第4話「ここは、パンゲア。たくさん、あるセカイ、の中心」


「……」

「……」


 少し灰色がかった青と黒の瞳同士が、無言で互いを見つめる。

 一方は灰色の髪の少女のもので、対するのは白亜のものだ。

 いずれも言葉を発せずただ時間が止まったみたいに固まったまま動けないでいた。

 ぬれた髪が顔に張りつき、毛先から雫がこぼれる。


「……で」

「?」


 最初に沈黙を破ったのは少女、ただ怯えた表情を浮かべ、向かい合い白亜の一挙手一投足をうかがっている。

 灰色がかった青い瞳が訴えかけるように白亜を突き刺して、その口が開いた。


「お、おね……がい。こ、殺、さないで……」

「っ!?」


 ひどい言われようだ。

 少女の言葉に少し傷ついて言葉を詰まらせる白亜だったが、少女は生きている、その事実は重大といえた。

 つまり今ここにいるのが一人ではない、その事実が。

 それに言葉が通じる。


「いや、私は――」

「ひっ!?」


 ただ、少女はものすごい怯えようだ。

 これでは会話どころではない。


「こ、こな、いで!」


 目をギュッと瞑り拒絶する少女が、身をかばうように肩を抱く。

 想像を働かせて見れば、この怪しげな部屋に無理矢理連れ込まれて、狂科学者か錬金術師か何かに、被検体にされたのだとしたら……混乱している彼女を、まず落ち着かせなくてはならない。


「だ、大丈夫だから――」


 どう声をかけるべきなのかに正解はない。

 が、どう振舞えばいいのかは、白亜にだって想像はできるはずだ。

 初対面で正体不明の相手に警戒心を抱くのは、当たり前の反応だろう。

 なら、すべきことは二つ。

 名乗り敵意がないことを告げることだ。


「わ、私は白亜――あなたにひどいことをする気はない、ないからっ!」

「……」


 灰青の双眸そうぼうがジッと白亜を凝視する。

 身を縮ませて、まだ震えている少女の細い体から、雫がこぼれた。


「……」


 再び沈黙が流れる。

 よほど怖いことが、彼女の身に起こったのだろう、と想像を働かせる白亜。


「……ル」

「え?」

「シルル……わたし、の名前……」


 少女は名を口にした。

 警戒を解いた――というよりは、意思疎通のための土台を作ったのだろう。

 シルルと名乗った少女が仮に被検体にされていたのなら、この部屋から出ることは二人にとっての共通の利益となる。


「それで、シルル――ちゃんだっけ? ……はどうしてこの部屋に? 誰かに連れてこられた、とか? 頭のネジがごっそりと抜けた科学者とか、不老不死に執着した錬金術師とかに被検体にされたり? ああ、もしかして――」


「ま、まって……」


 急な言葉の洪水に溺れかけたのか、シルルがあっぷあっぷする。

 人とのやりとりに慣れていないのかもしれない。

 もしくは、被検体のトラウマ?

 困った表情で、シルルは口を開く。


「こ、こは……」

「ここは?」


 固唾を呑み黒い瞳がシルルを注視する。

 実にやりづらそうな表情を浮かべ、ブリキのおもちゃみたいなぎこちない動作で、彼女は述べた。


「わたしの、家」

「えっ!?」


 拉致らち誘拐ゆうかいされた訳ではなかったらしい。

 なら、多分被検体にされた可能性は低い。

 なら自分はもちろん、シルルにも危害は及ばない、そのことにひとまず安堵の息をつく。

 が、疑問もあった。

 少なくとも白亜は、解せないといった面持ちで首をかしげる。


「この部屋はシルルの家? ならここで何をしていたの?」


 いくら自分の家だからといって、浴槽の中で沈むだろうか?

