第8話朝食


 ジュウウウウ……。

 鉄板にひかれた油が熱せられ飛び跳ねる。

 砂の上に置かれた片手鍋イブリックが湯気を立ち上らせ、ふわっとした香りを漂わせた。

 何の肉か不明だが燻製された腸詰ソーセージに、おそらくパンをトーストし、それに多分コーヒーが煮立っている。

 食欲をそそる匂いだ。

 砂の上での調理は、白亜にとっては生まれて初めての経験だった。

 真夏の日差しで目玉焼きを作る、そんな気分になるほどには心躍らせる。


(何というか……これ、楽しい)


 砂が青いためか、熱せられやすいのだろう。

 日が昇れば、ほんの二時間ほどで焼けるような熱を帯びる。

 調理にはもってこいではあるけれど、外出は困難だ。

 ふと、調理の手が止まる。


(そう言えば、もう一週間になるのかぁ……)


 白亜がこの世界に来てから、もう一週間がたとうとしていた。


(この街は、時々必要な物資が調達できるのは嬉しいんだけど……)


 たとえば、今白亜が調理している食料や嗜好品も。

 あるいは調理器具や服といった生活物資、それに用途不明の品までもが、見事に揃っていた。


(本当にこの街には誰も住んでないのかな?)


 見る限り、廃墟と言うほかない景観。

 青いとはいえ砂漠が街を侵食しているのだ。

 お世辞にもインフラが機能しているとは言い難い。

 都市である以上、生活物資やエネルギーがどこかから供給されなければ、存続は不可能だ。

 にも拘らず、生活物資が手に入るのは、不思議というより奇怪と言った方がいいだろうか?


(う~ん……やっぱりシルル以外には、いないのかなぁ……)


 厳密にはブタ人間はいた。

 だがあの三人以外見ておらず、それにあれを人間の範疇はんちゅうに含めるべきではないだろう。

 甲冑はというと、あれっきり全く動く気配も見せない。

 シルルの話では、オーラに反応して動くと言う。

 なのに、白亜やシルルが近づいても、前や後ろを通り過ぎても、ピクリともしない。


(まあ、そのうち分るだろうし、それに今は……)


 吐息して、食事が先だ、と視線を移し――


「おっ!」


 ちょうどいい具合に焼けた腸詰、カリカリになったパン(?)、イブリックも泡立っていた。





「はくあ、これ、にが、い……」


 コップを掴んだ両手が揺れて、シルルが目を潤ませる。

 漢方薬でも飲んだみたいな渋い顔を浮かべていた。


「そ、そう、かな……?」


 黒い液体が注がれたタンブラーに口をつけて、白亜は平然とそれを飲んで見せた。

 ほろ苦い味が舌の上に広がり、ほのかな香りが鼻腔を突き抜けていく。

 いわゆる大人の味。

 だが――


(やっぱり……コーヒーじゃない。でも似てる……)


 香りも味も、限りなく近いのに、何かが違う。

 それをうまく言語化できない、そんな歯がゆさがあった。

 さしずめ、コーヒーもどきとでも名づけようか、とコップの中をジッと見つめる白亜。

 コーヒーもどきだけではなく、腸詰もパンも、イブリックにしたって、地球のものに似ているようでいて少し違う。

 何が正統かの解釈は人それぞれだとしても、機能は同じだとしても、何かが。


(なんか、こう……)


 既視感を覚えそうで違う、そんな感じに囚われるのだ、と。


(ここ、本当に異世界、なんだよね?)


 走竜やブタ人間がいるくらいなのだから、少なくとも地球ではない。

 少なくとも地球では恐竜は絶滅したはずで、ブタ人間など空想上の産物だ。

 違う世界であるなら、異世界だろう。

 よって異世界で何ら間違いではないのだろうが――


(何だろう、このモヤモヤした感じ?)


 と少しだけ目を瞑り、その理由わけを探る。


(ああっ!)


 と閃く。

 おかしな例えではあるが、ピラミッドが南米にあるのは、エジプトから伝わったか否か、というあれ。

 あるいはアトランティス文明が云々。

 要するに文化が伝播したか、同時発生か、という問いだったことに気づく。


(私みたいに、過去のこの世界に地球人が来たとして、自分の知っていることをこの世界で伝えたのだとしたら……)


 可能性はあるだろう。

 実際、白亜自身この世界にトリップした訳だから、ないとは言い切れない。

 文化が伝播の過程で現地化するのはよくあることなのだ。

 それはともあれ。


「でも、はさん、でたべる、おいし、い」


 今にも落っこちそうなほっぺを両手で包みながら、シルルが舌鼓を打つ。


「ほ、ほんと? それはよかった!」


 ぶっちゃけると、トーストしたパンに、腸詰を挟んだだけなのだが。


(社交辞令でも、嬉しいな)


 口の周りをベタベタにして、楽しそうに頬張るシルル。

 つい白亜は田舎で飼っていた犬を思い出した。


(心配してるだろうな……)


 一週間も行方不明になれば、大騒ぎになっていることだろう。

 出席日数が足りなくて留年になるのは笑えない。

 バイトだって、首になっていておかしくないが……。


(まっ、今更悔やんだって、始まらないか!)


 起きてしまった出来事をなかったことにすることはできない。

 それにシルルが言うには、この世界の文明は「全てをかなえる力」があるらしい。

 なら、故郷に帰る方法だって、ある可能性が高い。

 そのためには、この砂だらけの廃墟で生き残らないといけない。


(それにシルルとは、パンゲアを一緒に探すって約束しちゃったしね)


 満腹になって、「んん~」と満足そうに石の床に寝転がるシルルを見て微笑する。


「さてと!」


 食べ終わって、立ち上がると、白亜はそそくさと片付けていく。

 ただ、食器はコップくらいで、鉄板も基本は洗えない。

 砂漠では水は非常に貴重だ。


(せめて水がもうちょっとあればなぁ……洗いたいなぁ……)


 飲料水を確保することも難しい。

 目をやれば三日前に発見した樽に入った水が、もう半分ほどになっていた。

 それはつまり――


(いい加減、お風呂も入りたい!)


 この一週間、着たきりスズメだったのだ。


(せめてシャワーくらい……)


「はくあ!」


 とパーカーを引っ張られた。


「シルル、どうしたの?」

「きょう、さがす、い、く」


 興奮気味に灰青の瞳が問いかけてきた。

 犬が散歩をせがむような感覚を覚える白亜。


「そうだね。でも私今は生活物資が欲しいんだけど――」


 なだめつつ、生活必需品を求める。

 パンゲア探しの前に、まず命をつなぐ必要があったからだ。

 が、シルルの言葉に白亜は目を剥いた。


「水、ある、知ってる」

「ほ、ホント? ホントにホントっ!?」


 期待を宿す黒い瞳が、ヘレニズム彫刻を思わせる顔を覗き込んだ。


「もちろ、ん!」


 自信たっぷりに、真っ平らな胸が反らされた。


「だから、いく!」


 袖を引っ張られながら、白亜が引きずられていく。

 でも、どこへ?

 決まっている。

 街の探索へだった。

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