5-12

「道子――!!」


目を開けてまず飛び込んできたのは半泣き状態でこちらに抱きついてこようとする頭に本を乗せたままのムーグリルの姿だった。


「いやー!」


道子は器用に自分の体に倒れ込むように眠りこけている赤ずきんを庇いながら、ムーグリルを引っぱたく。


「ふぼー!」


飛び込んできたそのままの勢いで全力のビンタをくらったムーグリルは猛スピードでリビングの隅の方に飛んでいき、壁にぶつかる。


図書館中に響いた凄まじい音にビックリしながらも、道子は赤ずきんを起こさないように彼女の耳を塞ぐ。


「なんで避けるんだい……」

「当たり前じゃない!」


ムーグリルは強打した腰を擦りながらゆっくりと起き上がる。少し頬の熱が上がってるのを感じた道子はムーグリルから顔をそらすようにそっぽを向く。


「僕はそれくらい感動したのさ、飛び込んでしまうほどに。君は図書館の崩壊を止めてくれたわけだしね、感謝してもしたりないよ」


ムーグリルの奇行に気を取られて気づかなかったが、確かに図書館は静かになり、いつも通りの姿に戻ろうとしていた。地面に落ちていた本達は静かに元々収まっていた場所に戻るように本棚に納まっていっている。


「私はいつも通りのことをしただけよ、帰ることを選んだのはこの子」


わざとらしく片手で顔を隠し泣いているような素振りを見せているムーグリルを無視して、道子は優しい微笑みを浮かべながら赤ずきんの頭を優しく撫でる。


そして彼女を起こさないようにゆっくりと移動してソファに腰掛けると、自分の膝にあかずきんの頭を乗せてあげる。


「ここに連れて帰ってきちゃったんだね、まあこれだと言うべきかな」

「しょうがないじゃない、あんな咄嗟の場面じゃこれくらいのことしか考えられないわよ」

「いやいや別に責めているわけじゃないよ、よくこのおてんば娘をなだめて連れて帰ってこれたなと思ってね」


眠りこけている安心しきった赤ずきんの顔を二人揃って微笑ましく見つめる。


「ちょっとずるい、意地悪だった気もするけど……」

「まあああでもしないとこの子は色んな世界で迷子になってただろうね」

「本当のところはどうなの?」

「何がだい?」

「もしあのまま赤ずきんが他の童話をまだ巡ってたとしたらこの子はどうなってたの?」


道子が一番気になっていたところだ。全く見当違いのことをいって連れ戻してきたとなれば、嘘をついて無理やり連れ戻したことになってしまう。


「そうだね……道子の言ってたとおりになってただろうね。物語の主人公を失い続けた童話は壊れてしまって修復不可能になってしまう。それと同時に赤ずきんも消滅してただろうね、ついでにいうとあのままこの子を放置してたら、いくつの童話が犠牲になっていたか……。この場所もただじゃすまなかっただろうね」


ムーグリルはあくまで淡々と話し続ける。そのトーンが余計に真実味とどれだけ危機的状況だったのかを物語っている。


「そうだったのね……。あのまま放置してたらどっちもピンチだったってわけね」

「そうだよ? だから君はヒーローさ。いや、ヒロインかな?」


うまくいったつもりなのだろうか。ムーグリルは口角を片方だけ上げて、にやっと笑いかけてくる。


「まあでも私は……」


あえてムーグリルの小ボケをスルーして道子は話を続ける。


「あの子の帰る場所がなくなるのが、心を落ち着かせる場所がなくなるのが嫌だっただけよ」


それにあんな幸せそうなシンデレラの姿が無くなるというのも嫌だった。シンデレラにはあのまま幸せなまま過ごして欲しかった。


「君はずっと優しいね」

「優しくなんかないわ、それに……」


道子にとってもこの場所がなくなるのは嫌だった。自分の心が落ち着く唯一の場所だから。道子にとってこの図書館は居心地のいいものになっていた。


「それに?」

「……なんでもないわ」


でもそれは口が裂けても目の前のニヤニヤしている男には言わないけれど。


「大丈夫、ここ以外にも安らぎをもらえる場所が出来つつあるじゃないか」

「なんの事かしら」

「僕は心が読めるんだ」


ムーグリルはまたニヤッと笑うとウインクまでかましてくる。


「うるさいし、うざいわよ」

「君は僕へのあたりがほんと容赦ないな……」


ムーグリルのはにかんだ顔は苦笑いに変わり、頭に手を抑える。


「さてと、そろそろこの子を帰してあげようか」


ムーグリルは机の上に置かれてあった1冊の黒い表紙の本を手に取る。

この子にとってこれで本当によかったのだろうか。今更そんなことを考えてしまう。

この子がこの本の中に戻れば退屈だと言っていた日常に戻ってしまう。この子はもっと色んな世界を見たかったのでは無いだろうか。


「お母さん……」


道子の思いを知ってか知らずか、まあ寝てるのだから分かるはずもないだろうが赤頭巾はタイミングよくそんな寝言を言う。


「大丈夫、この子も十分幸せで満足してるさ」


またムーグリルはこっちの心を読んでるかのようなことを言ってくる。


「そうかしらね」

「この子に挨拶しなくていいかい」

「起こしちゃうのも可哀想だわ。帰してあげましょ」

「そうかい」


ムーグリルは優しく微笑みながら本を広げる。

すると本が光り出すと同時に赤ずきんの体も淡い光に包まれていく。


「んー……?」


赤ずきんの瞼がゆっくりと開かれる。そして眠気眼でこちらを見つめてきた。


「あら、起きちゃったの」

「お姉ちゃん……?」


道子は優しく赤ずきんの頭を撫でてあげる。


「大丈夫、これから帰れるのよ」

「そっかぁ、私帰れるんだ……」


きっとまだ意識は夢の中なのだろう。それでもどんどん光は強まっていき、赤ずきんの体は透け始める。


「お姉ちゃん……」

「どうしたの?」


赤ずきんは頭だけゆっくりと起こし、道子の顔を見上げ目を合わせる。真っ直ぐ目を見つめられた道子は撫でていた手を思わず止める。


「ありがとう」


その言葉と同時に完全に光が赤ずきんの体を包み込み、そして本の中に吸い込まれるように光は消えていき、道子の膝に頭を乗せていた赤ずきんも一緒に消えていく。


そして黒ずんでいた本は、綺麗な赤色になっていた。

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