おバカな狼はいつも間違える
4-1
歩きなれた通学路。しかし道子にとっては思い出したくもない日のことを思い出してしまう通学路だった。
しかも今日の天気は雨。余計に思い出さなくていいことを思い出してしまう。
帰り道の途中、道子は初めてクラスメイトにその存在を認識されることになった忌まわしき場所で足を止めた。
数週間前、道子はここでこけてしまった。冷静に考えてみればぶつかってきた子が悪いわけでもただ歩いていただけの道子が悪いわけでもない。誰も悪くない不慮の事故だと分かる。
ただその後に向けられたのは明確な悪意。明らかに自分のことを下に見た行動と発言。
それを思い出すだけで、道子は何とも言えない自虐的な気持ちに追いやられる。
こんなところさっさと離れて帰って眠ろう。こんなどうしようない雨の憂鬱な日はきっとあの夢を見れるに違いない。
あのうさん臭い執事もどきには会いたくないが、あの場所は道子の帰る場所だ。
そう考えながらそこから離れようと歩きだした時だった。
「あれ、この前の子だ」
どこかで聞いたことがあるような、でも初めて聞いたような気もする男の人の声。まさか自分に話しかけられているなんて考えもしない道子はそのまま歩を進める。
「おーい、聞こえてる?」
やっぱりどこかで聞き覚えのある声はだんだん近づいてきて、突如道子の前に現れた。
「へ?」
「あ、やっぱりこの前の子だ」
目の前でニカッと笑う男子に道子は見覚えがなかった。いかにも陽気で毎日が楽しげな笑顔を携えている彼は、道子の隣に並ぶと同じ歩幅で歩き始めた。
彼が着ている制服は道子の学校の制服ではなかった。ますます意味がわからない。
限りなく少ない可能性として同じクラスメイトが何らかの用事で話しかけてくることはあったとしても、他校の生徒に話しかけられるなど、ましてや男子と接点など道子にはなかった。
「え、えっと……」
分かりやすく動揺してしまう。あの場所なら今頃皮肉の一つや二つ出てきているというのに、現実だとやっぱりそんな簡単に言葉は出てこない。
「やっぱり覚えてないかー。ちょっと前に話しかけたんだ。君がここで転んじゃってた時かな?」
その一言で道子はあの時のことを鮮明に思い出す。
確かに、一人いた。どうりで聞き覚えのある声なわけだ。彼はあの時道子にハンカチを手渡そうとしていた男子だった。
道子はそれを理解した瞬間、全身に鳥肌が立つのを感じた。
あの時のことを知っている人間が今目の前にいる。しかも親切にしてくれたのに自分はそれをむげにして逃げてしまった。
きっと怒っているに違いない。そうでなくてもあの時のことを何か言いに来たに違いない。もちろん悪い意味で。
道子は今すぐにでもこの場から逃げてしまいたくなる。
「大丈夫?」
しかしそんな心境を知らない彼は道子の顔を覗き込みながらそう尋ねてくる。そんなに自分は今ひどい顔をしているのだろうか。
「ああ、もしかして怒ってるとか思ってる? 大丈夫大丈夫、俺が勝手に声をかけちゃったわけだし、逃げられても仕方ないよな。恥ずかしかったんでしょ?」
男子ははにかみながら、そして少し照れ臭そうにしながら話を続ける。
「いや心配してたんだよ? ひどい顔で……ごめん言い間違い、すごい血相で走っていったからさ、大丈夫かなって」
「そんな……ひどい顔してました?」
やっと返せた一言がそれ。かろうじて出た言葉がこれだ。自分でもどうかと思う。
「いやいやいや! ひどい顔なんてしてないよ! 顔色が悪かったというかなんというかね? いやーこれは我ながらひどい言い間違いをしたな、ごめん!」
男子は顔の前で両手を合わせ道子に向けて謝ってくる。
「それで、大丈夫だった? 風邪とかひかなかった?」
「え? あ、はい……大丈夫です」