 常識で考えるなら、普通はそんなことはしない。

 不可抗力とはいえ人様の家に勝手に、それも土足で上がりこんだことを棚に上げ、白亜が問い詰めるように口を尖らせる。


「まさか……」


 非難する視線がシルルを突き刺した。


「……」


 無言でうつむきながら、身を縮ませるシルル。


「どんな嫌なことが有ったのかは知らないよ? でもその歳で――」


 生は苦だ。

 確かにそれは真理だが、だからそれを放棄していい理由にはならない。

 ましてシルルの風貌はどう見ても白亜よりも年下、いいとこ小学生も怪しいだろう。

 キッと責めるようにシルルを見据える白亜へ、しかし理解不能な単語が彼女の口から飛び出した。


「とう、みん……」

「はい?」


 白亜の理解を超えた発言だった。


(冬眠? いや待って? 常識で考えよう……人間が冬眠する?)


 しない、と答えるのがまともな人の答えだろう。


(クマやタヌキじゃあるまいし……)


 変温動物なら、外界の温度によって活動を大幅に低下させることはある。

 哺乳類でも冬場に眠ったままの生き物はいる。

 人間でも、仮死状態になればあるいはいけるかもしれないが――


「浴槽の底で、冬眠?」


 ただ眠っているなら、シルルの言葉にも信憑性しんぴょうせいはある。

 が水の底で眠りにつくのを、冬眠とは普通は言わない。


「ねえ、本当のことを――」

「エリクシール」

「……はい?」


 ポカンとする白亜。


(エリクシール? 今、確かに言った……でも、それって……)


 いわゆる不老不死の霊薬につけられた名前だ。


(中二病……とか?)


 だがその病に罹患するには、シルルはいささか年齢が足りないだろう。

 それに浴槽の底で水に浸かっていながら、こうして話をするシルルを見る限り、全てウソだと断じることはできない。


「眠って、いた、だけ……」

「……」

「エリクシール、に浸かると、じかん、とまる……すこし、だけ、まきもどる」


 たどたどしい口調で、ひどく聞きづらい。

 が、云わんとしていることはひとつだ。

 シルルはここで不死の霊薬エリクシールに浸かり、不老不死を実践していたのだと。

 信じられないといった顔で、白亜が眉を寄せる。


「それ、より……」


 シルルが問う。


「はくあ、はどうやって、ここに入った、の?」


 う、と後ずさる音がした。

 ちょっぴり後ろめたいのだろう、白亜が言葉を詰まらせる。

 が、あれは不可抗力だったし、シルルの家だと知らなかったのだ、と白亜は思い直す。


「その、鎧を着た人たちから身を隠そうとしたら足を滑らせて……気づいたらこの部屋にいたんだけど、出口がなくなっちゃって……」


「……で、ぐち?」


 胡乱な目を向けるシルル。

 非難するような視線に、白亜がシュンとなる。


(そりゃそうだよね……そんな言い訳、通じるわけが――)


「って、何?」

「え……?」


 出口という単語を知らない?

 が無理もないだろう。

 シルルの灰色がかった青い瞳、濃い灰色の髪は、外国人である可能性が高い。

 言葉が拙くたどたどしいのはそれか。


「Do you know the Exit?」


 取り敢えず、知っている英単語を並べて説明を試みる白亜。

 が――


「???」


 発音が悪かったのか、それとも英米系の外国人ではなかったのか、もしくは文法の間違い?

 シルルが怪訝な顔を示す。

 あたかも、突然理解不能な叫びを上げた怪しいヤツを見る目をしている。


「はくあ、外に、出たい、の?」


 だが、意味は通じたらしい。

 何でもやってみるものだ。


「そ、そうだよ! どうやって出たらいいのか分からなくて、私パニックになっちゃって――」

「……?」


 シルルが難しげな顔をして、首をかしげる。


「はくあ……」


 幼げな顔が自分を責めているように見えたのだろう。

 シュンとして俯く白亜だったが――


「もしか、して、迷い人、なの?」


 シルルの『迷い人』なる単語に身を強張らせた。

 脳裏に浮かぶのは、幼い頃の迷子の記憶。

 白亜の顔が紅潮していく。


(迷い人って……私、確かに迷っていたけど、迷子じゃない、迷子じゃ――)


「……ちがう、世界から、きた、の?」

「っ!?」


 だが、その迷い人ではなかった。


「違う、世界?」


 シルルの言葉が本格的に分からなくなっていく白亜が、悩ましそうに呻く。

 だが、彼女は続けた。


「ここは、パンゲア。たくさん、あるセカイ、の中心」と。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る