第6話遭遇、そして危機


「ん……」


 まぶたがゆっくりと開き、灰青の瞳が光る。


「やっと気づいた」


 ぼんやりとする表情が問いかける。


「はく、あ……?」


 吐く息に勢いがない。

 それどころか顔面蒼白だ。


「じゃ、あ……」


 沈む声が震えている。

 夢の続きではないという現実がそこにはあった。


「パンゲア、なか、った……」


 ギュッとぬれたパーカーを、小さな手がつかむ。

 握り締めた手から、シルルの動揺が白亜へと伝わっていく。


「……」


 何て返せばいいのだろう、落ち込む顔を見て白亜は言葉を詰まらせた。


「なん、で……こんなこと……に」


 シルルが今にも泣き出しそうな声で呟く。

 この世界はかつて多くの世界の盟主だった。

 のであれば、今目の前に広がる荒涼とした景色が何を意味するのかを、白亜だって想像できないわけじゃない。


「ウソ……ゆめ、だって……」


 まるで全てを失ったみたいな顔をしていた。

 どう声をかけたらいいのか、


「その、私――」


 と白亜が言いかけた、その時だった。


「っ!?」


 物音が耳へと飛び込み、心臓の鼓動が一気に跳ねる。

 白亜は思わずシルルを抱いて身を伏せた。


(この気配――)


 砂地を踏みつける音が複数。

 それが次第にこちらへと近づいてくるのが分かる。


「ねえ、家に一旦戻ろう?」


 弱々しくうな垂れるシルルを抱きながら、白亜が余裕のない声で声をかける。


「……」


 だが、返事はない。


「シルル?」


 話どころではなかった。

 ショックを受け、心ここにあらずといった顔をしていた。


「く――」


 室内に逃げて、壁をふさげば、これからやって来るだろう危機からは身を守ることができるはずだ。

 如何せん、壁のふさぎ方を白亜は知らず、シルルはすでにお人形と化している。

 それに篭城しても、水と食料はいずれ尽きるし、それ以前に必要な物資もない。


(ど、どうしたら――)


 どこまで逃げ切れるのか、計算通りにはいかないだろう。

 が、ただ無為無策に危機をやり過ごしたところで、「彼ら」はいつ去るのかも分からない。


「――」


 気がつけば白亜は駆け出していた。

 放心状態のシルルを抱きかかえたまま。

 しかし砂地に足場を取られ思うように走れない。

 捕まったら何をされるか分からない。

 不安と焦燥が苛んでいく。

 だが――


「きゃっ!?」


 足へ柔らかく、それに重いものが絡みつき、足が止まる。

 白亜とシルルは、直ちに砂地へと頭から突っ込んだ。


「痛――!?」


 何が起こったのか?


「な――!?」


 何が、そう言おうとして、言葉が続かない。

 ゆっくりと、油の切れたブリキのおもちゃみたいな動きで、白亜は足元へと目をやった。

 縄の両端におもりを取り付けたものが絡み付いている。


(これ……)


 図鑑で見たことのある武器、いわゆるボーラにそれはよく似ていた。

 でもなぜこんなものが投げられたのか?

 そもそも誰が投げたのか?

 思わず、甲冑たちの姿を思い浮かべ、しかし白亜は即座に否定する。


(え、でも待って? それじゃ――)


 甲冑たちは全て金属製で、携えていたのだって斧つきの槍のはずだ。


(甲冑たち、じゃない?)


 では、誰なのか?

 答えを見つけるより早く、白亜の耳へと自慢げな声が飛び込んできた。


「見ろよ! 女だ、女だぞ!」

「よくやった!」

「しかも二人もいるぜ! 俺たちゃついてるぞ!」


 はしゃぐ声が耳を劈く。


「そうだな! これでしばらくは金に困らねえ!」


 そして野太い声。

 砂地を踏みつける音とともに、声の主は白亜たちの前に姿を現した。


「って――」


 ギョロっとこちらをにらむ縦長の瞳孔、全身は硬そうな鱗に覆われて、大きく尖った爪が砂の上を踏んでいる。


「トカゲ……?」


 が、二足歩行のトカゲなど、現代にはおそらくいない。

 風貌としては、そう……オルニトミムスを二周りほど大きくした感じだ。

 ファンタジーではよくある、いわゆる走竜、というやつだろうか?


「が、しゃべった!?」


 目を見開き驚きの声を上げる白亜。

 爬虫類が人語を発するか?

 声帯も耳小骨もない連中が?