いったい自分は今何の会話をしているんだろう。どうしてこの自分とは正反対のような雰囲気の男子と会話をしているのだろう。
「そっか、そっか。ならよかった! いやあ元気なのが一番だよね、ほんと!」
道子は完全に男子の雰囲気に気おされていた。完全にその男子が持つ雰囲気に流されていた。
「そういえばさ、ちょっと気になったんだけど」
そう言った問いに道子は過剰に身構える。いったい何を聞かれるのか。
経験値が足りなさすぎて、何を聞かれるのか全く予想できない。予想できたとしても必ずマイナス方面のことばかり考えてしまう。
「前髪きったでしょ?」
「へ?」
本日二度目の間抜けな返事。しかし男子が放ったその言葉の意味を理解した瞬間に、道子の顔が一気に熱を帯びるのを感じた。
「あれ、何かまずいこと聞いた?」
男子は苦笑いしながらそれでも相変わらず道子の隣を歩き続ける。
「いや、その……そんなことないんですけど……」
確かに前髪を切った。正確には今日ではなく、あの素敵な音楽を聴いて目覚めた後切った。
唐突に内面を変えることは難しい。人はそう簡単に変わることはできない。それならちょっとでも外面から変わることを始めようと思った。いつも顔を隠している前髪を切って、顔を出そうと思ったのだ。
それがあの素晴らしい音楽に対する少ない恩返しだろう。たとえ彼らに届いていないとしてもこれは自分の自己満足だ。でも結局のところ顔を出したところでうつむいているので顔が見えることはない。
だからこの三日間髪を切ったことに誰にも何も言われなかったし、多分気づかれてもいないと思う。
でもそれは道子にとって当然のことだったので、特に気もしていなかった。
ただ急に目の前で、面と向かって言われるのには当然のことではない。動揺してしまうのが至極まっとうな反応だと思う。
「大丈夫?」
「大丈夫です! あの、気づかれると思わなくて……びっくりしました」
ちょっと会話が成り立ってきたと思う。そう思うのは道子だけだろうか。
「え、ほんとに! 一回しか会ってない俺でもすぐわかったよ?」
「あの……話しかけられることがないので」
「え、そうなの!」
男子はいちいち新鮮な反応を示してくる。こっちとしてもやりにくいったらありゃしない。
「まあでも……いつものことなので……」
いったい何を口走っているのだろう。こんなことを言っても彼を困らせてしまうだけじゃないか。これではかまってちゃんアピールが激しい女子と何も変わらない。
「そうなんだ。ふーん……」
結局人は簡単に変われない。好意的に話しかけてきてくれる人が目の前に現れてもむげにしてしまう。自分は結局どうしようもない人間なのかもしれない。
「じゃあさ、俺が話しかけるよ!」
「へ?」
「面白いね、その返事! 俺が話しかけるよ!」
彼は満面の笑みで私のほうに親指を立てて話しかけてくる。
全く本当に彼は何なのだ……。
「とりあえず敬語なしね! これ決定! 大丈夫かな?」
「は、う、うん」
「やった。じゃあ後は……あ、俺こっちだ、君は?」
「……私あっち」
道子と男子が指さしている方向は違う方向だった。ということはここで会話は強制終了ということになる。
「そっかあ。楽しかったなあ。あ、そうだ!」
「な、何?」
男子の突然の大声にびっくりして道子もつられて大声をあげてしまう。
「俺黒田通! 君の名前は?」
「え、私は華川道子」
「そっか、道子話に付き合ってくれてありがと! また話そうな! あ、あと前髪似合ってるよ! じゃ! ばいばい!」
黒田通(くろだとおる)と名乗ったその男の子はそのまま道子の返事を聞くことなく、走り去っていった。
「……台風だ」
道子はただその場に立ち止まりそうつぶやくしかできなかった。
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