3-6
体にまとっていた光が消えていくのを感じる。
何度も嗅いだ本の匂いで、戻ってきたのだと感じた。
しかしパタパタという聞きなれない音が聞こえる。またあのバカ執事が何かをやらかしているのだろうか。
そんなことを思いながら道子は目を開けると、目の前にはなぜか掃除婦のような恰好をしたムーグリルがせわしなく動いていた。
「……何やってるのよ」
「本の虫を退治しているんだ」
「そんな恰好で?」
「本についている本の虫を退治するには、これが一番手っ取り早いんだ」
「それってつまりあなたが掃除をさぼっているのが悪いんじゃないの?」
「そんなことはないさ、きっと」
ムーグリルは自信満々にそういうと、手に持っているはけで壁に敷き詰められている本をはたきはじめた。
「そういえば無事に戻ってくることができたんだね」
「無事に戻ってくることができない可能性もあったような言い方するのね」
「なくはなかったよ。あの家の主人は誰彼構わず喧嘩をふっかけるから、もし道子があのわら小屋にいるのがばれていたら、殺されていたかもしれないからね」
「そんな危険な場所に私のような一般人を連れていくなんて、本当にどうかしてるわね」
「道子が一般人なわけがないじゃないか」
「ひどい言い草ね」
「それより、あの後ちゃんと物語が修理されたのか見てみようか」
ムーグリルは持っていたはけを無造作に地面に置き、来ていたエプロンを外すといつもの格好に戻った。
「そうやって無造作に置くから本の虫が湧くのよ」
もともと湧くものかどうかすらわからないのだが。道子の中では、羽虫と本の虫は同類のような位置づけになっている。
「さてと……」
そんな道子の言葉などなかったかのようにムーグリルはわざと大げさに体を動かすと、テーブルの上に置いていた本を手に取った。
その本を開くと、道子が本の中にはいる前とは違い文の羅列が見えた。
「どうやら修理できているみたいね、一体この後ロバはどうなるの?」
「そういえば道子は『ブレーメンの音楽隊』を知らないんだったね。この後ロバはとりあえずブレーメンを目指すことになったんだ」
「どうして唐突にブレーメンに目指すことになったの?」
「どうやらあの小屋を出た直後、音楽に触れることがあって自分も音楽を奏でたいと思うようになったようだね。それで音楽が栄えているブレーメンを目指すことになったようだ」
「ずいぶんと早く目的を見つけることができたのね」
「それでブレーメンを目指す最中、ロバは同じように年老いて役が立たないと見限られている三匹の動物と出会う。そしてその動物、鶏、犬、猫はロバの言うことに感激して一緒にブレーメンを目指すことになる」
ということは、ロバはちゃんと信頼する仲間を見つけることができたということだ。道子はロバが外の世界に出ることをけしかけたことが、ちゃんといい方向に向かっていることを安心した。
「でも一日では到底ブレーメンにたどり着くことはできないから、ロバたちは森の中で野宿をしようということになる。そんな時一軒の家を見つけるんだ。そしてその家の中には大量のご馳走があった」
「一気に最高の寝床と最高のご馳走を見つけることができたというわけね」
さすがお話なだけあって、そんな都合のいいことも起こってしまうわけだ。
「それで動物たちはそこで暮らすことになってめでたしめでたしっていう話?」
「いや、物語はここからだよ。その家の主はおらずその代わり泥棒がその家を占拠していた。動物たちは考えた。どうやったらあのご馳走を食べられるのかを。そしてロバが土台になりその上に猫と犬と鶏が乗って大声をあげた。泥棒を驚かせようとしてね」
「そんなことしたら泥棒が逆上して、反抗してきそうだけど」
「でも泥棒はそこまで頭がよくなかった。お化けが出たと思って家から逃げ出したんだ」
「本当に頭が悪いのね」
「そして泥棒がいなくなった家で動物たちは一晩を越すことになった。……あれ?」
「どうしたの?」
ムーグリルは焦ったように、ページをめくる。
しかしそこには何も書かれてなく、めくるページはすべて白紙だった。
「どうして白紙なの?」
「どうやらここから物語が動いてないようだね。何かもめて本来なかった方向に物語が進んでいるのかもしれない」
「せっかくここまで来たのに……」
やっぱり他人は信用してはいけないのだろうか。信用するから自分の思い通りにいかなければ、すぐに仲たがいしてしまうものだろうか。
道子が落胆していると、ムーグリルは急にポケットを探り始めた。
「どうして……」
「今度は何なのよ」
顔をしかめているムーグリルの顔を見て、道子は本が崩壊するという最悪のことが脳内をよぎる。
「『鍵』が出てきたんだ」
そういってムーグリルがポケットから出したのは、何枚かにまとめられて何かが書かれている紙だった。
「それは楽譜?」
「そうみたいだね」
ムーグリルの小さなポケットから出てきたのは、五線譜だけ書き込みがされた音符が書かれていない楽譜だった。
「『鍵』が出てきたってことは、私にもう一度この中に入れってこと?」
「そういうことになるんだけど……やってくれるかい?」
「ここまできたらやるわよ、このまま帰れたとしても気持ち悪いだけだもの」
「今の道子ならそう言ってくれると思っていたよ」
「どうせ断っても私を挑発なり、言いくるめるなりして行かせるつもりなんでしょう?」
「さあそれはどうかな」
ムーグリルが気味の悪い笑みを浮かべる。
道子はそれを見ながら顔をしかめながら、ムーグリルが「さあ」と差し出してくる楽譜を奪い取るようにして受け取った。
「この物語をどうか完結に導いておくれ」
「それは私じゃなくて、あのロバ次第じゃない?」
「そうかもしれないね」
彼は今度は含みのある笑いを浮かべると、白紙のページを開いた。
「いってらっしゃい」
そんなムーグリルのいつもより優しい声を聞きながら、道子は再び淡い光に包まれながら本の中に吸い込まれていった。その光は今までと違ってどこか暖かいような気がした。
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