 呆気にとられる白亜だが、声はそんな疑問になど答えるはずもない。


「ちっ、そっちはガキか……」


「だけどよ、そっちの黒髪はなかなかの上玉じゃねえか? ならいい値がつくだろ?」


「ふむ、ち~っと薄汚れちゃいるが、仕込めば……それにしてもおかしな格好だな?」


 声は走竜の背から聞こえる。

 ゆっくりと視線を上に向けた白亜は見た。


「え……」


 ヒラヒラとした耳、大きく突き出た口、ボタンをはめたみたいな目がこちらを品定めするように舐めまわす。

 その風貌はまるで――


「ブ、タ?」


 ブタが人語を発している。

 しかも走竜の背に乗って。

 実に奇怪な光景だった。


「誰が、ブタだ?」


 頭上から怒声が飛ぶ。

 続いて下馬……いや下竜したブタたちが砂地に音を立て、歩き出す。

 でっぷりとした腹がぽよんとゆれた。

 しかし肥満ではない。

 むしろ人間にしては大きく、それにガッチリとた体格をしている。

 ゆったりとした服を着て、頭に巻きつけたターバンみたいな布が風にたなびいた。


「ひひひっ!」


 と下品な声を出しながら二人へと近づいていく。

 獲物を狙う、そんな目をしていた。

 ごつい手がゆっくりと伸びていく。


「っ!?」


 ビクッと身を縮ませル白亜。

 と、顔を指でクイっと持ち上げられ、大きく黒い瞳がまじまじと白亜の顔を覗き込む。


「ふむ、黒髪に黒い目か……珍しいな」

「けっこう高い値がつくんじゃねえか?」

「しかも二匹もいればな」


 やはりどうみてもブタの顔をしている。

 信じられないといった面持ちで、白亜が訝しそうに顔を覗き返した。


「おい!」


 ブタが目配せすると、背後から二人が続き、その手にはシルルが捕まっていた。

 両手を掴まれて、まるでウサギでも捕まえたみたいな格好で。

 黒い目が見開く。


「な、何? 私たちを――」


 どうするつもりなのか?

 身の危険を感じ、身をよじりながら後ずさりする白亜。


「それにその子を、シルルを放して!」


 搾り出すように声を放つ白亜。


「えっ!?」


 だが、いきなり髪を掴まれて、持ち上げられる痛みに叫んだ。


「い、痛いっ! は、放し――っ!?」


 鈍い音がした。

 頬がひしゃげる衝撃が走った。

 次いで口の中に苦い味が広がり、鉄の錆びた臭いが鼻腔へと突き抜ける。


「あ……?」


 見れば野獣の視線がそこにある。

 呆然とした白亜へ、ブタは顔を近づけてささやいた。


「大人しくすれば、悪いようにはしない……」


 それに腰には帯刀していた。

 頬に残る痛みが、白亜の頭を真っ白に染め、心を凍りつかせていく。


「まだ、死にたくはないだろう?」


 その言葉に、白亜が固まってしまった。


「ひひひっ!」


 身動きの取れなくなった白亜へ、下品な声を出しながら、仕留めた獲物でも見るような視線がねっとりとはりつく。


「なあ、こいつ」

「そうだな……」

「旦那んとこに卸す前に……まあ、役得、だよなぁ?」


 不穏なことを口々に、下卑た笑いを浮かべるブタたちが、逃げようともがく白亜へとのしかかった。


「っ!?」


 ごつい手が白亜の両手を押さえつけ、砂まみれのパーカーを乱暴に掴む。


「言うことを聞けば、殺しゃしねえが――」


 膝をミゾオチへと垂直に乗せられた。

 巨体の重みで意識が飛びそうになる白亜。


「おい、お前ら! 押さえつけろ!」


 すかさず残り二人が――

 二人が……


「おい、何してる?」


 呼べど叫べど反応がない。


「おいっ!」


 がなり立ててみたが、それでもなしのつぶて。


「まあいい、さっさと終わらせ――っ!?」


 と、その瞬間、言葉が途切れた。

 続いて巨躯が崩れ落ちていく。

 砂を舞い上げ白亜へと覆いかぶさった。

 そして生暖かくべとっとした感触と、鼻を突く錆びた臭いに包まれる。


「……?」


 視界を震わせ混乱する頭で、咄嗟に逃れようともがいた。

 やっとの思いで巨躯から這い出た白亜が目にしたものは……


「え、あっ!?」


 黒い瞳が凍りついた。


「ああああ……」


 体中の力が抜けていく感覚に襲われる白亜。

 なぜなら、あの時の甲冑がそこにいたからだった。




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