5-3

道子はいつもと違いすぎるこの光景に、ようやく既に来慣れたものになっていたこの場所がいつもと違う場所になってしまっていたのだ。


「そういえば……」

「なんだい!」

「ここに昼間に呼ばれることも初めてだわ」

「僕が朝から呼んでいたんだよ! 正確には10時ぐらいからかな!」


ムーグリルは本を何とかしようと走り回りながら、それでもどうとも出来ていないのだが……、道子に向かって叫んでいた。

しかし道子はそのムーグリルの言葉に眉をひそめる。


「ということは、私が朝から眠かったのって……」

「ごめん! 僕が干渉してたんだ! 長時間はできないし、普段は絶対にしないんだけど非常事態だったんだ!」

「非常事態だかなんだか知らないけど、そのせいで私は朝からすごい目にあったんだからね!」

「本当に悪かった! 許してくれとは言わない、助けてくれ!」

「助けてくれじゃないわよ……」


道子は頭を抱えながらそれと一緒に頭に降り掛かっているページの破片を払い落とす。


「それで?」

「え!?」


道子が耳を傾けようとしているのに、ムーグリルは降り掛かってくる本をキャッチするのに必死で、道子の方を見ようともしていなかった。


「もういいわ! 帰るわ!」

「待ってくれ! 僕の声が聞こえなかったのかい!」

「それはこっちのセリフよ! 私は何をすればいいの!」

「え?」


ムーグリルは道子のその言葉に思わず手を止めていた。


「君は……」

「な、なによ」

「本当に変わったね」


ムーグリルは振り落ちてくる本の破片を気にすることなく、彼女に向かって優しくほほ笑みかける。


「……」

「なんだい? どうした?」

「頭に大量の塵を被りながら、気持ち悪い顔でこっちを見ないでくれるかしら……」

「容赦がないのは相変わらずだね……。それよりこれはどうしようもないな、一旦あっちに行こうか」


ムーグリルは未だに大量の本の破片を被りながら指さしたのは、いつもの赤いソファが置かれてあるリビングだった。



リビングに着くと、道子はいつも通り赤いソファに腰掛ける。ムーグリルは座った道子の前を右往左往していた。


「随分と今回はリビングまでの距離が短かったわね」


そもそもの話、廊下から指させる所にリビングが見えている時点でおかしいとは思ったのだが。実際歩いてみるとさらにその違和感は増した。いつもは数分かかる廊下がたった数歩でリビングにたどり着いてしまったのだ。

今も道子の背後からはバタバタという本が地面に落ちる音が聞こえている。


「本が破壊されすぎててね……。この図書館も歪み始めている」


道子の疑問にムーグリルはやけに簡潔に返答する。その表情にはどこか焦りも見えていた。


珍しい、いつも余裕げに微笑んでいるか、道子が何かしらやらかして怒っているところしか見たことがない。こんな余裕のない表情を見せる彼こそが一番の違和感の原因かもしれない。


「歪み始めている?」

「あまり話している時間はないんだけど……、そうだね、この図書館の存在定義と言うべきかな」

「それだけじゃ分からないわよ」

「この図書館は童話を、本を修理する場所。それは道子も知っているね」

「ええ、これまで散々振り回されてきたものね、嫌でも覚えるわ」


「つまりこの場所は修理するものがなくなれば、存在意義がなくなるんだ。簡単に言うと消滅してしまうのさ」

「でも、今は本が大量に壊れているんでしょう? それこそここの役割をめいっぱい果たすときなんじゃないかしら」

「僕がいるここの役割はあくまでも修理が目的だ。破壊されてしまって修繕不可能な本達はここではどうしようもない……。修理する本が無くなればここはもう用済みだ。そうするとここは消えてしまうのさ」

「でも、そうすると……あなたはどうなるの?」

「僕のことを心配してくれるのかい?」


ムーグリルは足を止めてしゃがみ込むと、驚いたように少し俯いている道子の顔を覗き込む。

この場所が急に無くなるなんて考えてもいなかった。

昔から体の調子が悪いとここに足を運んでいた。読める本なんてないのに、童話なんて嫌いなはずなのに、夢ではここを尋ねていた。


ここ最近は物語に自分が関わったりもして、色んな人と関わりを持った。その中の1人にもちろんムーグリルも含まれていた。

そんな夢だけど非日常で、新しい道子の日常が突然なくなるといわれ、つい素直な思いが口から漏れ出ていた。


「い、いいから答えなさいよ」


せめてもの照れ隠しに道子は覗き込んでくるムーグリルから顔をそらしながら再度訪ねる。


「そうだね……、正直に言うと分からない。かな。こんなことはじめてだからさ」


ムーグリルはいつもとは違う疲れているのか弱々しい笑みを道子に向ける。


「…………。そうよ、そもそもこうなってる原因はなんなのよ」

「童話から逃げ出した一人の子がそこらじゅうで暴れてるのさ……。今どこにいるのかも全くわからなくて……」


ムーグリルは道子に見せた笑みのまま首を振ると、片手で頭を抑えた。

どうしようもできない現状に彼も相当参っているようだ。


「どこにいるのか分からないって……、じゃあどの本に向かえばいいのかも分からないんじゃない」


道子がそう口にした瞬間だった。

ピタッと世界は静寂に包まれたのだ。正確には先程まで振り落ちていた大量の本の雨がやみ、ひとつの本だけがムーグリルの手に吸い付くように近づいてきた。


「チャンスだ」

「え? 何が起こったの?」

「あの子は今この本の中で滞在しているようだ、行くなら今しかない」


「その本は?」

「シンデレラさ。知っているかい?」

「え、ええ、多少は」

「そうか、道子この図書館を、この子を、なにより本達をどうか救ってくれないか」


ムーグリルはいままでにないほど真剣な表情で、いや、彼は本と向き合う時はいつもこんな顔をしている。真っ直ぐな瞳でムーグリルの片手に現れた『鍵』を道子に向かって差し出した。


「救えるかどうかなんてわからないわ」


道子はゆっくりとソファから立ち上がりながらそう言うと、不敵な笑みを浮かべながらムーグリルから鍵を受け取り、ポケットにしまった。


本がゆっくりと淡い光を帯びていく。


「ただ私は今まで通り私がやりたいようにやるだけ。それがこの夢の中でいる時だけに私ができることだから」


その言葉を聞いてムーグリルはまた一瞬驚いた顔を覗かせ、その後ほっとしたような笑みを浮かべた。


「それなら問題はなさそうだ」


本から道子へと光は流れていく。


「あとひとつ、あなたに辛気臭い顔なんて似合わないから、帰ってきた時には気持ち悪い笑い顔でも浮かべて待っていなさい」


道子はそう言って今までで満面の笑みをムーグリルに向けると、彼の返事を聞く前に道子の体は光におおわれ、そして図書館から離れた。

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