第2話浴槽に眠る少女

 部屋の中は薄暗く、全体的に冷たい印象を受けるものの、実際には暖かい……いや、むしろ暑いくらいの空気に満たされていた。

 何かの倉庫か実験室であるのか、奇妙な物品がそこかしこに積まれている。

 金属製の可動式置物を作る途中だったのか、部品が散らばる年季の入った机。

 怪しげな文様が描かれた床。

 碁盤目状の盤がはめ込まれた壁には、不思議な形をした石が何種類も貼り付けられている。


「……」


 それらの品々を無言で見渡してく白亜の首が傾く。


(何、この部屋?)


 雰囲気としては研究室を想起させる室内に思えた。


「ここに、誰かいた?」


 いた――しかしそれは過去形。

 だが研究室にしては若干引っかかりを覚える部分もあった。

 倉庫か実験室にも見える。

 それに、薄っすらと生活臭が室内には漂っていた。


「うまく言えないけど……」


 乱雑に散らばった品々の中に混じる日用品。

 使いかけのコップや、服らしき布地などが散らかっている。

 少々みっともない。

 まるで日常のある瞬間を以って時間が止まってしまった、みたいな?


「ドアとか、どこかに……」


 もし人が住んでいたなら、一部屋だけという訳にはいかないだろう。

 竪穴式住居たてあなしきじゅうきょとか遊牧民のユルトならともかく、定住生活者にとっては水周りなども必要だ。


「って、あれ?」


 なのに、それなのに。


「何でドアがないの?」


 どこにも扉はなく、それどころか窓もないことに気づく。

 通気口さえ見当たらない。


「ない、ないっ、どこにもないっ!」


 と――


「ひゃっ!?」


 足元に転がっていたものにつまづいて、白亜は額を壁に打ち付けた。


「痛~もう、何……」


 と目に涙を浮かべ、足元に目をやって、


「――!?」


 まばゆい光があたりを包んだ。

 白く、蛍光灯をもう少し強くしたみたいな色の光。


「……」


 明順応は割りとすぐ起こるので、白亜はゆっくりと目を開け、続けて驚く。


「え?」


 光る球体が、宙に浮きながら、部屋全体を照らした。

 まるでミニ太陽みたいな光球が自分と室内を頭上から光を注ぐ。


(聖書でいう『光あれ』? いや、そんなまさかね……)


 ただの照明。

 そうなのだけど、宙に浮き光を灯す照明器具など、あっただろうか?

 少なくとも、白亜が知る記憶の中には、そんなものはない。


狂科学者マッドサイエンティストとか錬金術師アルケミストなんかの研究室だったり?)


 あらぬ妄想がよぎるも、それを振り払って呟いた。


「そんな訳ないよねぇ……」


 反重力装置はまだ実現されていなかったはずだ。

 接触によるスイッチは確かに実在するが、光球は全ての面から発光している。


「軽い振動でオン‐オフになるのかなぁ……」


 理屈はどうあれ、部屋が明るい、これは紛れもなく事実だ。

 問題とすべきは照明器具ではなく、部屋の出入り口がどこにあるかだろう。

 それを思い出し、白亜は再び辺りを探っていく。


(ドア――通気口でもいいからっ!)


 通れるかはともかく、閉鎖された空間に閉じ込められているのは、圧迫感があった。

 外界とつながっている場所の存在は、安心感を与える。

 壁と床を凝視しながら手で触れて探っていく。

 たとえば隠し扉とか、思わぬ出入り口が見つかるかもしれないと。


「やっぱり、ない……いや、待って?」


 ふと思い出す。

 自分は一体どこからこの部屋に入ったのかと。


(確か――)


 尻餅をついただろう床へと目を向けた。

 なぜか光球が頭上からちょうどいい具合に照らしてくれる。

 そして――


「どう……して?」


 あるはずのものがなかった。

 何が?

 言うまでもなく、白亜が引きずり込まれた抜け道が、あるはずの出入り口が。

 きれいさっぱりなくなって――いや、ふさがって・・・・・いた。


「意味が分からない!」


 壁が勝手にふさがる?

 家は生き物だ、とは白亜が子供の頃聞かされた言葉ではあるが、それは意味が違う。

 手入れをすることで活かすのであって、あるいはアニミズムの世界だ。


「ってことはもしかして私……」


 もしかしなくても。


「閉じ込められた?」


 突きつけられた事実に、白亜の表情が強張っていった。






「意味が分からない……」


 石畳の上に仰向けで寝転がりながら、白亜は盛大なため息をつく。

 押せども引けども、壁は微動だにしなかった。

 何度も手を変え品を変え試してみたものの、結果は同じで徒労に終わるばかり。

 密室に閉じ込められてから、凡そ半日が過ぎようとしていた。

 頭上に浮かぶ光球は絶え間なく室内を照らしており、体感温度も薄手のパーカーで少し暑いくらいで保ち続けている。

 まるでこちらの状況を先回りして、空調や温度を整えているかのようだ。

 通気口さえないのに、空気は悪くもならず、寒暑もしのげている。

 ただ問題は丸一日以上、飲まず食わずでいたことだった。

 何食か抜いたくらいでは人間は死なないが、水分を取らないのはさすがに死に直結する。

 せいぜい持って三日だろうか?


「喉渇いた、それにお腹すいた!」


 舌がカサカサしている不快感を口の中で感じ、ふっと吐息した。

 こんな時は大体暗いことを考えるものだ。


(もしこのまま、ずっと閉じ込められたままだとしたら……)


 背中に汗が流れた。

 圧迫感がのしかかってくる。

 何より見知らぬ場所でただ一人、出口のない部屋に閉じ込められている現実が、白亜の心を憔悴しょうすいさせていった。


(それに……)


 家族の顔が脳裏をよぎる。

 高校生の娘が家に帰らなかったのだから、一騒動起きていてもおかしくはない。

 血相を変える家族の顔が浮かんできた。


(心配してるだろうな……あと、お姉ちゃん。勝手にお姉ちゃんのプリン食べちゃってごめんね)


 普段ならまず思わない言葉が浮かんでくるくらいだ。

 仮に部屋の外へ出ることが叶ったとしても、街には誰もいない。

 いてもハルバードを手にした甲冑だけで、誰かが助けてくれる可能性は限りなくゼロだろう。


(どうすれば……どうしたらいいの?)


 少しずつ目が潤んでいく。


(私も、そこの置物みたいになるのかな……?)


 所狭しと置かれた置物ガラクタの山を見て自分に重ねていく白亜。

 だったが――


「ん?」


 ふと変なものが目に入る。

 それは妙で、あまりにも意外なものと言えた。


「えっと……何、これ?」


 思わず這いずって近づき、それに目を凝らす。

 子供一人が入るくらいの大きさで、猫足のついた――


「浴槽?」


 声に出し言葉にして、彼女の黒い瞳がその中を見つめる。

 なぜ、こんなものがあるのか?

 あって、それに気づかなかったのか?

 薄っすらと、言うなら銀色に光を反射する液体が容れられた浴槽を覗き込んで、白亜が信じられないと言った顔で呟く。

 なぜなら……


「女、の子?」


 浴槽の中には、少女が沈んでいたからだ。


 

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