表情を浮かべていたペルムへと注がれた。
「そうじゃなぁ……この街で、新たに生きていくのも悪くはないかもしれんなぁ?」
「わ~、い!」
それを聞きシルルが、無邪気な笑みを浮かべ、はしゃぐ犬のようにぴょんぴょん飛び跳ねる。
白亜も賑やかになるのは大歓迎だ。
が――なぜだろう、ペルムの目だけが笑っていなかった。
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